52


―――そもそもの話、私はどうしてここまで彼らに信頼されようと必死になっているのだろう。


「ナマエ、まだ行かないの?」
「……ちょっと待って、今着替えてるから」
「っええ!?あああごめん!」


部屋の外かたぱたぱたとアルスが走り去っていく音が聞こえた。実際、着替えはもう終わっている。……アルスに嘘をついたのは、自分のなかに浮かんだ疑問にどうしてだろうと本気で考え込んでしまった自分に驚いたからだ。いくら大好きなゲームの世界の中だと言えど、死んでしまえば私の命はそこで終わり。まだまだやりたい事は確かにこちらの世界ではなく向こうの世界にたくさん残してきてしまっている。今からでも、帰りたいと無理を言えばすぐに帰ることが出来るかもしれない。

――そこまで考えてああ、と自分の口から声が漏れるのが分かった。「嫌になったらすぐ帰れる、なんて思ってるんだ…」放棄して逃げることならいつだって出来る。そして確信に似たものは、私のなかに微かに残っている。一番最初に帰宅の選択肢を与えられたせいで、ぼんやりと頭の隅には遊び半分(ゲームの中という点では遊びに似たようなものなのかもしれない)の気持ちが残っているようだった。それに気がついたら、私が甘い考えを捨てていないことをようやく自分で自覚できた。"彼ら"とは違う世界を生きてきたんだと実感してそして自分に呆れる。同じ土俵で戦うなんて、私は自分が恥ずかしくないんだろうか。

――帰ならければならない場所が、私にはあるのだ。

目的さえ達成することが出来れば、私は家に帰ることができる。ぼんやりと浮かんだのはここ最近、あまり考えることがなかった家族のことだった。今頃私はきっと心配されているんだろう。いや……もしかしたら家に帰ったらきっと私は朝を待っているベッドの上にいるかもしれない。ここでの時間は一瞬にカウントされる可能性だってある。そもそも、これが夢じゃない可能性なんてきっと誰にも否定できないはずだ。

そう、少しリアルな夢。魔物がいて、切り裂かれたら血が出て、――ドットやポリゴンでしか見ることのできなかった、自然に溢れた"あちら"とはまったく違う世界を冒険出来る素敵な夢。いくつもの世界が繋がって、勇者とその仲間が集う。私は集う仲間の中心となる勇者の一人で、与えられた使命のために戦うんだ。きっと最期に喝采を浴びて、姿をくらましたら伝説になる勇者。"あちら"で平凡な女の子だった私が、ヒーローになれるチャンスを神様が、夢の中で与えてくれただけなのかもしれない。


「……ああもう、だめだって!」


ふるりと首を振って、部屋のドアノブに手をかけた。いつでも帰ることが出来るという考えを捨てられはしないけれど、それをすれば恐らく私はこの全ての世界を見捨てることになるんだろう。全ての世界と、それから友達を必死で探す小さな小さな、本当は淋しがりの優しい妖精を。見捨ててしまえばもう二度と、私は向こうでゲームに触れることができなくなるんだろう。罪悪感に押しつぶされて、知らないふりをしたまま生きていくうえでずっと後悔を引きずるんだ。

――今ここにその妖精はいない。水晶玉は相変わらずきらきらと輝いて、小さくなった女の子達を閉じ込めている。その中に、私の姿にそっくりな女の子もいる。死んでいるかのように目を閉じて、ぴくりとも動かないその姿。「…ね、早く起きてよ」私が思うように動くこの小さな元見習い天使は、間違いなく私の分身で私だけの勇者で。強くて。……その強さは、育てた私が一番よく知っていて。


「……ねえ、起きてよ」


縋るように水晶玉を撫でても、閉じ込められた少女達はぴくりと反応さえ返してくれない。



あなたがいないと意味がない世界

(2014/05/02)





―――どれぐらい、時間が経ったんだろう。

がちゃりと音がして、ぼんやりと水晶玉の中の"ナマエ"を見つめていた私ははっと顔を上げた。音のした方を振り向くと、扉を開いた人物が目に入る。――テリーだ。


「……なあ、そいつがお前の"助けたい"やつか」


すぐに私から目を逸らしたと思えば、テリーは私の手の上の水晶玉を見つめてそんなことを言い出した。何かに縋りたくてたまらない気分だった私は考えないまま、無意識に首を縦に動かしていたらしい。部屋の扉を閉める音がして、テリーが私の傍にやってきて屈んだ。水晶玉を覗き込んだテリーの目が一瞬だけ見開かれ、すぐにいつもの鋭い目に戻る。沈黙は気まずい。何か喋らなければ。


