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「リッカ、ただい……………サンディ?」
「あらお帰りナマエ。丁度アタシ達もさっき戻ったところで……えっ何そのキモチワルイ顔」
「サンディ?ほ、本物!?サンディ!?」
「…や、やだ。やめなさいナマエ。アンタなんか変――」
「サンディーっ!!」
「む、無理!マジで無理!絶対絶対無理だからァ!キャーっ!?」


**


「本当、無事で良かった。何かあったらどうしようって…」
「アンタねえ、そっちのが大怪我だったって聞いたわヨ」
「私なんて別にどうでもいいよ。……もう思い出したくもない」


抵抗するのを諦めたと言わんばかりのサンディを胸元に抱きしめて、リッカの淹れてくれた紅茶を一口。「な、何があったのよアンタ…」やけに心配そうに見上げてくるサンディに、まさか乙女の純情を踏み躙られたんですなんて言えるはずもなかった。やましい気持ちが無かったって本人が言ってるんだし、うん、気に…しない!しない!でも気になる!
……ぶんぶんと首を振って、ククールのことを頭から追い出す。「で、サンディ」「何」肩をすくめてそっぽを向いた、サンディが逃げ出そうとするのを手のひらで阻んだ。


「どこに出かけてたの」
「……なんで一々報告しなきゃなんないワケ?」
「私、すごく心配したんだよ」
「………………」


…本当に、死ぬほど心配したのだ。私がここに居て、戦おうって決めたのはサンディが寂しそうにするからで、この子を親友に引き合わせるために私はいる。「ミネアに伝言頼んどいたでショ」「聞いたから、一応は安心したけど…」……本当に心配だったの、と息を吐き出せば、サンディは気まずそうに身をよじって、くるくると指先で髪を弄んだ。


「…本当に、ヤボ用よ。アンタは魔王を倒すってことだけ考えてれば?」


目を逸らして、でも言わない、と確固たる意志を瞳に浮かべたサンディは私の腕からするりと抜け出して客室の方へ飛び立って行く。待って、と言わせてもくれないぐらいに素早いピンクの光はすぐに視界から消えてしまった。「ナマエ、何かあったの?」カウンターに立って帳簿を付けていたんだろう、顔を上げてこちらを見たリッカが不思議そうな顔をした。サンディが見えないリッカからは、私がいきなり立ち上がったように見えたんだと思う。なんでもない、と首を振ってみせてからテーブルに再び座り直した。


―――そういえば、見当たらないけど他のみんなはどこに行ったんだろう。


「……どうすればいい、かな」


なんだか眺めるのも随分久しぶりな気がする水晶玉を取り出して、中で眠る少女たちの姿を見つめた。格闘家の少女と、僧侶の少女と、魔法使いの少女。それから私とまったく同じ顔立ちの、天使の翼を捨てさせられた勇者。魂の抜けきってしまった空っぽの、入れ物だけの体みたいにぴくりとも水晶の中で動かない四人の少女の姿は心をぎりぎりと締め付けた。……この子たちを育ててきたのは私だ。誰よりも強く、私はこの子たちに執着しているんだろうと思う。

ベクセリアを出る前にアルスとククールから返してもらった袋を漁った。宝の地図の束を取り出して、王宮の情報屋から取り返したバラモスの地図を広げてみる。…船だとしばらくかかるかなあ…サンディがまた勝手に方舟を使わないうちに、方舟でここに行ってみようか。


「…リッカ、なにか軽食とか食べちゃダメ?」
「もうすぐお昼ご飯だから、飲み物ぐらいで我慢して」
「うう、ケチ」
「ケチで結構よ。で、何飲む?」
「……じゃあ、紅茶のおかわりにする」


**


「よろしかったのですか」
「何が?」
「……別に、言ってしまっても良かったのでは」


気まずそうな顔をするナインをじろりと睨んでやると、すみません、と謝罪が返ってきた。「覗きは趣味が悪いと思うケド」「…聞こえただけです」さらり、とかわされた事に関しての苛立ちはない。気配は感じていたし、声は聞こえているだろうと思っていた。ナマエは多分、アタシに夢中でそんなことに気がつかなかったと思うけど。

