教えてくれるのならば
※剣城視点


「「「「………………………」」」」


沈黙。静まり返った夜景の美しいホテルの一室は沈黙で満たされている。
一人は優雅に紅茶を呑み、一人はにこにこと…いや、ニヤニヤと正面に座る二人を見つめ、一人は顔を真っ赤にして俯いたまま顔を上げない。時折漏れてくる呻き声がやけに人間味に溢れていて、思わず苦笑してしまうほどだ。


「………ばか。剣城のばか。ばか」
「俺は馬鹿じゃありません」
「………………知ってる」


「私が一番バカだ」と呟いた先輩の声は、先輩のお父さんがカップをテーブルに置いた音にかき消された。「この子が普通の女の子みたいだなんてねえ」口元が緩んで戻らないのだろう。心底楽しそうに先輩のお母さんは笑う。


「剣城君、あなたよくこの娘に告白なんてしたわねー。……尊敬するわ」
「母さん酷くない?ねえそれ酷くない?」
「こんな娘だが、まあ……覚悟があるのなら貰ってやってくれ」
「父さん!?ちょっと何言い出してるの!?」
「……先輩……可哀想ですね」
「うるさい!」


本気でこの人が哀れに思えたので手を合わせると、一度は顔を上げた先輩が再びテーブルに突っ伏した。「もうやだこんな両親…」いや、美男美女で良い両親じゃないですか。先輩の顔"だけ"がやたらと整っている理由が分かった気がする。性格は突然変異だと思うが、スタイルだけなら10人中10人が褒め称えるだろうし。「あら余裕ね?……名前ったら良い男捕まえちゃって」少しばかり心に余裕が生まれた瞬間、きらり、と苗字(母)の目が光る瞬間を俺は目撃してしまう。


「で、剣城君!君本気なの?」
「………っ、本気、です」
「〜〜〜〜〜〜ッ!!!!」


ぷしゅうううう!とばかりに先輩の頭から蒸気のようなものが出る幻影が見えた。「っ、認めるなこの……!」まるで勇者にダメージを与えられた魔物のように、苦しげな声を上げる先輩の顔はただひたすらに真っ赤で、この人のこんな可愛らしい顔を俺は見たことがなかったから本気で驚いてしまう。そう、名前さんの反応は本当に素直で初心な反応で――「……もしかして、先輩って恋愛経験とか、」「無いよ!あるわけないでしょ!?サッカーと可愛い女の子が私の恋人!」手で顔を覆い隠したまま、百合発言にも取れる叫びを発する先輩の指から覗く目には少しばかり涙が溜まっている。


「ごめんねー剣城君、この子顔はいいんだけど中身がねー…」
「親として恥ずべきか、むしろ誇るべきなのかどちらだと思う?」
「お、俺に聞かれても答えようがないです……けど、」


好きな人の両親にサンドイッチされ、その気まずさに思わず目を逸した。目線を落とすと、もう湯気の出ない生ぬるい紅茶が置いてある。その水面に映る自分の顔はただひたすらに真っ赤なのだ。――なら、もうこれ以上赤くなることもない。


「俺は、名前さんの性格は嫌いじゃないんです」


「好きとは言ってくれないんだ」と恨みがましい声で呟いた先輩の声は、聞こえないふりをして無視しておいた。わざわざ答えるまでもない。


**


「……………は?」
「だから、私は両親にこの書類のサインを頼みに来ただけなの」


すん、と鼻を鳴らしながら先輩がキャリーから取り出したのは一枚の書類だった。「"フットボールフロンティア・ビジョン2 選手登録"…」「そ。聞いたら『必ずご両親の許可を貰いなさい』って言われちゃって。でもおばあちゃんは私がサッカーするのあんまり良く思ってないから…」

なんと、先輩は黙って家を出てきたらしい。「じゃあ道路工事のやつは、」「は!?何で剣城それ…!?」「うちの近所だったんです」「…マジでか」うわあ、見られたのが剣城で良かった…と本当に安堵の溜め息を吐いた先輩は、久しぶりに俺に顔を向けた。「ここに飛んでくるまでの飛行機代。サッカーやりたいんです!って言ったら雷門理事長も火来校長も苦笑いで許可してくれたの」バレなきゃ犯罪じゃないんですよ?とにやりと笑う先輩に釣られて俺も笑った。


「"道路工事"?……何も言わない方がいいのか」
「名前なら大丈夫でしょう。馬鹿力はあなたから引き継いだんですもの」
「「馬鹿力って言わないで(くれ)!」」
「ま、まあまあ……」


「ちょっとだけ気にしてるんだからね」と不貞腐れたように呟いている名前さんに、またも衝撃を受けてしまう自分。「気にしてたんですか…!」「剣城、そんなに驚いた顔しないで」傷つくんだからね、と俺にだけ聞こえる声で、頬を少しだけ染める先輩。衝撃である。比喩でなく今日は驚きの連続だ。「先輩って普通の感覚持ってたんですね」「うるさい!」ほら、こんな風に。子供のように感情を剥き出しにする彼女は本当に目に新しいと思う。「……剣城のせいで調子が狂う……」俺を睨んでくるその目には敵意を欠片も感じられないから思わず口が緩んだ。「笑うな!ばか!」再び突っ伏す先輩は――いや、名前さんはまた頬を染めていた。


「ふふ、ご馳走様。そろそろいいかしら?」
「っ母さん!別に私と剣城はそういう関係じゃ、」
「後にそうなるんでしょう?えっ違うの?」
「〜〜〜〜っ、分かんないよそんなの!」


顔を跳ね上げ叫んだ名前さんの言葉に、少しちくりと胸が痛んだ。「……先輩、俺の事嫌いなんですか?」思わず漏れた俺の声に、ばっと振り向く名前さん。「違う!そういう意味じゃなくて……剣城のことは大好きだけど、そういう意味じゃなくて!」「ッ」唇を噛んだ。そうか、俺は――恋愛対象に見られていない。早まってしまったのか?その場の勢いに流された告白だったかもしれない。じゃあ、俺は――「分かんないの!」顔を俯けていると、肩に手が触れる感触。恐る恐る、ゆっくりと再び頭を持ち上げる。


「……恋愛なんてしたことないの。だから、恋なんて感情が分かんない」


彼女は必死だった。「私の見た目も中見も全部、認めてくれる人なんていなかったの」顔は普段の白い顔から想像も出来ないくらいに赤かった。「"好きだ"って言ってくれる人はいたけど、それは私の見た目だけを見ているって分かったから、」普段の私を見せたら誰だって逃げていくのだと。

――ああ、この人は俺とひとつしか変わらないんだ。一つ年上なくせに、なんだ。普段の態度とは裏腹にこんなにも臆病な顔が出来るのだ。「剣城、」「……なんですか」「一つだけ言えることがある。剣城の事は大好きだけど、私の剣城への"大好き"は剣城を親友だと思う"大好き"なの」ぐさり!と心に巨大な出刃包丁が食い込むようなイメージを伴った痛みが心臓を突き刺す。――が、すぐにその痛みは消えた。


「――剣城が、私に恋を教えてよ」



ねえ、教えてくれるのならば

(私の全部を剣城にあげると、彼女は言った)

(2013/06/15)