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※流血


――アレフが目を覚ます、少し前。



目の前に迫ったローズバトラーの腕に目を見開いたまま呆けていれば、私は串刺しだっただろう。――でも、そんな情けない最後は絶対に嫌だ!スローモーションで動くような視界の隅で、やたらと重いロトの剣を振り上げた。……タイミングは、完璧。


ざしゅん、と。


刃物がそれなりの物質を切り裂く独特の音が響いて、自分の行動に思わずぞくりと寒気を覚える。しかし自分の身を守る事には成功した。迫っていたローズバトラーの腕は先端だけぱっくりと二つに裂け、緑色の植物の液体のようなものがどろりと流れた。服にべちょりと付着するそれ。そんな事にも構っている暇は無い。


「………今すぐ出ていって、とか……聞いてくれない、よなあ」


ローズバトラーが私に傷つけられた腕をずるずると引きずっているのを見ながら、そんな言葉を投げかけてみたのは足ががくがくと震えて今にも腰が砕けてしまいそうだからだ。昔から、花を摘むのすら苦手だったというのに――弱肉強食が明確に現れている世界だなあ、ここは……弱ければ大事なものを守れない。言葉は魔物に通じない。

しかし、しばらくのあいだローズバトラーは動きを止めていたのだ。もしかして言葉が通じたのか?――そんな幻想を抱けたのは一瞬だけ。一瞬、自分の目を疑ってしまう。








―――――空から降ってきた、真っ黒な一滴の雫がローズバトラーに落ちた。







まるで戦隊ヒーローものに出てくる敵が、カラフルな正義の味方の操るロボットと戦わされるために巨大化したかのよう。そんな風に見えた。あのブルドーガも、こんな風にあんな"異常"な姿になったの?真っ黒な液体がたったの一滴、闇夜の中なのに宝石のように異様な光を放つそれがローズバトラーの体に触れた瞬間。


―――体が宙に浮いた。


え、何、これ。体がどんどん地面から離れて、リッカの宿屋が見下ろせる。自分の口から漏れる声は、あまりの混乱で言葉としての造形を成さない。母音だけが口から微かに出せて、そしてその疑問に応えてくれる声はない。


体に巻き付いた茨付きの触手。


……ローズバトラーの、腕。「っ、!?」認識した瞬間、世界がぐるりと反転した。街の風景が一瞬で掻き消えて、隕石でも落ちてきたんじゃないかというような巨大な音が耳を劈いた。思わず目を閉じていると激しく揺さぶられる感覚。がんがんと痛みを訴える頭。胃の中を引っ掻き回されたようで、吐き気が私を容赦無く襲った。――何が、起こった?


「…………平、原?」


視界に入ってくるのは草と、それからローズバトラーの毒々しい色合いの体だけだ。体は掴まれていて動けない。必死に状況を把握しようと思って周囲をぐるりと見渡そうとすると、視界の隅にセントシュタインの街の入口が見えた。―――このローズバトラー、飛んだ!?いや、こんなに巨大な図体してるのに!?既に大きい体躯をあの黒い液体で更に巨大化させたローズバトラーは平原の中央に着地したらしい。一体何を考え、



………



ふと、嫌な予感というにはあまりにも確信に満ちた考えが頭を過ぎった。それは単なる予感というより、死の危険を肌で感じているかのような――……この腕から逃れないと、やばい。絶対に大変な事になってしまう。死に物狂いで体をよじると、腹部に恐ろしい痛みが走った。あ、そうか、ローズバトラーの刺、か。



「っ、う、い……っ!」



痛い。痛い、そして熱い。でも握ったままの剣を離すなんて馬鹿な事は死んだってするもんか!こんな深夜なんだから誰も助けてなんてくれない。自分の命を守れるのは自分だけだ。こんなところで死にたくない!――思いが具現化するなんてことはないけれど、汗を大量に吹き出した腕の力は強まった。全力を込めて剣の柄を握る、……その瞬間。


――投げ飛ばされた


あ、これが投げられるボールの気持ちなんだとどこか頭の片隅でそんな事が浮かんだ。一応は一般人に分類される、しかもただでさえ非力なまだ幼い私は、ローズバトラーの圧倒的な力に逆らうことすら出来なかった。平原のど真ん中から、恐ろしいほどの力で投げ飛ばされた私の視界の隅に映るのはセントシュタインの街の入口にある、門。


漫画やアニメなら、衝突する寸前で誰かが助けてくれるんだろう。


世界は都合良くなんて回っていなかった。トラックに跳ね飛ばされたかのような衝撃(体験した事がないから憶測でしかないけれど)が走り、私は堅い鉄に叩きつけられた。全身に言葉に出来ない程の痛みが走り、思わず口から液体を吐き出す。―――色は、赤。あ、血、吐いた…?動かせない体。朦朧とする意識。このまま目を閉じたら多分、二度と太陽を拝めないような気がして無理矢理に見開く目の中に血が入った。頭からも血が出てる、のか。あ、私、死ぬ…?











――――それなのに、腕はぴくりと動くのだ。


力の入らない腕で地面に手をつける。体中が痛いなんてものじゃない。今にも飛びそうな意識を必死で繋ぎ止めて、それでも立ち上がるのは手の中に武器を持っているから。平原の中央に鎮座したままのローズバトラーの様子は霞む視界も相まってよく見えない。しかし、地面から突如現れたヤツの触手が私にとどめを刺そうと迫るのだ。


――どこかで聞いたことがある。


あれは、そう……漫画だった。回復魔法は傷と体力を同時に癒せない。もしそれがこの世界でも共通なのだとしたら、私はかなりのダメージを負ったけれどもHPはまだ残っているのかも。じゃあ、まだ戦わなきゃ。いずれ魔王と戦うのだから、この程度で死んでちゃサンディの顔が見れなくなる。


「……っ、かかって、こいよ!」


ふらつく頭を抑えて頭から垂れてきた血を拭った。――勇者は、逃げられない




理屈じゃないそれはなんなのだろうか



(2013/08/03)

体力と傷口の同時治療が出来ない...ダイの大冒険より引用してきました