異常事態が発生したようで


ついにやってきた練習試合当日。

当然、気合を入れてサッカー棟へ足を踏み入れた俺は、少し緊張しながらミーティングルームの扉の前に立っていた。……名前さんと顔を合わせるのが少し怖い。正直、気まずい。でも今日、俺は勝たねばならないのだ。負けた状態で、言葉を貰いたくない。でも先延ばしはもっと嫌だとそう思う。

だからこそ覚悟を決めて、一歩を踏み出した。機械音が耳に届く。俺を一瞬で認識して開いた扉の先へ足をもう一歩。「おはようございま……」――言葉はそこで途切れた。


「剣城っ!ど、どう、どうすればいい俺は!?」
「へ、あ、神童さん!?なんでそんなに、混乱して、…るんですか!」


踏み込んだ瞬間飛びつくように俺に迫ってきた神童さんが、いきなり俺の胸ぐらを掴んだ。しかも若干涙目で。がくがくと揺さぶられるが俺は訳がわからない。よし誰か説明してくれちょっとそこの霧野先輩とか!ほら早、「おおおお落ち着け神童!こ、これはきっと何かの間違いで」…あ、あの霧野先輩が恐ろしいものを見るような目になっている、だと…?一体何が、


「たたたたたたっ、大変だよ剣城!苗字先輩が!苗字先輩が!」
「薬!薬飲んでたの!苗字さんが薬を!箱から出してっ!」
「錠剤を水で飲み干したんだ!苗字先輩がーっ!」


――瞬間、体に走った戦慄をどう例えようか。

別に言葉だけ聞けば別段何の変哲もない普通の光景だ。俺に駆け寄ってきた半涙目の天馬と空野と信助は、何故そんなことで驚いているのかと普通なら思うのだろう。しかし相手は名前さんである。あの人は傷を舐めて治せる人である。「倉間なんか、苗字が薬飲み干した瞬間に卒倒したっちゅーの…」「……苗字さん、運動神経おかしいですから…二階の窓から飛び降りたり校舎よじ登ったりする人ですから…」震える浜野先輩と速水先輩の視線の先には、横たわって唸っている倉間先輩。


「……な、何の薬だったんですか?」


風邪薬なら(言ってしまうのには罪悪感があるが)……名前さんすら床に伏せさせようとするレベルの悪病ということになるだろう。恐る恐る振り返ってみると、非常に青い顔をした瀬戸先輩が俺からスッと目を逸らした。「か、風邪薬…ではなかったんだけどな……」そこでちらりちらりと、周囲に視線を飛ばす落ち着かない瀬戸先輩に違和感を抱く。俺に言うのが気まずそうなその様子に、更に聞きたいという気持ちが高まる。名前さんに一体何があった?「教えてください」真っ直ぐに見据えると、渋々瀬戸先輩がこちらに向き合った。一拍置いて、瀬戸先輩の口が開く。


「…い、胃薬って書いてあった」


**


「……ふう」


ことん、とコップの音が響いた。休憩室の棚に洗ったコップをきちんと直し、棚を閉めたらもう何度目か分からない溜め息。騒ぎ立てられているなんて露知らず、小さなシンクにごつんと頭をぶつけてやった。痛い。……痛いけど、きっと薬が効けば痛みなんて感じなくなるはずだ。


「無理……ほんっと無理……」


自分は恋愛に向いていないのだと、しみじみそんなことを実感した。普通の練習試合。本当に普通の練習試合。普段なら試合に出してくれ出してくれと神童に迫ってばかりだったのに……こんなに動揺して混乱して恥ずかしくて、今すぐ帰って布団に潜り込みたくなっている。誰の目にも触れたくない。こんな自分を知りたく無かったと思いつつ、―――でもやはり、剣城が勝つことをひたすらに望んでいる。私が気持ちを伝えたい相手は決まっているのだ。冗談半分、その場のテンションで吐き出してしまった(きっとそれは心からの)願望を叶えてくれた、――好きな人に。


「あああああ…でもやっぱお腹痛い……」




突発的な異常事態がやってきたようで

(みんなー、そろそろ月山国光が……)
(お、おい名前!大丈夫なのか息はしているか死んでいないか!?)
(神童なんで錯乱してるの?)
(錯乱せずにいられるか!)
(なんで!?)

(あいつが胃を痛めるなんて一体どんな悪病なんだ…!)
(よくわかんないけど、私馬鹿にされてない?)

(2013/12/21)

最後ののんびり回。ほんとはボツだったけど余裕があったので挟んでみた。