とその裏話


酷く不可解な光景が目の前に広がっていた。


「…どうしたんだよ、いきなり真面目に勉強し始めて」
「う、うん。今回は流石にまずいから頑張ろうかなーと…」
「こりゃ明日は雷が降るな」
「人が真面目にやってるってのに、水鳥ちゃんったら酷い事言うなあ」
「だってお前、普段サッカーサッカー言ってるやつがいきなり」
「はーい分かった!水鳥ちゃんは英語ペラッペラなんだ!イエスイエス」
「あああ悪かったってば!ムカつくけど英語はお前が頼りなんだよ名前ーっ!」


肩をすくめた名前と、慌てる瀬戸のあいだにある机の上には勉強道具。教科書とノート、それから筆記具といくつかの単語を暗記するためのカードの束。何があったのか思わず目を疑うレベルの光景だ。俺の目には普段、休憩時間とあろうものならそわそわと窓の外を見下ろしてグラウンドのゴールポストを見つめてニヤけてばかりの名前しか視界に入ってこないのけど……おかしなことに今はテストに出て来るであろう重要な単語を、まとめて暗記するために名前が単語カードを作ろうとしている光景が視界に入ってくるのだ。なんだこの異様な光景。俺、寝ぼけてたっけ?あれ?


「…どうした霧野、間の抜けた顔をして」
「いやいや神童、流石の俺もあれ見たら動揺せずにはいられない」
「あれ、って………ああ、あの道具は瀬戸のだろ」
「名前のだ」
「………悪い夢かな」


傍にやってきた神童でさえもそっと目を逸らすその光景は、クラスの大半が見ないようにしているらしかった。名前のことは割と皆、よく知っているからだろうか。割とクラスの奴らには社交的で時折は猫を被る名前だが、名前の性格と成績の偏りは周知の事実で隠しようがない。

…まあ、そんなことはともかくだ。あの名前が勉強をしている。テスト前は隙あらば神童のノートを写そうとする名前が、自分から。しかもここ最近はサッカーボールに足で触れていない。「なあ神童、何があったのか知ってるか?」「いや、分からない」眉間に皺を寄せた神童にまあそれもそうか、と同調した。名前の行動がよく分からないのはいつものことだ。まあ、今回に限っては気味が悪いってのも引っかかって気になるけど…


「ああ、もしかすると昨日…」
「昨日?」
「帰る前だよ。名前が毎回の通り、俺に勉強を教えろと言ってきたんだ……まあ結局、俺が渋ってたら剣城が名前を迎えにきてそのまま別れたんだけどな。でも多分、剣城の影響じゃないか?名前をあんな風にやる気にさせられるのはあいつぐらいだろう」


**


前日、普段は頭を抱えて現実逃避をしている名前が真面目な顔でひたすら問題集を解いていた。当日、合間の休憩時間に単語カードを見返して再確認を行っていた。いざテストが始まった時、時計を確認するためにちらりと顔を上げたその時、答案用紙にさらさらと答えを記入していく名前の姿が確認できた。それは普段とは違う、真面目な表情で思わず心臓がどきりとした。

そして迎えた答案返却日。名前は普段よりも緊張した顔で答案用紙を受け取っていた。同時に張り出された学年順位の結果と平均点の発表。両方を確認し終えた名前は飛び上がって喜んで、はしゃいだかと思えばすぐ静かになって机に突っ伏していた。ちらりと見た時、その顔が赤くなっていたのに気がついたのは多分俺だけだ。


「で、どうやって名前を釣ったんだ?剣城」
「変な事を言うのはやめてください」
「いやいや、あんなメスの顔してたらすぐ分かるって」
「…………」
「あのなあ剣城、俺はお前みたいに物好きじゃないぞ」


一瞬だけ俺を威嚇した後、気まずそうに目を逸した剣城は、数秒ほど置いて溜め息を吐いた。「楽しそうですね、霧野先輩」「まあな!」歯を見せて笑ってやると剣城は再び溜め息を吐いて、頬をほんの少しだけ赤らめる。まったく今日も雷門は平和だ。


「名前さん、普段より全然成績良かったみたいですね」
「お前のところにはまだ報告に行ってないのか?」
「俺の教室の前をらしくない顔で何往復かしてるのは見てました」
「なんだかんだ、お前も結構やるよな…」
「あんな名前さんは貴重なんで注目を集めたくなかったんです」


最近は独占欲を隠そうともしなくなっている剣城に気が付けば笑っていた。「まあ、名前があんな風になるのはお前絡みだけだよ。断言していい」「…知ってます」剣城の頬の赤みは、また少しばかり色濃くなったみたいだった。本当に平和でしょうがない。誰かこいつらを掻き回して面白いことにしてくれないかな、なんて考えたがそんなアテは結局どこにもなかったので、俺は今日も名前と剣城を優しく見守ってやることにする。


(2014/06/06)