お願い、躊躇わないで
(苗字が夢主の姉、名前が夢主で変換しています)



そこが所謂、いかがわしいことをするために作られた建物であるということは承知していた。でも本当に、それしか一晩を明かす場所が無かったのだ。真冬の心底冷える夜、外で眠るなんて絶対に出来ない。

それには不動も同意せざるを得なかったようで、無言のまま一定の距離を保って私達は部屋のキーを受け取った。本当にどうしてこんなことになったのか…元はと言えば、ちゃんと終電に間に合うように会社を出るつもりだった。なのに不動に捕まって、お姉ちゃんの様子はどうだ、なんて聞かれてしまうから計算が狂ってしまった。そんなの直接行って確かめればって言い合いをしていたら終電を逃してしまったのだ。まったく酷い理由で、私は帰宅のチャンスを逃したものである。不動も不動だ。直接行けばいいでしょうに。


「今、すっげえ失礼な事考えただろ」
「考えてないよ」
「……ふん」


小さく鼻を鳴らした不動が上着を脱いだ。「シャワー、先に浴びる」「…いーよ」一瞬だけどくん、と心臓が立てた音はきっと届かなかったと信じたい。だって不動は…鍛えられている。筋肉質な腕と体と、意思のつよい瞳が揺れている。それに顔だって綺麗に整っているし(多少目つきが悪いのは好みだろうけど)十分に美人に分類されるだろう。シャワールームに消えていく不動を目だけで見送ったあと、ジャケットを脱いでハンガーに掛けた。シャツのボタンは一つだけ外して、そのままベッドに身を投げ出す。

昔のことをぼんやりと思い出した。不動と付き合っていた、姉はそれに見合うだけの美人だった。元々不動と出会ったのは私がイナズマジャパンに居たからで、姉は私を溺愛していたから頻繁に差し入れをしてくれていて…やがてジャパンに馴染んでしまった姉は気が利いたし、周囲に馴染めない不動の性格を理解していた。穏やかな性格だったから、不動は姉といると調子が狂うと言っていたのを覚えている。姉と不動が過ごす時間が増えていくのに時間はかからなかった。

――私と姉はよく似ている。

自分の顔が嫌いになった。理由は、姉の口から不動と付き合い始めたことを聞かされた時に不動のことが好きだったと気がついたからだ。でもどうしたって姉を嫌いになることは出来ないし、不動のことだっていきなり嫌いになれるわけじゃない。好きな二人が幸せになれるのならばそれは嬉しいことだ。…じゃあ誰を嫌いになったか?見た目はほとんど同じなのに、振り向かれなかった自分だった。

要するに、努力も何もかもが足りなかったのだと結論を付けたのは10年も前になるだろう。今更感溢れるそれを思い出してしまったのは、姉の元恋人と二人きりでこんな部屋に入ってしまったせいだ。はあ、と吐き出した息が微かなシャワー音しか無い部屋に小さく響く。気まずい、というのが一番大きい。疲れているのに、という気持ちもある。

不動は高校を卒業したあと、単身で海外に飛んで行った。姉はそれを追いかけるつもりだった。結婚を約束したのだと、幸せそうに微笑む姉に私も心から嬉しくなったのを覚えている。結婚式だけは日本でやってくれるって、と姉は私を抱きしめて言った。ありがとう、と囁かれたのをくすぐったい気持ちで聞いた。けれど、心待ちにしていた結婚式が執り行われることは結局無かった。………お酒に呑まれたドライバーの車が、コンビニに出かけていた姉の体に突っ込んだからだ。

不動はまだそれを知らない。姉が交通事故に巻き込まれた、その事実だけしか不動は知らない。そういえば誰も不動に病院の場所だとか、教えていなかったのかな……みんなそれどころじゃ無かったから、海外から急いで飛んできた不動のことまで気が回らなかった。事実私が一番そうだ。お姉ちゃんのことは大好きだった。愛していた。気が狂いそうだったのを必死で堪えて、溜まった仕事を片付けたら不動だ。…本当に、どうして私のところに来たんだろう。

かちゃり、とシャワールームの扉が開く音がしたから顔を上げた。バスローブ姿で色気を惜しみなく晒す不動は、私の知っている不動とは随分違っている。使えよ、と後ろ指に刺されたシャワールームに対して頷くことは出来なかった。知らせないままで、居てはいけない。でも、今知らせるのはいけない。――分かってはいるけど。


「不動、お姉ちゃんなんだけどね」
「……いきなりその話に戻んのか。そもそも事故っつったって何があった?苗字は今どこにいるんだよ。もったいぶってんな名前の癖に」
「一昨日の夜、息しなくなったの」
「…………」
「不動の名前呼んでたけど、多分私しか聞いてないよ。お葬式は明日」
「……なんで、お前は普通なんだよ」
「普通に見える?気が狂いそうに決まってるじゃない。……でも、不動は私よりもっと、」
「悪い冗談だって言っても、今なら許してやるけど」
「お姉ちゃんの部屋に行ったから、お姉ちゃんが居なかったから私のとこに来たくせに」


起き上がって、ゆっくりと足を踏み出す。「不動、」「……」黙り込む不動の表情は見えない。奪われたものを取り返す時だと、知らない私が耳元で囁く。普段と色の違う視界は、不動の隣に寂しそうな姉を朧げに映し出した。一瞬で掻き消えた幻に、手を伸ばした先には不動がいる。


「ねえ不動、こっちを見て」
「……」
「私、お姉ちゃんにそっくりでしょう」
「………くだらない冗談はやめろ」
「くだらない、って言ってるのに私に触るんだ」
「触らせてるん、だろ」


指先が絡まって、感じる熱だけで頭が沸騰してくらくらする。もう存在しない人間をお互いに重ねて、求めて、動物になればいいと思う。「…いいよ」「っ、…」そっと、抱きしめた彼はまた愛する人を失った。ならば、一時でもその代用品に成れればいいのだと中学生の私が囁く。触れていいよ、抱きしめてあげるよ。あなたの恋人の代わりになりたい。

躊躇わないで、と囁いた瞬間に痛いほど力を込められた。苗字、苗字、と私を抱きしめて私じゃない人の名前を呼ぶ好きだった人は噛み付くみたいにキスをした。シャツのボタンが飛んだ瞬間、思い浮かんだのは後で縫い付けておかなきゃなあなんてくだらない考えだった。天井を背後に、ベッドに私を押し倒した不動が目を細める。


「名前、……」
「いいよ?何しても許してあげる」
「………馬鹿だろ、お前」
「死んじゃったお姉ちゃんの方が、ずっと馬鹿だったと私は思う」
「ああ、それは違いねえな」



お願い、躊躇わないで



:確かに恋だった


(2014/10/02)


最近砂糖吐き出したくなるレベルの甘いのを書いてない→そうだ!ラブホに連れ込めば嫌でもきっと甘くなるね!→おや…?