優しい夜明け
常闇でさようならを の続き


コズミックプラズマ粒子砲がフィールドに準備されているのだろう。ざわめくスタジアムの中を、絶えない人の波を掻き分けて必死で前へ、前へと進む。

天馬君が差し伸べた手を、オズロックが取ったのを見た。ララヤ姫の声がスタジアムに響いたのを聞いた。ベンチで成り行きを見守っている間に、イクサルフリートのメンバーは全員、ミネルさんに引き連れられて…多分、王宮に向かったんだろうと思う。

私はそれを追いかけていた。コズミックプラズマ粒子砲がブラックホールを消してしまったら、後はもう地球に帰るだけ。つまりもう二度とイシガシさんには会えない。……ずっと、考え込んでいたのだ。試合が始まる前に私の腕を引いた瞬木君はもう何も考えんな、って私を叱咤したけれど……全然、試合になんて集中出来なかった。ずっと目で追いかけていたのはイシガシさんだったし、考えていたのは彼らのことばかり。アースイレブンを応援しなければいけないと思ってはいたけど、心の底で応援していたのはイシガシさんだった。――彼を、殺させたくなんてなかった。

ララヤ姫はイクサルを殺さなかったし、手伝えと言った。きっと言葉通り、彼らはこの国で生きていくことになるんだろう。それにほっとしてしまったら、今度は欲が出てきてイシガシさんにまた、好きだと伝えたくなってしまった。だから空野さんにだけ断りを入れて、テロリストの顔を見ようとするファラムの人々を押しのけながら前に進んでいる。

押し寄せている半分はスクープを追いかけるメディアのもの。それを阻むのは先ほどフィールドを取り囲んだ銃器を持った、恐らくファラムの衛兵であろう人たち。フラッシュとカメラ、それから大声で叫ぶスーツの人間にもみくちゃにされて私の声は届かない。「――イシガシさん!」かき消される声は、当然気がついて貰えない。

銃器で塞がれた通路の先に、イクサルフリートが歩いていくのが見えた。最後尾を歩くオズロックのひとつ前、イシガシさんの髪が揺れるのが見える。もう少し、もう少しなのに!「イシガシさん、」腕を伸ばす。視界が滲む。「…イシガシさん!」―――…あ、もう、ダメかもしれな……




「おい!何やってんだ、さっさと戻――っ、」
「……なんで、瞬木君が」
「お前を連れ戻そうと思ったんだよ、このバカ女。……なんで泣いてんの」
「…だってイシガシさん、声、届かなくて」


いきなり現れたと思ったら、私の腕を掴んでどんどんスタジアムの方へ歩き出す瞬木は普段はめったに見せないような、本当に困った顔をしていた。でも、でもしょうがないんだよ。「私に滑稽だ、って言って髪の毛を掴んだイシガシさんは怖かったよ。嘘を吐かれていた悲しみもあったよ。勘違いだ、って言われて心が潰れそうになったんだよ。でも、それでもまだイシガシさんが好きなままなの。イシガシさんにもう会えないって思ったら、イシガシさんに滑稽だって言われるより苦しくて、もう」……死んでしまいそうになるんだよ。


「ねえ、瞬木」
「……」
「イシガシさんに会いたいの。だから、離して」


力一杯腕を引くと、瞬木は足を止めてくれた。そうして聞き取れないぐらい小さな声で何かを呟いた後、私の方を振り返った。どこか憐れみを帯びているのに、優しい眼差しが胸に刺さる。数秒ほど、私の目を覗き込むようにした瞬木はやがて私の腕を開放した。開放して、どうしても、と瞬木は私に問うてくる。


「また傷ついたらどうする」
「私はほんとにイシガシさんに遊ばれてた、ってことが分かるだけだよ」
「そうじゃない。……名前は、みっともなく泣くんだろ。今みたいに」
「…今?私、泣いてる?」
「酷い面してるけど、自覚無いんだ?」
「………そっか」


目元に指を伸ばすと、確かに透明な液体が指先を伝った。「イシガシさんに、」「…あいつに?」「もう二度と会えないかも、って考えたからだ」イシガシさんの、あの綺麗な横顔と一瞬だけ細められる目元を、忘れることが出来そうにない。「会えなくてもいいだろ、別に」「…どうして?」「元々、世界が違うだろ」呆れるような目をして私を見つめる、瞬木の気持ちをこの瞬間に(勘違いかもしれないけれど)なんとなく察してしまって思わず目を見開いた。引き止めてくれていたのって、もしかして瞬木は私のことを……ううん、やっぱりいいや。きっと勘違いだ。私は、真実を知らないままで。


「"ごめんね"、瞬木」
「……」
「私、どうしても、イシガシさんがいいみたい」


***


「…シさん、イシガシさん、待って!」


関係者用通路の前を通りかかった瞬間、私の名前を呼ぶ誰かがぱたぱたと走る音が聞こえたせいで思わず足を止めていた。とん、と背中に感じた衝撃はオズロックがぶつかったものだったらしい。どうした、と普段なら最優先にする声を流してしまったのは声があまりに必死のものだったからだと思う。

現実味のない結末に、耳がどうにかなってしまった可能性も考えた。ところがどうにかなっていたのは耳ではなく目の方だったらしい。歩くことを急かす衛兵達の隙間から、試合前に捨てた少女の髪が揺れるのを見た、気がした。目と目が一瞬、合った気がした。

幻覚かと思ったそれは実際の光景だった。衛兵がなんだ君は、と名前の襟首を掴み上げたところで我に返り、待ってくださいと衛兵に声を掛けていた。衛兵のことには目もくれず、私に手を伸ばす名前の首筋を汗が伝う。息は荒かった。走ってきてくれた、名前が。あんなに酷いことを言ったのに、ね。彼女はどれだけ頭が悪いんだろう。

