眠り姫にキスを


「それでね!豪炎寺ってば忙しいからって全然私に構ってくれないの!」
「……名前さん、そろそろやめた方が良いんじゃないですか」
「いいの!今日は飲むの!京介君だって付き合ってくれるんでしょう!」


なのにサッカー関係の人たちと飲み会には行くの!と叫んだ名前さんがチューハイの缶を投げ捨てた。コントロールの悪さ故か、それともアルコールに弱い彼女が焦点の合わない目で投げたからだろうか、ゴミ箱の周辺に散らばるチューハイの缶に手をつけようなんて最早思わない。床に転がった缶を見つめて悔しそうに唸る名前さんに、それで?と話の続きを促すとまた豪炎寺さんへの不満を並べ立てはじめた。聞き流すようにジュースを口に含む。

彼女とは幼い頃からの付き合いで、兄さんと俺は元イナズマジャパンのマネージャーである彼女に豪炎寺さんや円堂さんのプレイスタイルを聞いたりしたものだ。そんな名前さんはフィフスセクターのことやホーリーロードが終わった後、豪炎寺さんと付き合い始めたのだという。ところがどうだろう。数ヶ月経ただけでこの有様である。

昔から彼女は交際で長続きをした事がないと愚痴を零していた。「…なんでだろうね、」私はそんなに多くを求めているつもりはないのに、と名前さんはぼやく。「束縛もしてないし、無理なお願いなんてしない。ただ、…ただ、時々好きだって言って欲しくて、それから一緒に出かけて欲しくて、でも」どうして上手く行かないの、と缶の中身を煽る名前さんを見つめた。要するにこの人は、異性との付き合い方が下手なのだろう。

過去にフラれた事が恐怖として残り、結婚を考え始める年になり……彼女は焦っているのだろうか。自然体で十分に貰い手はありそうな物だけれども。「私、一生独り身なのかなあ…」京介君はどう思う?といきなり振ってくるのは酔っ払いの悪いところだ。当然、豪炎寺さんは名前さんの優しさに甘えているだけじゃ、と答えてしまいそうになったが分からない子供のフリをして首を振った。だよねえ、と名前さんは呟いてから新しい缶へと手を掛ける。もう俺は何も言ってやらない。


「…京介君はさ、好きな子とかいないの?」
「いませんけど」
「いないの!?」
「……何か不都合でも」
「ううん。……あー、分かった。同じタイプだ」
「何がですか」
「サッカー一筋で、まったく周り見てないの」


それは確かに当たっているかもしれない。俺は今、正直にサッカーの事しか考えたくない。「豪炎寺もそうだったんだよ…私の気持ちになんか、まったく気がついてくれないんだ…鈍すぎて本当に嫌になる…」どれだけ私が一途に…と言ったところで名前さんの手からアルコール飲料のまだ大分入った缶が滑り落ちた。カーペットにシミを作ったそれが嗅ぎなれない甘ったるい香りをほのかに漂わせる。


「京介君にもさ、いると思うよ」
「……なにがですか」
「きょう…すけく…んのこと!ずーっと好きだって思ってる子が!」
「は、はあ…」
「私だってさあ…!私だって、私も、ごうえん…じ…」


ずるずる、と机に突っ伏していた名前さんが崩れ落ちて床で寝息を立て始めた。「ずーっと好きだって思ってる人、ねえ…」多分、鈍いのはあなたも同じなんですよ、名前さん。俺がさっきあなたに吐いた嘘がばれなくて本当に良かった。

好きな人はいます。幼い頃からずっと見ていたのに、あなたは俺を眼中にも入れない。未だ中身を流し続けている缶を拾い上げてテーブルに戻し、酔い潰れて眠り込んだ名前さんを覗き込んだ。彼女を認識したときには既に彼女は俺にとっては手が届かないような存在で、きらきら輝いて綺麗だった。幼いままの恋心は、手放すこともできずにここまで来てしまった。

今この場で思いの丈をぶつけるように、キスをしてしまえたらどんなにいいだろう。きっと彼女はアルコールに惑わされているから、俺がキスをしたなんて覚えもしないんだ。それにさっきまで話していた内容も忘れきって、ただただすっきりした顔で時計の針が一周した頃には豪炎寺さんに会うのだろうと思う。

――優しさに甘えられるのが嫌なら、俺が甘えさせてやるってのに。


言えるはずもない言葉を脳裏に思い浮かべながら毛布を手に取る。彼女と俺の未来を想像してみると、それは悪くない結末に思えた。むしろ、お互いにとって理想の結末なのではないだろうか。しかし彼女の眼中に俺の姿はなく、この行動も全て豪炎寺さんへの愛故のものであり、俺の入る隙間はどこにもないのだ。

毛布で名前さんの体を覆ってやって、自分のスポーツバッグに手を伸ばした。床で寝て体を痛めて、しばらく動きたくないという思いに駆られてしまえばいいと思う。潜り込んだベッドでしっかりと眠ったら、その頃には豪炎寺さんも流石に心配になるだろう。連絡もつかないのだから、家にまで来るだろう。来ないとなれば名前さんはまた俺に愚痴を零すだろうし、その時はきっと俺が我慢出来ずに伝えてしまうのだと思う。でもやはり、豪炎寺さんは来るという確信があった。なんだかんだ、お互いに想い合っているのだ。憧れのヒーローはきっと、俺の好きな人をそれは美しく目覚めさせるのだろう。俺はそれを望んでいないけれど、事実そうなのだからしょうがない。人生は上手く行かないものだ。



眠り姫にキスを



(2014/02/21)