臆病者の声が望む


※3.3中盤ネタバレ有ります






「解放者様、どこか具合が悪いようですが」
「え、私別に毒の胞子は浴びてないよ」


怪しい術師、という言葉にナマエが表情を強張らせたこと、エステラはそれに気が付かないようだった。それが妙に引っ掛かったトビアスは、浄月の間に調査に行くと言った瞬間にナマエが目を伏せたことにも気が付いていた。ナマエの隣で襲撃者について話すエステラは、淡々とナダイアに事の一部始終を語って聞かせている。

最後に怪しい術師はナマエに声を掛け、姿を消したとエステラは言う。ナマエさんが解放者と知っているのか知らないのか、と話すエステラの横でナマエからは表情が消えかけていた。そう言えば何を言われたのですか、と問いかけたエステラにナマエははっと顔を上げ、無理矢理に首を振ってよく聞こえなかったのだと言った。あれは間違いなく嘘だろうと思ったトビアスは浄月の間の調査を終えた後、ナダイアと別れナマエが休んでいるというカーラモーラの宿屋を一人で尋ねたのである。エステラがマイユの小さな切り傷を治癒魔法で治す微かな時間の隙間でしか、トビアスとナマエが話す機会はないのだ。

解放者である自分の存在がいかに竜族にとって大事なものか、未だよく分かっていない様子のナマエは、トビアスは勿論のこと、エステラに頼ることもない。全て自分で解決しようとし、実際にそれをやってのけてしまう。トビアスにとってナマエの返答は、予想の範疇にあるものだった。調子が悪いわけではない、大丈夫だから心配しないで、あなたは自分のやるべきことを、安全な場所でやっていて。――それは少し違うと、彼女が解放者でなければ、いや解放者であるからこそ言えないのであろうとトビアスは思う。いかに強くとも弱い部分を必ず持っているのが誰だって当たり前なのだ。多少は、それこそ自分では役不足なのかもしれないが、頼ればいいものを、と。思えど、やはり口にすることは出来ない。


「怪しい術師の奇妙な術を、解放者様はご覧になられたので?」
「遠目から、少しだけ。…エステラがやられるほどのメダパニなんて。それに消えたり、あんな場所を走ったり」
「解放者様と同種族の者に見えたと、村の者が」
「…まあ、疑われてもしょうがないとは思う。――似てた、って言ってなかった?」
「………ええ」
「私も思ったから、やっぱりね」


どうしようもなく悲しい声で、解放者の少女が笑うものだからトビアスは不思議とその手を取り、握ってやりたい気持ちに駆られた。自分より小さく、自分よりも力の弱いその生き物は自分よりも強い力と精神を持ち、それ故に抗えない運命の渦の最中で必死に息をしている。ナマエが望んで解放者になったのか、そうではないのか、トビアスは未だよく分からないままだ。――それでも彼女が我々の味方でありたいというのであれば、俺は。


「……ずっと、ずっとね、会いたくて会いたくて、どうしようもなかった人に似てるの」
「………解放者様」
「その人はね、私の全部だったんだよ。私が生きる、理由だった。…どうして、似てるんだろう。絶対、そんなことしないのに、…なんで」
「……あなたは」
「この先でまた何度も会うんだと思う。そう思うたびに前に進むのが怖くて怖くて、しょうがなくなるの。だからトビアス、…一つお願いしていい?」
「…お願い?」
「うん。エステラには絶対言えない、お願い」
「私でよろしければ、なんなりと」


言葉に一瞬だけ口元を緩ませ、目を細めて泣きそうになったその顔がどうしても、突き放すことを許さない。希望であると言えど異種族の人間にこのようなことは、許してしまってはいけないのかもしれない。それでもトビアスは拒むことをしなかった。自分のものとは骨の構造から違う、白い細い指が伸ばされて服の裾を掴み、解放者はその頭を垂れた。祈るように目を閉じ、縋るように指先に力を込め、服の裾に微かな皺が寄る。


「あのね、あのね、…トビアスがね、私に願ってくれたら、それだけ。それだけでいいよ。トビアスが望む限り私はずっと、ずっと光としてこの先を走っていくから、闇を全部照らす太陽になって、この世界の空に輝くために戦うから。…この先に誰が、どんな意志で、私を待ち構えていようとも、私がずっと戦っていられるように…他の誰でもない、トビアスに望んでいてほしい。私が解放者であることを、あなたに。…貴方だけでいいから」


20160526