きみは気がつかないままでいい


好きだ、と言われた。いつものように聞こえないふりをして、何か言ったかと聞き返した。

大半の人間はそこで、なんでもないですと少し寂しそうに笑うのだ。無意識にだろうけど、シャツの胸元を握っていたり拳を握っていたりする。大半の人間は私の見た目に惚れ込んで、すぐに好きだのなんだのと言い出すから私はこれを切り札として使っていた。見た目だけで私のことを好きになってしまった人は、大抵ここで諦める。なのに、


「うっわ珍しい。すっごく疲れた顔してるね、名前」
「………まあ、そうかも」
「聞いたよ!バダップに告白されたってさ。校内がその噂でもちきりだ」


楽しそうなミストレの言葉に思わず頭を抱えてしまう。――今日だけは、上手く行かなかったのだ。そもそも私はバダップが少し苦手で、でもバダップは私が好きだったようで。

バダップの告白は非常にストレートだった。いつもの無表情で、お前のことが好きなようだ、と淡々とした声で告げられた。まさか銃器の授業の終わりで、備品の整理をしている時によく通る声で言われるなんて!そんなの想定外もいいところで、心臓が口から飛び出しそうなほどに驚いたのだ。驚いた末、普段の数倍じゃないかという速度で逃げてしまった。バダップは冗談を言うようなやつじゃないから、あれはきっと本気なんだろう。私を好きなそぶりなんてまったく見せなかったくせに…正直少しだけ怖いと思っているバダップからの告白は、私を心底動揺させたのだ。

何か言った、と私が返した声は普段より小さかった。聞こえなかったか、とバダップは変わらない無表情で言った。そうして私に一歩、二歩と近寄ったあとにもう一度、私の目を見て好きだと言い放った。こんなのは初めての告白だった。だから今、私は頭を抱えている。


「ねえミストレ、バダップは顔で人を選ぶ?」
「有り得ない」
「う…でもさあ、ミストレと繋がってる血だし?私の顔があんたみたいにそこそこ整ってるのはみんな知ってる」
「そこそこじゃないと思うけど?」
「はいはいそうですね、絶世の美少年には敵いませんけどね」
「それこそみんな知ってるじゃん」
「……ああうん、そうね」


従兄弟様は相変わらずのナルシストである。でもバダップだって、ミストレに負けないぐらいに綺麗に整った顔を持っていると思うのだ。成績は常に一番だし、家だって相当の地位にあるって聞いてる。ミストレが唯一勝てないと認めていて、軍人としての未来の期待は大きいとか。頭だって切れるし戦闘実技の時には圧倒的な実力で、百人を一度に吹き飛ばした時は流石に唖然とするしかなかったなー…あれはすごかった。普段はそんな風じゃなくて、無表情で必要以上に口を開かなくて……

んん?でも、最近は少しだけ口元を緩めたり、声から表情を探ることが出来るようになったような……?最近は前みたいに、そんなに強く苦手を意識していないかも。そんなに長いあいだ一緒に居るわけではないけれど、同学年女子生徒の中では一位の成績をキープしている私とバダップは学年合同授業なんかでよくペアを組まされることが多い。必然的に同じことをする回数だって増えている。バダップがあまりに優秀すぎて近寄れない、そんな女の子達よりは確かに接する回数は多いだろう。


「でも、なんで私?バダップの前でも一応猫被ってるはずなんだけど」
「名前はあんまり褒められた性格じゃないよね、ほんと」
「誰のせいよ、誰の」
「いいんじゃない、俺は困らないし」
「……私は困ってるよ、この顔と性格」


綺麗に整ってしまった顔と、少し卑屈に歪んだ性格。周囲を穏便に保つための適度な猫被り。女子と話せばミストレのことや、ミストレとの関係で質問攻め。あんまりにしつこい問いかけに頭痛が止まらなくなったこともあった。だからと言って男子と話せば媚びを売ってる、なんて。だから私はミストレぐらいとしか気軽に話せない。けれどミストレは普段から女の子にずっと囲まれているから、私はやはり一人だった。周囲の女の子が喋ることの大部分が理解出来ないから、やはり私は外れているんだろう。そんな私の利点と言えば、やっぱり顔ぐらいしかないと思う。

この考えが既に卑屈だと、口に出したら目の前のこいつは笑うんだろう。「あーあー…」もう少し可愛げのある性格なら、バダップの真摯な告白にどきどきしたり出来たのかな。嬉しくないわけじゃなかった。むしろ動揺は、思いのほか大きな音を鳴らした心臓に対してのものだった。何か言った、で諦めない人は今までに一度も居なかった。真っ直ぐな目が喜ばしくもあり、同時に恐ろしくも感じていた。


