ただいま



「ワンダバ、何か酷いことをされた?」
「いや、そんなことはないぞ。多少手荒に放り込まれはしたが、それぐらいだ」
「解体とか、暴力とか、」
「名前……一体どうしたんだ。らしくないぞ?
「でも、私が浮かれ上がってたばっかりに」
「すぐに助けに来てきれただろう」
「……うん」


小さく首を動かした名前が、顔を伏せたまま再びごめん、と呟いた。「だから気にするなと言っているだろう」幼子に言い聞かせるように再び繰り返す。本当に、大したことはなかった。少しここで大人しくしていろと放り込まれた場所がゴミ溜めだったというだけのこと。なのに名前は(何があったのかは知らないが)やけに落ち込んでいた。本人は無意識なのかもしれないが、何度も溜め息を吐いてはじっと自分の足元を見つめている。


「名前、そろそろ着くぞ」


ゆっくりと顔を上げた名前が、うっすらと見える異空間の出口を見つめた。「ねえ、ワンダバ」「なんだ?」「…不謹慎だけど、結構楽しかったって思っちゃったよ。でも今度はもっと楽しい場所に……うん。ワンダバと、みんなと行きたいなあ」ちらりと目線で横を振り向くと、何度も今日はごめんねとしつこいぐらいに繰り返していた名前が口元を少しだけ緩ませていた。


「ワンダバ、私やっぱりサッカーが好きだよ。どうしようもないぐらいに、世界で一番に。だから嘘は吐けないしズルもしたくないし、……限界だって自分で乗り越えたい」
「……ああ」
「負けたくない気持ちで始めたけど、今は…多分相手が良かったんだろうなって思ってる。ワンダバをちゃんと助けられてよかった。……人間は変われるんだって分かったもの。今の私があるのはあの人に…出会いがあったからで、変わったからだと思う。私にサッカーが好きだって気持ちがあってよかったと思う。うん……ごめん」
「どうして謝るんだ」
「上手く言えない。ぐっちゃぐちゃだ……」


次会った時になんて言おう、と名前が小さく呟いたところでキャラバンは異空間から飛び出した。下には雷門中が見えていて、かつて円堂守が仲間と過ごした古い部室が残っている。ただいま、と掠れるような声で名前は微笑んだ。

まるで子供の成長を見守っている気分だ。どこか幼いままだった名前に、今回…私の見ていないところで何か変化が起こったのかもしれない。相変わらずグラウンドではフェイや天馬がサッカーをしていて、しばらくするとこちらに気がついて足を止めた。大きく手を振る姿は帰りを待ちわびていたかのようだった。


「苗字先輩ーっ!ワンダバーっ!どこに行ってたんですかー!」
「っへへ、内緒だよー!それより私もサッカー混ぜてよ!ほら倉間変わって!」
「なんで俺だよ!剣城に言えよ変わってくれるだろ!」
「俺はミキシマックスが出来るんで名前さんに対抗出来ます」
「つまりなんだ、俺はミキシマックスも化身もないから名前に手が出ないと?」
「……」
「無言になるな剣城!」


ただいま


(2014/05/04)



**


…酷く懐かしい夢を見た気がする。

起き上がった瞬間に何故だか異様に頭がずきずきと傷んで、思わず髪の毛をぐしゃぐしゃに掻き回した。これは明らかに二日酔いの影響だ。あー、くっそ…調子に乗って飲みすぎたな。確か昨日は…そう、鬼道ちゃんに飲みに誘われて、佐久間と円堂と…確か染岡が来てるから一緒に飲もうぜ、って集められるだけ集めたんだっけ。

ぼんやりと昨晩のバカ騒ぎを思い出しながらまだ眠たい目元を擦った。記憶が確かなら俺は飲み屋に居たはずなんだが、雑魚寝をしている昨晩の面子を見るにおそらくここは誰かの家だ。周囲に転がっている生の空き缶の残骸は多分、二次会だか三次会だかの名残り。ちらりとあたりを見渡すと視界の隅にセットされてない髪の毛が映る。一瞬ぎくりとするが、よくよく見ると髪の毛をセットしていない飛鷹だった。相変わらずこいつの寝起きの姿は目に悪いと思う。一瞬妖怪に見えなくもない。ガタイもいいしな。飛鷹の隣は…ああ、染岡か。こいつは元々老け顔だったからか、今でもそんなに顔が変わっていないように見えるんだよな…羨ましいんだか羨ましくないんだか。


「…起きたか、不動」
「あ?あー…おはよう鬼道ちゃん。ここ誰ん家?あと今日何曜日?」
「ここは円堂の家だ、恐らくな。それから今日は日曜日だから安心しろ」


ところで俺のサングラスを知らないか、と珍しく目元を晒した眠そうな顔の鬼道ちゃんが目の前を横切る。日曜日。予定もない、至って普通の休日。俺がうなされてたってのは…まあいいか。とにかく日曜日ならゆっくりできる。「まじか、安心……円堂の家?」え、まじで?っつーことは朝飯とかは必然的に、雷門の、飯……「鬼道ちゃん」「なんだ不動」「雷門っつーか、いや正しくは円堂だけどよ…」起きてんの、と恐る恐る聞くと鬼道ちゃんの動きが止まった。錆び付いたロボットみたいな動きでゆっくりと、鬼道ちゃんがこちらに顔を向ける。


「今は何時だ、不動」
「…六時半」
「十分で全部片付けるぞ」
「任せろ鬼道ちゃん」


飛鷹の頭を跨いでその先に転がっている空き缶に手を伸ばした。なんだ、と小さく呻くように飛鷹が前髪をゆっくりと掻き分けて目を開く。「おい不動…朝からうるせえぞ」「おい飛鷹お前も手伝え。雷門の料理を食いたいんなら寝てろ」多分雷もおまけに付いてくるぜ、と飛鷹に返しながら即座に缶を鬼道ちゃんに投げる。転がっていく音はしなかったから多分、綺麗にキャッチしてくれたんだろう。やがてしばらく、目をぱちぱちとやっていた飛鷹が目を見開いた。仕込み、と小さく呟いたこいつはどうやら休みではないらしい。



やがて五分経つ頃には、部屋は随分と綺麗になっていた。「…あとはこいつらに任せるか」壁山なら寝起きでも俺たちの分ぐらい食えるだろ、と言うと未だ眠りこける壁山がううんと小さく唸って寝返りをうった。その隣に居た円堂が重そうに小さく呻く。


「そういや不動、お前随分うなされてたな」
「は?」
「俺も聞いた。お前、誰かの名前を呼んでいただろう」
「誰かの名前…?」


思わず指先をこめかみに充てていた。――確かに、夢を見ていた気がする。脳裏を過ぎった笑顔の、誰か。そいつに、俺はなにを言おうとしたんだっけ。