無題




私が彼に命を救われて、もう随分と時間が経ったらしい。

気が付けば、ただ楽しいばかりの人生を謳歌していたあの時間はとっくに過去のものになってしまっていた。小さな街の小さな酒場で、バニーガールとして働いていたあの夜。自分が楽しければいいとばかり考えていたその時の私は今思い出すと酷く恥ずかしい。けれどあの時の私が無ければ、今の私は存在しないのも事実。怠惰に日常を過ごしていた私を、光の溢れる世界へ引き込んでくれた彼は目の前にいる。

出会ったきっかけは何だったんだろう。そうそう、悪い男に引っかかったんだ。それで路地裏に呼び出されてひどいことをされそうになった。その時の私は自らも"悪い"女だったわけだけど、でも柄にもなく神様になんて祈ってしまった。助けてください、こんな男になんて絶対に嫌だと。助けてくれたらこんな生活から足を洗いますから、と。

そうしたら暗闇に光が差し込んで、気が付けば男達は消えていた。代わりに目の前に立っていたのは朝日を背にする勇者様で、彼は私を気遣ってくれた。ひどいことはされていない、家はどこ、大丈夫死んではいない、気絶してるだけ―――…ぼうっとしている私にも分かりやすいように、噛み砕いて告げられた言葉は容易く認識することができた。彼は旅をしているのだと言って、私に優しく微笑んだ。

それから私は遊び人として彼のパーティに加わり、彼――アベルのために必死で強くなろうと足掻いた。戦う時のアベルの指示はよく分からない時が多かったけれど、でも足手纏いになっている状況を理解はしていたから必死で魔物と戦った。深夜、宿のベッドを抜け出してこそこそと戦ってみたりもした。アベルが好きだとその頃にはもう自覚していて…置いて行かれるなんてことになったらと思うと恐ろしくてたまらなかったからだ。結果、ダーマ神殿にたどり着く頃に私の努力は報われる結果となった。過去の行いを悔い改め、神に祈りを捧げてその身を差し出せば悟りを開いて私は賢者になれるのだと。転職の時の不思議な感覚は、今でもよく覚えている。

髪を染め、賢者の衣装に身を包んだ私にアベルは不思議そうな顔をしたっけ。すごく変わった、と言ってまじまじと私を見つめたアベルはどこか寂しそうでもあった。私は私で、衣装を変える前より変えたあとの方がアベルの好みかと思っていたからその表情にもしかしたらあまり可愛くならなかったのかも、なんて不安を抱いたものだ。でもそんな心配は杞憂だったようですぐに笑顔になったアベルが可愛くなったよ、ナマエ!なんて褒めてくれるものだから一瞬にして頬が熱くなっていた。彼が好きで好きでたまらなくて、嬉しさで頬が熱を帯びて、その熱でどうにかなってしまいそうだと感じたのを覚えている。

遊び人だった頃と代わって、きちんとアベルの言う指示が理解出来るようになって…戦力に数えて貰えた時は心から嬉しかったっけ。賢者になってホイミを覚えて、アベルが魔物から負わされた傷を癒すことが出来たとき、ああ私は彼の役に立てているのだと実感が沸いてきたときの、あの狂おしいまでの喜びは忘れることなど出来そうにない。アベルの笑顔は眩しくて、私を太陽みたいに照らしていた。傍にいるだけで暖かな気持ちになった。自分が強くなっていくたび、必要とされているのを実感するたび、――アベルに頼られていると感じるたびに!私は幸福を味わうことが出来たのだ。




「……なのにどうして、伝えさせてくれなかったの」


大理石の十字架を優しく撫でる。目の前のそれにはロトの勇者、ここに眠ると掘られている。これを掘ったのは紛れもなく私であり、ここに眠っているのも間違いなくアベルなのだ。その目から光を失ったアベルはもう太陽ではなかった。世界を救った勇者だと称えられながら、自らの絶望を外に出すことなく、自分の中に押し込めようとして逆に殺されてしまったのだ。元の世界に戻れない事実はアベルを自らに殺させるに値する十分な理由だった。魔王よりも強いと畏怖されていたこともきっと精神的な苦痛になったのだろう。私は未練もなにもなかったからアベルの傍にいられるだけで幸せだと思っていた。結果、私はアベルを支えることが出来ず、彼の痛みを知ることが出来ず、彼を殺すために一役買ってしまった。彼が私のことを好きで、私が彼のことを好きだなんてもう、とっくに知っていたのに。私はアベルを見捨てたのだ。

……でも、見捨てたのだと自分に言い聞かせても。アベルがここに眠ってしまった日からずっと、私はここを離れることが出来ない。武闘家も盗賊もこの世界に大事な人を見つけて幸せに暮らしている。私は、…私は、出来ることならアベルの大切になりたかった。そうしていつまでも、暖かいひだまりの中で笑っていることが出来たらと思っていた。けれどそんな資格は望むことすらもう許されない。


「ねえアベル、好きよ。ずっと、ずっと好き。――遅いけれど、私は」


せめてずっと、命が尽きるまであなたの骨と一緒にいたい。喉がからからだなんて気にならない。お腹だって空かないよ。だって太陽が存在しない世界はそんなものなくなって命あるものはみんな滅んでしまうんだから。私はね、アベル。あなたがいないと息すらできなくなるんだよ。今こうして酸素を肺に取り込んでいるのはすぐにあなたの胸に飛び込む勇気がないからなの。ああ、臆病な私を許して!それから…もう少しだけ時間をください、私の大切な勇者様。

瞼をゆっくりと閉じながら、神様なんてこの世にはいないと毒づいた。私はそれならアベルに祈りを捧げるわ。ああ、世界の救世主よ。次に目を覚ましたとき、私の目の前にいるのが私にとっての太陽である貴方様でありますように。






(2014/04/22)

っていうバッドエンドな勇者×賢者ちゃんが好きです
でもハッピーエンドなほのぼの勇者×賢者ちゃんが一番好きです
3の賢者のデザインは本当心から最高だと思っています。結婚しよ

この勇者のパーティーのメンバーは武闘家と盗賊、それから遊び人→賢者。勇者の代わりにバラモス以下略の影響が強いのかもしれない