「バダップは私が卑屈だって知ったら、愛想尽かしそう」
「名前、本当にバダップが君の猫被りに気がついてないとでも思ってる?」
「気がつかないと思う。…隙なんて誰にも見せてない」
「……ふうん」


そうかな、と呟いた声が落ちたことには気がつかなかった。「とにかく明日、答えることにする」「付き合ってみれば?」「……分かんないよ、そんなの」面白半分に煽るミストレの横を通って、私は鞄を手に取った。「送ってあげるけど」「いいよ、別に」家の方向は随分違う。じゃあね、と肩をすくめたミストレはまだ、教室に残るようだった。


「…もう少しで俺に依存したのにね、ざーんねん」
「ん、何か言った?」
「別に?気をつけろよって言っただけ」
「そんじょそこらの不審者に負けるはずないじゃない」
「…そーだね、名前はそういうやつだよ」


きみは気がつかないままでいい



(2014/07/26)



「……あ、」
「さっきはどうして逃げた、苗字」


帰り道を歩きだそうとした瞬間、腕を掴んできたのはバダップだった。まさか待ち伏せされてたの、でももうこんなに遅い時間なのに。どうして、が何度も頭の中で繰り返された。バダップは、腕を離そうとしない。


「びっくりしたから、それで」
「驚いたぐらいでああなるのか」
「…意外とでも言いたい?」
「いや」


少し、体をよじってみる。掴んだ手は離れない。


「……そもそもバダップ、どうして私に好き、だなんて」
「言われ慣れていると思ったが」
「…………そうね、そうだけど、でもあんなのは初めてだった」
「……」
「私のどこを好きになった?」


腕を自らの方に引いてみる。びくともしないあたりに、力の差を感じた。――ううん、普段の力が出ていないだけだ。「…顔?」足は少し震えていた。声は掠れて、指先がぴくりと動いた。きっと、バダップは気がついただろう。でも、腕は離してくれない。逃げることは出来そうにない。

なにか大きな、恐怖に飲み込まれそうな感覚があった。バダップの目が怖くて、怖くて怖くてしょうがない。なにか見知らぬ、恐ろしいものに吸い込まれていくみたいだ。「ねえ、」……答えられないのなら手を離してよ。お願いだから、私の知らないものに私を近づけさせないで。なにも知らないまま、どこかに突き落とされるのは怖いよ。ねえ。


「名前」
「……っ、なに」
「好きになるのに理由は必要なのか」
「……理由というか、きっかけが知りたいの」
「よく同じ作業をした。銃の手入れをする名前の真剣な目が良いと思った。駄目か」
「目も、顔のパーツ」
「名前、」


もう一度、バダップが私の名前を呼んだ瞬間に心臓が大きく飛び跳ねた。「顔ならミストレの方が整っている。卑屈になるな」ストレートに、そんなことを言う?「卑屈になるのはしょうがないし、元々私はこういう人間よ」「だが、俺はそこに惚れたわけではない」「……う、」なんなの、バダップは本当になんなの?無表情で、私の心をがっさがっさと遠慮なしに掻き回して。何が楽しいのか分からない!


「好きだ」
「――っ、」
「顔が赤いが、どうかしたか」
「い、じわるだ…!なん、なの。ミストレの方が綺麗とか、好きなら言わないでしょ…」
「俺は事実を言っているだけだ」


真っ直ぐに目を捉えられたら、もう逃げる気力すら削がれてしまった。ただひたすらに熱い、この顔の温度はなんだろう。頭がくらくらする。視界が揺らめく。熱に犯されて、今にも倒れそうになっている。こんなのは初めての感覚だった。

ねえバダップ、何でも知ってる。何でも出来る。あなたなら、この感覚の名前を知っているんでしょう。教えて、それでこの熱から私を救ってよ。「どうなんだ、名前」「…名前、呼ばないでよ…!」おかしくなる。熱に犯されて、どうにかなってしまう。

心臓が破裂しそうだった。回らない頭で一つ肯けば、バダップはようやく私の腕を開放した。腰が砕けて、地面に座り込んだ私は咄嗟に顔を抑えていた。「……ばか!」「そうか」そんなことを言われたのは初めてだな、と言ってぎこちない顔でバダップは微かに口端を上げた。どくん、と心臓が波打つ音が響く。ああ、もういいや。どうにでもなってしまえ。