王子様を待っている


「名前さんって、なにが好きなんでしょうか」


目の前の倉間先輩ははあ?と怪訝そうに眉を潜めた。「…そんなの決まってるだろ。サッカーと空野と一年と、それからお前」いきなり呼び出して意味分かんねえ、と怪訝そうな顔をする倉間先輩に首を振った。「違うんです、そういうことじゃなくて」倉間先輩が言っているのは共通認識であり、俺の知りたいこととは違う。

そもそもそんなこと、知らなくても嫌というほど知っている。名前さんは円堂監督も認めるサッカー馬鹿で、実力だってそれなりで、女子の中でも空野を溺愛している。あと自分よりも年下に甘い。それから俺の前でだと、他のやつの前では見せないような―――まあ要するに、可愛らしい女の子になるのだ。それは知っている。知っているのだけど。


「例えば好きな食べ物とか、好きな動物とか、好きな音楽とか」
「え?お前知らねえの?」
「……………」
「……悪かった」


無言で倉間先輩をじいっと見つめてやると、気まずそうに目を逸らされた。「あいつ、お前の前だとサッカーかマネジばっかりだもんなあ…」色気の無ぇ女、と呆れ気味に呟かれた言葉にそれは違いますと心の中でだけ反論しておいた。口に出しでもしたらいじられるのは目に見えている。色気のある名前さんなんて、見るのはきっと俺だけでいい。

とにかく、名前さんの好きなものを知りたいのだ。「…剣城、お前結構苦労してんな」「あ、分かりますか?」「どうせアレだろ、どっか出かけようだの遊びに行こうだのって連れ出しても結局サッカーサッカー空野空野言ってんだろ」流石倉間先輩。大体全部合っている。


「名前さんがサッカーを好きなのは分かりますし、話も盛り上がるから良いんですけど」
「ああ…悪いなうちのバカが…昔は結構大人しくて泣き虫だったんだがな…」
「え?」
「とにかく剣城は、名前の好きなものを知ってそれで釣りたいわけだ」
「まあ、そうなります。……結構大人しくて泣き虫…?」


非常に気になる単語があったものの、話が逸れそうなのでひとまずは頷いておく。しかし、あの名前さんが泣き虫だったとは…にわかに信じ難いが興味をそそられたのは事実。そしてそれは顔に出ていたらしく、その辺は今度話してやるからと倉間先輩が呆れたように笑った。名前さんは割と自分の話をしないので、とてもありがたい。


「で、何だっけ。あいつの好物?」
「はい。何でもいいです、サッカー以外で」


頷くと、倉間先輩はそうだな、としばらく俯いて考え込んだ後に顔を上げた。「サッカー以外ってなると俺もあんまり意識したこと無えけど…ああ、飯は洋風より和風が好きだな。普段はあんまり見せてないだけで、結構和柄の小物とか好きだぞあいつ。名前は昔から婆ちゃん大好きなんだよな、だから影響受けてるんだと思う。冬場あいつの水筒の中身絶対緑茶だし。動物は基本的になんでも好きだろうけど、大型犬とか目えきらっきら輝かせて見てるな。…ああ!それから、」そこで一旦言葉を区切った、倉間先輩の口元がにやにやと緩む。


「その泣き虫だった頃なんだけどさ、あいつの夢って"お姫様"だったんだぜ」


**


「で、私がシュートしようと思ったら天馬君が下がってきてて……剣城聞いてる?」
「………」
「…おーい剣城?ちょっと?ね、ねえ?」


目の前でひらひらと踊る手の平をしばらく目で追いかけて、横を向くと名前さんが珍しいものでも見るような顔で大丈夫、と問うてきた。懐かしいなー、とぼやいた倉間先輩の声が頭の奥で響く。目の前の、この人の。小さい頃の夢が!俺が知る限りで最も有り得ない組み合わせ。名前さんがお姫様?まじかよ、という感想しか出て来ない。

失礼だろうがなんだろうが、まっったくイメージにないのである。『相当昔の話だぞ?でも着てたのは毎日ふわふわヒラヒラしたワンピースだったし、誕生日とかには写真館でほら…写真撮ったりするだろ?あれでドレス着た時、相当嬉しそうに"王子様は来てくれるかな!?"って俺に聞いてきたんだよな…超可愛かったから覚えてる。まあ今はその可愛さも完全に消え去ってるけどな!』最期の方は半ばヤケになってしまっていた倉間先輩の言葉を思い返して再び名前さんを見つめてみる。…あれ?名前さんの顔が近い?


「わっ!」
「っ、」
「ひひ、変な顔!ほら剣城しっかり!病院もう目の前なんだから」


目の前ではじけるような音。顔の前で手を叩かれたのだと認識するまでに少しかかった。「あー、今日は面会時間ぎりぎりだねえ」示された指先の方を向くと、いつもの稲妻総合病院。


「珍しいね、剣城がぼーっとしてるなんて」
「そうですか?」
「うん。…ちゃんと休んで疲れ取ってね。無理しすぎないで」


悪戯っぽく笑っていた名前さんは少しだけ寂しそうな顔をした。「今度の日曜日はゆっくりすると良いよ、剣城。最近いつも私に付き合って貰ってるもんね」疲れてる時は疲れてるって言ってよ、と小さくぼやいた声に反応するのが遅れたのを、名前さんは聞こえていないと取ったようだった。…まさかとは思う。まさかとは思う、けれど。


「あの、名前さん?」
「それじゃ剣城、また明日練習でね!午後までゆっくり休むんだよ!」
「いや俺は疲れてるんじゃなくて、」
「優一さんによろしくねー!」


俺の声を遮って、走り去っていった名前さんの背中はすぐに見えなくなった。たらり、と嫌な汗が首筋を伝う。小さい、しかし厄介な誤解が俺達の間に生まれたようだった。




続きもの。安定の誤解ネタ。
(2014/04/13)