とにかく無神経なナインに、一発蹴りをかましてやりたいと思いながら向き直ることにする。「言わなくていいのヨ」ふん、と鼻を鳴らしてやると不思議そうな顔をするそいつの背中には翼がある。"ナマエ"が見たら、きっと心から羨ましがるんだろうと考えながらそれを見つめた。「どうして言わないんですか」「アンタ、理解が遅い」ぴしゃりと言い放ってやると、もう一度さっきと同じトーンのすみません、が返ってくる。

もういい。ナインなんか、連れていくんじゃなかった。「…魂が同化してる、なんて言えるはずないでしょ」「……そうでしょうか」当たり前でしょう!と叫びそうになるのをぐっと堪えたのは、階段のすぐ下の酒場にまで、声が届いたら困るからだ。事実は事実のまま、伝えた方がいいと言うナインに黙っておきたいアタシは圧力をかけて黙らせている。


ナマエが魂だけでこの世界に来たということは、ナマエの魂に押し出された"ナマエ"の魂がどこかにあるはずだった。ナマエの不思議な力のそれらは、"ナマエ"の記憶が体に染み付いて緊急時に引き出されているのだろう、と。聞いたこともない力があったけれど、多分異世界的な共鳴で引き起こされた超人的な力だろうと思っていた。

だから"ナマエ"の魂がどこに行ったのか、探すためにわざわざ天上に昇って世界を駆けたのだ。方舟を長いあいだ走らせたし、流石のテンチョーにも小言を言われた。でもやっぱり、世界のどこにも"ナマエ"の魂は見当たらない。…あの水晶玉の中にある"ナマエ"の体は魂を入れられるだけ大きくないから、やっぱり同じ人間が同軸同時間に存在することは出来ないんだろうとアタシは考えている。


――この世界にある、"ナマエ"の体は一つだ。

――魂と体は、繋がっている。


ひとつの体にひとつの魂。時に例外はあるかもしれないが、それでもこのルールは絶対だ。じゃあ、ひとつの体に二つの魂を詰め込んだらどうなる?アタシは混ざり合って、離れないようになるのだろうと考えている。多分、それは正しいのだと思う。

今この下、酒場で紅茶をすするナマエをアタシはほとんどと言っていいほどに知らない。アタシが知っているのは"ナマエ"であり、"ナマエ"とナマエは性格だって大きく違う。それでもアタシがナマエに不快感を抱かず、むしろ好意をもって接することが出来るのは…ナマエ本人の人柄もあるんだろうけど、やっぱりナマエの中に"ナマエ"がいるからじゃないかと思うのだ。――今はナマエの方も好きになったけれど。でも最初からあんな風に見知らぬ人間と会話を出来るほど、アタシは出来た妖精じゃない。



「ナイン」
「…なんでしょう」
「知ったら、"今のナマエは傷つくと思うから"、アタシは黙ってる」
「……………」
「それにね、混ざるって言っても元に戻らないほど完全に混ざるなんてアタシは思わない」
「……どういうことでしょうか」
「同じ人間でも、あの子達は完全同一の存在じゃない。存在する世界の違いがある」
「…つまり?」
「水と油は完全に混ざったりしない、ってコト」
「確証は?」
「無いケド」


はあ、とナインが溜息を吐いたのが見えた。なによ、確証はないけど根拠ならあるわヨ。「あのねえ、アタシはお姉ちゃんが"ナマエ"を犠牲にすることは無いって思うし」「…それは」「そうでしょ?」ナインの本当の主人、お姉ちゃんの名前を出すと渋々ながら目の前の天使は納得したように頷いた。「じゃあナイン、さっさと降りなさい」「え、」「ナマエよ。さっき会ったゼシカがバラモスの地図、とか言ってたでショ」「ああ、そう言えば」今思い出した、と言わんばかりのナインを思いっきり睨みつける。


「早く行きなさい!知らないうちに、ナマエを一人で魔王のとこに突っ走らせたなんて言ったら、アンタを解雇してやるんだから!」



つんでれーしょん


(2015/02/04)