伸ばされた手を取ることはしなかった。代わりに、ゆっくりと下ろされた彼女の傍に歩み寄って膝を付いた。「…イシガシさん」どうしてそんなことを、なんて聞かずに彼女も地面に膝を付く。顔を上げると、目を赤く染めた名前がくしゃりと顔を歪める。


「間に合って良かった」
「……間に合う?」
「今を逃したらきっと、イシガシさんに会えないと思って」


生ぬるい温度の指先が触れる。「イシガシさん」「…どうされました」「私に言ったこと、全部本当ですか」柔らかな指先が、手首に触れた。泣きそうなくせに優しい声が、耳の奥でふわふわと広がっていく。…本当に、頭の悪い子だと思う。髪を掴み上げた時は、あんなに震えて怯えていたのに。ああ、誰に背中を押されたのか。


「…滑稽は本当ですよ」
「勘違い、は」
「………勘違いではありません」
「私、どんな風に思われていても、どんな風に言われても、イシガシさんだけです」
「名前、」
「イシガシさんしか、好きになれないみたいなんです」
「……名前、落ち着いて」
「落ち着いています。落ち着いているから、勘違いじゃないのが、嬉しくて」


好きです、とうわごとのようにもう一度繰り返した名前が目元をごしごしと擦った。そうして名前はゆっくりと目を細めて、(さっきとは正反対の)心底から嬉しそうに笑う。涙の跡を隠そうともしないまま、私の手首に指先を触れたままで。「イシガシさん、好きだって言ってください」「…ええ。名前、あなたの事は…大事にしてあげたかったと思っていますよ」そっと名前の指に自分の指を絡ませると、自然と口元が緩むのが分かった。嬉しい、と囁く名前のおでこに顔を寄せる。


「……ばいばい、イシガシさん」
「さようなら。…名前、あなたの未来に祝福があらんことを」


キスをしたのは、そういえば始めてだったと思い出した。他人の幸福を祈ったのも始めてのことかもしれない。地面に座り込んだ名前の髪を、優しく撫でて立ち上がった。いいのか、と呟いたオズロックの言葉に首を振った。良いはずがない。良い結末であるはずがない。

本当は大事に大事に、出来ることならこの手で幸せにしてやりたかったと思う。でもそう思った時には既に、私の手は随分と汚れていた。それでも名前が望むのなら、一緒に連れて行くことも出来ただろう。けれど、これはきっと名前も望んでいた別れだった。良いはずがない。良いはずはない、結末だけど。


―――…どうか、彼女が幸せを手にすることが出来ますように。



優しい夜明け



バッドエンドという名のトゥルーですね!自分の好きな方向に持って行けて満足です
おでこにキスってロマンがあってとても素敵だと思います
ちなみに瞬木君は夢主が地球に帰って二度とイシガシさんと会わなくても報われません すまん

おまけで別エンド的なの。もし瞬木に見つかる前に、衛兵を突破してイシガシさんのところに行けたら?

(2014/10/06)





「イシガシさん!」
「……どうして」


もういっそ、と飛び込んだ先に居たオズロックを押しのけて、イシガシさんのローブの裾を掴んだ。驚いているのか、目を見開いたイシガシさんの腕を離さないようにしっかりと掴む。イシガシさんはいきなり飛び込んできた私を捕まえようとする衛兵を、少し待ってくださいと牽制してくれた。向かいあうと、驚きの色は消えてイシガシさんの目には呆れの色が滲む。


「私のことを嫌いになったんでしょう」
「…嫌いになんてなりません」
「どうしてですか?」
「イシガシさんが、嘘を吐いているって信じているんです」
「……嘘?」
「私が好きになったイシガシさんは、きっと演技でも"嫌いだ"って言わないって」


イシガシさんは"勘違い"、と言った。でも決して、私に愛想を尽かしていたとか、嫌いだったとか、どんな風にも思っていなかったとは言わなかった。だから私は今こうして、淡い期待に縋り付いてイシガシさんを見上げている。「イシガシさん」「……」「私、本当に勘違いをしていてもいいです。イシガシさんが好きだから、何を言われたって構わない。…勘違いだって言うんなら、私を振り払って欲しいんです」イシガシさんの手首を掴んだ、その指先に力は入っていないも同然だった。私はただ、最後の最後になるなら触れていたいという欲求に素直に従った。それが不愉快なら、振り払って私を拒絶してくださいよイシガシさん。ねえ、…ねえ。

一瞬だけ視線が揺らいだのを見た。イシガシさんの腕がゆっくりと引かれて、私はそれに逆らわないで、掴んでいたイシガシさんの手首を開放する。随分優しい拒絶だったから、どれくらいか救われた気分になって思わず口元が緩んだ。でも優しいだけ、残酷にも感じる拒絶は未練を予定よりも多く残す原因になりそうで、


「名前」
「……イシガシさん?」
「私と一緒に来ませんか。…私達と、一緒に」



一度振り払われて、もう一度今度は目の前に差し伸べられた手は今までで一番優しいもの。「…まだ、勘違いかどうかを教えることが出来ません。私にも、今はまだよく分からない。でも、あなたを大事にしたい気持ちは…そうですね、私も変わらないままです」ゆっくりと目を細めて、私が大好きな笑顔で微笑むイシガシさんの手を取ることに、ためらう必要はどこにもない。イシガシさん、あなたと居られるのなら私はどこにだってついて行きます。大好きです。どうか、この手が振り払われることがありませんように。