事の発端


「名前さん、帰りま………何やってるんですか」
「…名前、剣城が迎えに来たぞ」
「だから本当後生ですから神童先輩どうか私めに…えっ剣城?剣城!?」


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「うん、今からでもなんとかなるよね!頑張る!」
「その調子ですよ、名前さん」


剣城にみっともないところ見られた、と帰り際の道延々と落ち込んだままの名前さんを普段のテンションに戻す作業に慣れつつある自分が少し嫌だったりする。「で、実際どうするんですか?」「……どうしよう私どうしよう……」そしてすぐに落ち込んだ状態に戻せば簡易的な飴と鞭だと霧野先輩が言っていたので実践。これは結構楽しいかもしれない、なんて冗談は置いておいて。


「科学…生物…科学…!」
「数学はどうなんですか」
「数学っ!?やだやだやだ!大っ嫌いだあんなの!敵!」
「国語はどうなんですか」
「まあ、なんとかなるかなあ。数字じゃないし…」
「英語」
「ああ、それはもうペラッペラだから余裕もいいとこ」
「体育」
「何が楽しいって体動かすことだよね!サッカーが一番だけどバスケもバレーも!」
「地理」
「…………」
「科学」
「……やめよう?剣城やめよう?上げて落とすの、ほんとやめよう…?」
「現実を見ましょうか、名前さん」


まさか名前さんをいじるのが楽しいだなんて、思っていても口に出したら恐ろしいことになりそうなのでばっさりと切っておく。冷たい!でもそれがいい!と言い出しているので多分これは逆効果だったんだろう。反省。…まあしかし、この会話で大体のことは察し貰えるはずだ。名前さんは今度の期末テストで、かなりやばい状態なんだとか。

神童さんによると名前さんの成績は、かなり偏っているとのことだった。パラメータ極振りレベルに成績は体育と英語で輝いているのだとか。それはもうぶっちぎりで。国語はそこそこ、上位の下といったところ。問題は数字を使う分野だそうだ。その中でも深刻なのが理数系。クラスでも学年でも常に後ろから数えたトップクラスだと神童さんは苦笑いだった。地理は赤点スレスレだと本人は言うが、果たしてそれは本当なのか。


「ねえ剣城」
「…なんですか」
「明日学校爆発したらさ、テストってなくなるかな」
「爆発しません」
「可能性が絶対ないって言い切れる?ほら、十年前には雷門中を宇宙人が!」
「その事件は結局、宇宙人じゃなかったじゃないですか」
「でも宇宙人はいるよ!」
「名前さん、そんな事考えてる暇があるなら数学の公式のひとつでも」
「ああああやだやだ!剣城が神童みたいな事言う!」
「……前々から思ってましたけど、名前さんって学習しませんよね」
「勉強するならサッカーしてる!」
「そういう意味じゃないんですけど」


手遅れ感を確かに感じながら微笑むと、不思議そうな顔をした名前さんがにこにことこちらに笑顔を向けた。俺に釣られたのかもしれないけど、この人は絶対俺が笑っている意味を理解していない。…なんでこんな人と付き合い始めたのか一瞬分からなくなるな、これは……惚れるって本当に負けだ。

しかし本当にどうするべきか。学年が違うから俺は教えにくいし、神童さんや霧野先輩は自力でやらせろと俺に言ってきた。曰く俺は名前さんを大分、甘やかしているとか。俺としてはそんなつもりは無いのだけど、周囲から見れば十分に甘いらしい。解せぬ。

要は、どうにかして本人にやる気を出させればいい話。名前さんはやれば出来る人だ……と思うし。多分。努力でなんとかしてくれる……と期待しよう。後はやる気を出させるための楽しみがあれば問題解決。努力をするに値する、褒美で彼女を釣ればいいのだ。そしてその褒美になり得るものを、俺は丁度鞄に忍ばせている。本当は普通に渡すつもりだったのだが、どっちにしろ予定を立てるのはテストの後だしちょうどいい。


「じゃあこうしましょう、名前さん」


さっと彼女の手に下がっていた、サッカーボールの入ったビニール地の袋を攫うとあああ!と名前さんが焦った声を出した。「な、なに剣城!…まさかテストが終わるまで…!」「ええ、サッカー禁止にするんです。その代わり…」嫌でも机に向かうでしょう、と言ってやった時には既に、名前さんの顔は困ったような怒ったような、上手く言い表せない表情になっていた。自分の立場は多分、自分が一番よく理解しているんだろう。「……代わりに?」顔を緩め、眉間に皺を寄せた名前さんが俺を睨むように見据えた。口元が緩むのを止められない。



「名前さんが全部の苦手な教科で、平均点以上を取れたら俺が旅行に連れて行ってあげます」



事の発端
(2014/05/26)