それじゃあまたね、さようなら!
※注意


彼女はいつでも笑顔を振りまいていて、クラスの中心だった。女の子には信頼を置かれ、男の子にはとても人気があった。彼女は、冴えない私に話かけてくるのを周囲に不思議がられていた。

私はいつも教室の隅で、彼女を遠巻きに見つめていた。眩しい笑顔だとか、話題の尽きないその唇だとか、会話を弾ませるスキルだとか……羨ましいそれらを彼女は持て余すことなく使いこなしている。彼女の周囲は、いつも笑顔だった。


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彼女には好きな男の子がいるようだった。「名前ちゃんにはいる?好きな人!私はね…ふふ、今すごく幸せなの」今度告白するんだ、と可愛らしい顔を幸せに緩めたその表情は、どんな男の子でも虜に出来そうだった。大丈夫、きっと叶うよ、なんて気休めの言葉はいらないだろうと思えるほどに彼女は可愛らしい。彼女が望むものは、きっと全て手に入るんだろう。

私はといえば、彼女のように恵まれた容姿もコミュニケーション能力もない。恋をする以前に自分のことで手一杯だ。幼馴染の京介にその事を話すと、言い訳だなと鼻で笑われた。確かに言い訳なのかもしれない。少し考え込むと、落ち込んだと思われたのか。「まあ、お前にはお前のペースがあるだろ」と京介は少し照れくさそうにしながらも優一さんみたいに優しい声で言った。少しぎこちない動きの手が私の頭にそっと触れるのはいつものことだけど、何年一緒にいても慣れないから毎回どぎまぎしてしまう。もし私が恋をするのなら、京介みたいに安心出来る人がいい。


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朝、彼女は大勢の女の子に囲まれて教室の真ん中で顔を赤くしていた。耳に入ってきた単語を繋ぎ合わせてみると、彼女はどうやらラブレターを落とし、クラスメイトに拾われたようだった。「違う、違うの!」「誤魔化さなくていいって!」「お似合いだし、上手くいくよ」ぶんぶんと首を振り、必死に手紙のことを否定する真っ赤な顔の彼女を周囲は遠慮なしにはやし立てていた。この年頃はみんな、他人の恋愛が美味しいんだろう。

しばらくして騒ぎが収まったあと、彼女は私のところにやってきた。「…名前ちゃん」少しだけ潤んだ目を伏せて、彼女は私の手を取った。なあに、と問い返すまでもない。「その、好きな人がいるってこと…名前ちゃんにしか言ってなかったのに、ばれちゃった」ここで少し驚いたのは、彼女が秘密を明かしていたのが私だけだったということ。

きっとすぐ耳に入るわ、と辛そうにする彼女の背中を押す権利を、私は得ていたとでもいうのだろうか。とにかく、彼女が私にだけ秘密を打ち明けていたという言葉に私は優越感を覚えていた。「噂が広がりきる前に告白してしまえば?」「……断られてしまいそう」自信もなにも無い声で、彼女は小さく声を吐き出した。こんなに自信の無さそうな彼女は初めてだったから、私は酷く驚いた。彼女が自信を無くしてしまう、好きな人とは誰なんだろう。


「――剣城君には好きな人がいるみたいだから、私なんて」


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彼女の言葉に、目の前がちかちかと瞬いていた。

彼女が京介を好きだったこともだけれど、京介に好きな人がいるということもショックの原因だったのだ。私は思ったよりも京介に対しての独占欲が強かったみたいで、どうして相談してくれなかったのだろうとか、いつの間にそんな存在が出来たんだろうとか、ぐるぐると頭の中をいやなものが巡っていた。それは京介に対しての羨みであり、京介に想われている見知らぬ誰かへの羨みだった。報われない恋をしてしまった、彼女を少しだけ哀れに思った。

彼女に好かれていると知ったら、京介は好きな人を変えることが出来るのだろうか。きっと出来ないだろう。京介は自分の意思をすぐに曲げるようなタイプじゃない。彼女を可哀想だと思いながら、痛む心臓を抑えるようにシャツの胸元を握った。彼女だけではなく、私もどうやら京介を必要としていたみたいだった。きっと今更遅いのだろうけど。


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好きな人がいるの、と冗談半分を装って京介に問うた。一瞬目を大きく見開いた京介に、ああ嘘でも噂でもなんでもなかったんだと確信する。「同じクラスの子?それとも違うクラス?相談してくれれば良かっ、」動揺したのを悟られないように早口でまくし立てて、恋の話が好きな普通の女の子を装うつもりだった。京介には、通じなかった。

相談なんて出来るはずないだろ、と壁に私を追い詰めた京介が唸った。「俺は何年も何年も、分かりやすく示してきたつもりなんだがな」声は少し怒っているのに、とても優しい目が私を見つめた。伸ばされた腕が、触れた指先が震えていた。体温の違うそれは私の頬を優しくなぞって、髪の一房を救い取った。京介の顔がゆっくりと近づいて、彼は私の髪にキスをした。心臓は壊れてしまいそうなほどに大きな音を鳴らしている。

するりと落ちた髪が耳の横で揺れた。思わず耳元に寄せた腕を掴まれて、引き寄せられたかと思えば手首にも京介の唇が触れた。「ずっとお前のことが好きだった」囁かれた言葉に誘発されて、体温がどんどん上がっていく。