「…ここにいるのはね、"この世界"の私なんだ」
「……」
「私はね、…この世界の自分を助けてあげたい。でも怖いんだよ、この子とずっと一緒にいたのに、私はこの子に理想を押し付けて強くしたのに……私はこんなに弱いから」
「……」
「サンディはこの子を求めてる。私じゃない。同時に、出来ることならきっとセレシア様だって…誰だってこの子を求めてるんだよ。私じゃない。私は救済措置であって、ただの代替え品であって、……この子の代わりにはなれないもの。だからサンディはナイン君とどこかに行っちゃったのかもしれない。…帰ってこなかったらどうしよう」
「おい、お前…」
「助けてあげたいけど、私に助けられるのか分からない。魔王だって…私じゃなくて、私はいつだってみんなに自己を投影して魔王を倒してきたんだよ…私は違うの。物語を、完成されたものを追いかけただけなの。本当の冒険をしたいって思ってたけど…弱いし魔法の才能はやっぱり無いし、ステータスだけ引き継いでそれを使いこなせない」
「…っ、おい」
「今からお城に行って、本当に魔王と戦うことになって……それで私が死んだらこの子はどうなるんだろうって…!サンディも、ナイン君もいなくて、だって」
「おい!」
「求められてるのは私じゃないのに、私が、」
「おい、ナマエ!」


不意に、肩に何かが触れた。掴まれてがくがくと揺らされて、手から水晶玉が落ちて床に転がる。「…っ、あ」目を思わず見開いていた。名前を呼ばれて我に返ったと言えばいいのだろうか。今自分は一体何を口走ったのだろうかと頭の中が真っ白になる。

私は今、誰に不安を吐露した?絶対に考えてちゃいけないことを、考えをそのまま口に出した?混乱する頭は目の前のテリーをまっすぐな目線を受けて、ますますこんがらがっていく。「ご、ごめん…!」思わず口をついて出たのは謝罪で、気まずさから私は目を逸らした。まだ出会ったばかりのテリーにどうして、嫌な部分を曝け出してしまったのかわからない。縋りたい気分だったせいだ、と自分を殴ってやりたくなった。偶然現れたテリーにはいい迷惑だっただろう。

今のは忘れて、と口を開こうとしたところで先にテリーが口を開いた。「俺は二度目だ」「…へ?」二度目、という言葉に思わず振り向く。「ああ、二度目だ。姉さんもな。俺と姉さんは小さい頃、精霊に連れられてこんな風に…同じようで違う世界に飛ばされたことがある」随分古い記憶だが、とテリーが続けたことによって私はテリーがモンスターズの主人公であったことを思い出した。


「お前のことは正直よく分からなかったが…姉さんがお前と話すように勧めたのには理由があったんだな。俺があの時姉さんを助けるために旅の扉を何度もくぐったように、お前もそいつらを助けるために…俺たちの力を集めているんだろ」


…言葉をよく噛んで飲み込んで、私は静かに頷いた。サンディが泣いていて、サンディが泣かないためにはこの子を助ける必要がある。この子を助けるためには魔王を倒して呪いを解かなきゃいけない。魔王を倒すには、勇者の力が必要不可欠だ。結果それが世界を救うことになるだけで、私の目的は…そうだ。最初から、あの小さな妖精を助けたいと思ったから。何度も自分の中で確認したのに、何度もそのためにと繰り返したのに。

そういえば誰にも吐き出せなかったっけ。自分の中に吐き出したらそんなの、戻ってくるに決まっているのに。表向きは世界を救うと言っていたくせに……ああ、私は私利私欲にまみれている。そしてそれを知って支えてくれる人はいないと思っていた。信じていなかったのは結局私だったんだ。サンディはおろか、ナイン君にでさえ話すことが出来なかった不安を同じような状況下に置かれたことのあるテリーに話してしまったのは……何か運命的なものでも働いたのだろうか。おそるおそる、テリーの顔を伺う。


「ねえ、テリーはそれを知って怒らないの」
「…それが、俺たちの世界を救うことに繋がるんだろう」
「……そっか」


ゆっくりと顔を上げると、テリーが笑ったような、しかし不機嫌そうにも見える複雑な表情をしているのが目に入った。自分の口元が緩んでいくのが分かる。優しいのに、彼は随分と素直じゃない。「ありがとう、テリー」随分救われた気がする。不安を吐き出しただけで、こんなに心が軽くなるなんて。

これできっともう、不必要に自分のやりたいことを確認する必要はなくなるだろう。元の世界に帰ることを考えながらも、でも遊び半分の気持ちが残っている感覚は薄らいでいた。やりたいことを、やると決めたことを私はやろう。片足を突っ込んだ時点で、もう帰れないことは決まってしまったんだ。世界のためでもセレシア様のためでもない。これは私の自己満足のための冒険であり戦いだ。そうだ、最初から私は決めてたんだ。すっきりとした気分で向こうに帰るために、私は命懸けで戦ってこの子を救って本物の勇者になってみせる!



これが最期のうじうじ回!のつもり。四章から夢主覚醒でお送りしていきます。
テリーさんが引換券から相談役に昇格しました。明らかな贔屓が目に見えますね!