魂の記憶



『好きだ、ナマエ』


キーファから聞いた、それが最後の彼の言葉に成ってしまった。旅立って、また直ぐに帰ってきて……それで私を抱きしめてくれるものだと信じていた。信じていたのに、彼はもう帰って来ないというのだ。信じられなくて、只々呆然とした。自分の道を見つけた――そう、彼はいつだって流木のように、さらりと私の手をすり抜けて時折愛の言葉を囁いて、掴みどころなんてなかったんだ。最初から。でも、そんなキーファが好きで……子供のようにアルスとマリベルと騒ぐキーファの笑顔が好きで、私にだけ見せる艶っぽい顔も大好きで、でも何より彼が異国の地に思いを馳せている顔が私の一番好きな顔だった。彼が王になるのを楽しみにしていたけれど、彼が自分の道を自分で決めたのならとも思った。……思ったのだ。でも、頭で理解はしていても感情は理解をしてくれやしない。ああ、寂しくて悲しくて心の奥底から辛くて辛くて………


「なんで、置いて行っちゃうの…?」


キーファの未来に私はいなかった。それがたまらなく悲しかった。涙は気がつけば溢れていて、どれだけ流すのだろうというほどに流れた。こんなにも彼が好きだったのは私だけだったのだろうか。嫌だ、そんな……そんな。こんな別れなんて信じられない。別れの言葉すら私は告げられなかった。最後に聞いた言葉は優しい笑顔に添えられた愛の言葉。冒険が落ち着いたら、結婚する筈だったのに。私は王妃に相応しい人間になれるよう、あなたを支えられる人間になるよう、――必死に努力したのに。

でもやはり、報われなかった事は惜しくもなんともない。ただ、置いていかれてしまった事に悲しみが湧いて湧いて、心臓は気を抜けば止まってしまいそうだった。


**


それから数ヶ月程。やっと涙は止まる事を覚え、しかし私はぼんやりと窓の外を見つめて新たに姿を現した島を静かに見つめるようになっていた。そう、キーファがどこからか船に乗って私を迎えに来てくれるんじゃないか?と。勿論もう、彼が二度と私の前に姿を現す事は無い事を確信してはいたけれど、"もしも"を期待せずにはいられなかったのだ。ただの淡い夢だと知っていても、窓の外を見つめる事を辞められない。

彼が過去に行ってしまって、もう二度と帰って来ないのならば彼は、――キーファはもう既に過去の人ということになる。つまり、この世界のどこかに彼の骨が眠るお墓があるということ。ああ、ならば私もその隣の地面にこの骨を埋めてしまいたい。つまりは……窓を開いてお城の庭を見下ろす。堀に落ちたら助かってしまうだろうか。ああ、キーファのいない世界がこんなに虚しくて寂しくて、色の褪せた世界だなんて知らなかったんだ。でも――彼に触れられた箇所は体が全部覚えている。ああ、この体を出来うる限り朽ちさせたくない。ああ、なんて我儘な自分!溜息を吐いた。それはキーファに向けてのもの?自分に向けてのもの?わからない。でも、やはり彼の愛したこのお城を私の血なんかで汚して、バーンズ王やマーサ姫に迷惑をかけたくはないのだ。窓を閉じた。その時だった。


「――――ッ!?」


城門の方にちらりと見えた影が一瞬キーファに思えたのだ。窓を再び開け放す。声からしてあれはアルスとマリベルの声…!もしかして、キーファが帰ってきたの!?心臓が今までに無い程ばくばくと跳ねた。違う、期待をしてはいけないと冷静な脳は言うけれども感情が先走って足がもつれそうだ。はしたないと言われてもいい。普段は絶対にしないけれども、お城の階段をハイヒールを脱ぎ捨て走り降りる。ドレスの裾を踏みそうになりながら、階段を駆け下りた。アルスが階段を上ってくるのが見えた。

その後ろを歩いているのは今までに見た事がない女の人。とても綺麗で、でもどこか懐かしい雰囲気を漂わせるその人はアルス達の新しい仲間だろうか?なんだかとても……


「………ナマエ?」


その目が、彼に、キーファに良く似た目が私を射抜いた。ぽつり。確かに紡がれた名前は確かに私のものだった。よく分からない、本当によく分からない涙が目から溢れた。――どうして私の名前を?なんて質問は多分、きっと要らない。彼が私以外の人を愛したとしても、きっとキーファの心は私のものだったんだ。だからあなたは私の名前を知っているんでしょう?
呆然とするアルスとマリベルとガボを押しのけて、彼女にしっかりと抱きついた。戸惑い気味に腰に回された手がキーファと想いを初めて通じ合わせた日を思い起こさせた。ああ、


「"おかえりなさい"」



魂の記憶


(2013/04/25)