声にならない声を出す私に、京介は目を細めて嬉しそうに笑った。「嫌だったか」そんなことは有り得ないのを知っているくせに…分かっていて意地悪に問いかけてくるのだ。ただでさえ些細な私の表情に敏感な京介が、今の真っ赤な顔の私に気がつかないはずがないのに。


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私達は付き合うことになった。とは言っても特に今までと関係が大きく変化することはなかった。関係の名前が少し変わっただけで、私達は普段通りだったから周囲はなにも気が付かなかったのだろう。ただ、私は教室に居るといたたまれない気持ちに襲われた。原因は当然、彼女にある。最近の日常風景とありつつあるのだが、告白しないのかと、女の子たちに囲まれる彼女は辛そうな表情で俯いていた。

「名前ちゃん、」授業の合間の数分間の休憩の時間、彼女が私の机までやって来た。「どうしたの?」「うん…名前ちゃんって、剣城君と仲良かったよね」ずきん、と心臓が痛む音が聞こえた。彼女の目は伏せられていて、表情を読み取るのは難しい。


「剣城君の好きな人、知らない?」
「……好きな、ひと」
「私やっぱり剣城君が好きなの。どうしても諦めきれなくて…」


知らないかな、ともう一度問いかけた声は随分ときついように感じた。「……っ、」嘘を、吐くの?彼女は私にだけ、京介のことを好きだと明かしたのだと言う。つまり、信頼されている。私が彼女に嘘を吐くことは、彼女の信頼を裏切ることになるのだ。

二の句が継げなくなってしまって、黙り込んだ私をしばらく彼女は見下ろしていた。「…嘘、吐かないんだ」声は今までに聞いたことのないぐらい、冷たいものになっていた。「嘘、なんて」「知ってたよ、ずっと。名前ちゃんは気が付かなかったかもしれないけど、私は剣城君が名前ちゃんを好きなの、ずっと前から知ってたの」付き合うことになったんだって、と次いだ声は確信に満ちていたし敵意が剥き出しにされていた。


「ねえ、名前ちゃん。私ね、名前ちゃんにお願いがあるの」
「……お願い」
「そう、お願い。私がずーっと剣城君のことを好きだったのは今言ったよね」
「……うん」
「譲って欲しいの。剣城君を、私に」
「え、」


譲る?京介は物でもなんでもないし、私だけのものでもない。「譲る…?」「そう!だって不公平じゃない!私は絶対名前ちゃんより剣城君が好きだし、ずっと剣城君にアタックしてたし、…ずっと努力してきたの!剣城君の目に止まるようにお洒落に気を遣うようになったし、トークスキルだって磨いたし、注目されるように頑張って…なのに、なのに!……名前ちゃんは、努力してないのに」

言葉が胸を抉っていく。「可愛い、なんて剣城君に言われなきゃ全部意味無いの…!ねえ名前ちゃん、剣城君から離れてよ!私はそもそも、剣城君と近づくために名前ちゃんに良くしてあげてたんだよ!」どうして、と目を真っ赤にした彼女の言葉は私の心臓にナイフを次々と突き立ててやめない。


「名前ちゃんより、私の方がかわいい、よ」
「………」


とどめと言わんばかりの言葉と共に、彼女は崩れ落ちて涙を流し始めた。何事かとクラスメイトがこちらを覗き込みはじめ、泣き出した彼女に女の子達が駆け寄っていく。お願いだから、と懇願するような声が小さく聞こえたのを聞き逃すことはできなかった。


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京介がキスをくれた手首を見つめる。とっくに赤い跡は消えてしまっているけれど、そこには唇の感覚がまだ微かに残っていた。携帯電話のバイブレーションを無視して、携帯の隣に置いていた剃刀を手に取ってカバーを外した。通知は京介からのメールで、タイトルは今度の週末、だった。

今度の週末、私には何が待っていたんだろう。考えるのも面倒くさい。クラスの人気者である彼女を酷く傷つけたとして、私はクラス中からいじめのターゲットにされてしまった。サッカー部が忙しくなってしまった京介は、結局気がついてくれないままだった。心配をかけたくないと思った私が、隠し通したというのもあるけれど。

今度の週末、サッカー部は部活が休みだったりするのかな。彼女は…きっとそれを知っているだろう。京介の元へ足を運び、連絡の取れなくなる私を心配するのだろう。後に弱った京介に漬け込んで、なにも知らぬふりをしながら私が死んだことを悲しむのだろう。

携帯電話をゴミ箱に放り込んで、いつしか痣だらけになってしまっていた体を抱きしめた。全部、彼女の計画通りになってしまった。でも、こうなるのは当然だったのかもしれない。顔立ちの整っている彼女は、私より京介の隣に相応しいのだろう。彼女の方が、私より可愛い。きっと京介だってその方が嬉しいはずだ。


「邪魔者は、さっさと消えなきゃいけないの」



それじゃあまたね、さようなら!



(2014/07/31)

多分剣城は夢主がいなくなった後も夢主好きそう
ライバル女の子ちゃん幸せにしてやれんかったすまぬ 許せ