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「恐らく、この下がハヌマーンの間に通じていると思われます」


洞窟の壁の一角、魔法力で形成された下り階段の前。そこで私を振り返ったナイン君が、腰の剣を抜いて差し出した。「ナマエ、これはあなたのものです。今こそお返し――」「いいよ、ナイン君が持ってて」肩をすくめながら、私はそれを彼の方へ押し戻す。でも、と小さく抵抗する声が聞こえたけれどすぐにナイン君は考えを改めたようだった。「……ナマエがそう言うのであれば」私にも、後ろのソロたちにも聞こえる声でそう言ったナイン君は私の前を遮って階段を一番に降りていく。


「いいのか?お前の剣なんだろ」
「…うーん、今回はいいかなあ。私は重くて大きい剣も使えるようにならなきゃ」
「アレもそこそこの重みがあるだろ」
「でも、銀河の剣ナイン君の手元にある方が嬉しそう」
「……ま、今はそうかもな」
「剣持ってやっとまともに動けるかも、ってレベルだしね」
「これから相応しくなればいいだろ」


頑張れよ、と私の肩を叩いたソロの姿は次の瞬間から少しずつ、透明になって空気に溶けていく。「回復は任せてくださいね」「何かあったら、すぐに飛び出すから」ミネアとリュカも包み込んで、ステルスが完了したようだった。ボス戦は、私とナイン君の二人だけで行う。三人はステルスで後ろから、少し遅れて降りることになっている。見えなくなった三人が立っているであろう方向に頷いてから、私は階段へ足を踏み出した。「暗いですから、気を付けてくださいね」「うん。ありがとう、ナイン君」先の見えない階段を、ナイン君に続いて一段一段、少しの恐怖と一緒に下っていく。

ハヌマーンが最下層で待っていることと仮定して、私はリュカの訓練の最後をボス戦で締めることになった。実戦形式の練習は魔物の動きの特徴を見極めるところまで続けられたから、動きを即座に判断出来ればハヌマーンも倒せるだろうというナイン君の判断。正直何時間動いていたのか分からないし足も腕も痛いけれど、かなりの運動量も相まって良い具合にハイテンションだ。…そういえば、こっちに来てから体力と足の速さがかなり上がっている気がする。……気のせいかもしれないけど。


「ナマエ、怖いですか?」
「…ちょっとだけ」
「大丈夫ですよ、私が守ります」
「それじゃ訓練の意味がないよナイン君」
「訂正しましょう。ナマエに怪我はさせません」


かつん、かつん、かつん―――…私の先を降りていく、ナイン君の顔は見えない。それでもその背中に頼り甲斐を感じたのと、頼りすぎてはいけないという感覚を覚えたのは同時だった。「ナイン君」「……何でしょう」呼びかけに応えてくれるまでの、小さな間はナイン君も自覚しているのだろうか。彼は少し、ううんかなり、


「ナイン君はさ、ちょっと私に優しすぎるね」
「…そうでしょうか」
「そんなに気負わなくてもいいのに」
「ですがナマエ、あなたのことを守るのが僕の使命です」
「守られてるんじゃダメだって思うのはリュカたちだけじゃなくて私もだよ」
「ナマエ、」


足を止めたナイン君が振り向いて、言葉を紡ごうとするのを人差し指で遮った。「大丈夫だよ、ナイン君。多少のことじゃこの体はなんともないし。痛くても死ぬわけじゃない」「………ナマエ」…人差し指の触れた唇が、私の名前を小さく紡ぐ。


「だからさ、ナイン君。一方的に守るんじゃなくて、私もちゃんとナイン君が危なくならないように頑張るから」


思わず緩んだ口元を、目の前の天使が見ているような気がして少しだけ恥ずかしくなった私は、ナイン君を押しのけて階段の先へ向けて再び足を踏み出した。「ナマエ、その」「なに?」戸惑ったようなナイン君の声に、振り返るのはやっぱり気まずいし、恥ずかしい。「…ナマエがそう言うのであれば」「……今はそれでいいけど、いつかはナイン君の意思で動いてね」「………」黙り込んだ天使は、何を考えているんだろう。分からないなりに、私は彼をしっかり見ておかねばなるまい。


**


「あれがボスの間?」
「…ええ、恐らく」


こくり、とナマエが喉を鳴らすのが聞こえた。目の前に漏れる光が出口を象っていて、獣の唸る声が聞こえてくる。…ハヌマーンは愚かな頭。だがしかし愚かと言えど神の一部だったモノだ。それがこのように唸るだろうか。冒険者を悠然と待ち構えているとは限らないのか。ナマエを見れば彼女は緊張を顕にしていて、首筋に汗をかいていた。…そんなに恐れるものだろうか。……そういえば黒竜丸と戦ったと、


「あのさ、ナイン君」
「…どうしました?」
「掴んでて、いいかなあ」


顔だけ振り返って、僕の服の裾を掴んだナマエがだめかな、とこちらを見上げてくる。――一瞬脳裏を過ぎった言葉をそのまま口に出していたら、彼女はどんな反応をしただろう。「…大丈夫ですよ、守ります」「だから――」「今、自分の意思でそう思いました」言葉を遮るとナマエがぱちぱちと目を瞬かせたのが見えた。それはずるいよナインくん、小さく呟かれた言葉は耳に入れど意図は分からない。彼女は小さく僕の服を引き、光の漏れるハヌマーンの間へ踏み出していく。ナマエの表情は何かに怯えているようで、声を掛けるのを躊躇わせる。ハヌマーンと目が合うまであと三歩、二歩、一歩、


「……えっ?」


最後の一歩で、ナマエが足を止めた。どうしたんですか、続けようとした言葉は結局、酸素に触れることはなかった。目の前に迫る炎の球体からナマエを逃がすために、気が付けばナマエの手を振り払って突き飛ばしていた。メラゾーマの炎に包まれる瞬間、広がった炎の隙間から覗いた背の高い男の影と、巨大な鎖で囚われたハヌマーンの姿と、目を見開いたナマエが視界に映る。――使命なんかじゃない、僕がそうしたいと思ったんです。


Stahl


(2015/05/31)