「ねえねえ兄さん、」


カーテンの隙間から差し込む朝の光。痛みを訴えてくる頭。それから、見事に健やかな寝息。

何かの物音にゆっくりと目を開いていく。――見覚えのあまりない天井だった。いや、どこかで一度二度見たことがあったかもしれない。でも今はそんな事はどうでも良かった。視界で確認出来るだけで、かなりヤバい状況だということが分かる。自分の背に余るベッドに寝ている時点で相当ヤバい。

次に視界に入ったのはぬいぐるみだった。可愛らしい動物のものと、あと…向こうはゲームセンターで最近よく見かける妖怪を模したキャラクターのものだろうか。マスコット的存在の猫のものと幽霊のものが並んで机の上に腰掛けていた。隣の写真立てにはまだ少し幼い整った顔の美少女が、ランドセルを背に卒業証書を掲げて桜の木の下でポーズを決めている。次に視界に入れたクローゼットの扉は少し開いていて、雷門の制服が顔を覗かせていた。床に転がったサッカーボールと綺麗に飾られているスパイク、背番号のない雷門のユニフォーム。床に放られたスクールバッグからは教科書類がはみ出ている。

このあたりで大体想像が付くのだが、あまりにも信じられないせいで昨晩の記憶を辿らずにはいられない。そう、夕方。夕方だ。名前が過去に面白半分でやってきたせいで記憶がいじられていることに気がついて、それを咎めようと約束を取り付けたのに名前をヒロトに横から掻っ攫われて、それで……無償に苛立ったんだった。そのままヒロトが名前を餌付けしてる料亭に乗り込んで、煽られるままに酒を飲んで、


「……記憶がねえ…!」
「あっおはよう兄さん、私そろそろ着替えなきゃいけないから朝ごはん食べに居間行ってくれる?」
「は!?名前!?なんつー格好だ朝から!」
「いやシャワー浴びてきたからタンクトップなんだけど、」
「一枚羽織れこのバカ!」
「暑いよいらないよ!ベッド貸してあげたのに…ほら!さっさと朝ごはん!」
「せめて俺が部屋を出るまで下のジャージを脱ぐのはやめろ」
「スカート履けないじゃん。やだよそんなの」
「待てっつってんだこのアホ」
「朝は一分一秒を惜しむためにあるんだから着替えなきゃいけないの」
「あああやめろ!頼む!出る!部屋出る!だから少し待てお前は!」


**


車で送ってやるから、と言うと着替え終わったまま白米をかき込んでいた名前の動きが止まった。そうして名前の口から明かされたのは、やはりというか俺が名前の家で、名前のベッドを占領して一晩眠りこけていたということだった。名前曰く、


「鬼道コーチに迷惑はかけられないし、ヒロトさんも兄さんを連れ帰るのは微妙そうだったし。兄さん、私がその辺りの女の子より力があって良かったね!…え?私?そりゃあ居間で座布団に埋もれて寝たよ?別に気にしなくていいのに。あ、でも兄さんって案外軽いんだね。ちゃんとバランス良くごはん食べてる?スポーツ選手だから食べてるんだろうけど、でもそれにしては軽いんじゃない?私とタックルで張り合えそうなぐらいには細いよ!……う、羨しいわけじゃないんだけどね?いやぱっと見は細いかもしれないけど運動で余計なカロリーは全部消費してるし…う、うん…髪の毛はたくさんあるから負けてないし…!って、またトマト残してる!おばあちゃんのトマト残すなんて天が許しても私が許さないからね!いい大人なんだからそろそろ好き嫌いを無くした方が、」

「長ぇよ」
「はい私のトマトも上げる。代わりにそこのサバ半分貰うね」
「おい俺のサバ返せ」
「うん、ふっくら柔らかくて最高!ごはんおかわり!」
「朝から二杯かよ」
「三杯目だよ」
「名前の朝飯風景を知らない男は幸せだな」



炊飯ジャーから白米をよそい、幸せそうな顔でまた座り込む名前の目の前には俺のサバ。(しかも尻尾の、骨が取りやすい方だ)「そもそも、そんな細っこい体のどこに入ってくんだよ、それ…」思わずの声はそこそこ小声だったと思うのだが、名前の耳はしっかりと拾ったらしい。全部血となり肉となるから!あと骨!とドヤ顔を決められたのでサバを取り返した。もくもくと漬物を傍らに白米を口に運ぶ名前は本当、見た目だけは評価出来るのにな…俺を軽い、と言える時点で普通じゃないのは明らかだ。

なんだかんだ力を制御するまでには苦労していたし、(俺はそれを傍目から傍観していた)元々そそっかしいし気が散りやすい。且つ、気を引かれるものがあればそれに一直線。非常に動物的な名前と数ヶ月ではあるけれど、共に過ごせばやはり情が沸くし世話を焼くことに慣れる。常に自分のペースで動く名前は常識知らずなせいで、ああやって俺の前で(俺に気を許しているのもあるだろうけど)着替えようとしたりもする。

名前のそういった油断をした姿を、自分以外に見せたくない。この感情はどういった名前で呼ぶことが出来るのだろう。自分のペットが他人に懐くのは嫌なことではないけれど、複雑な気持ちにならざるを得ないあれに良く似ていた。独占欲に酷く近い気がする。…いや、独占欲かもしれない。ああ、もう、わっかんねえっての!



「ねえねえ兄さん、」
どうしたの、頭なんか抱えちゃって


(2014/09/10)



ラスト分岐:この気持ちは?

→独占欲
→やっぱり独占欲じゃない