「名前、迎えに来たよ。やり直そう」
「奥さんは?」
「別れた。やっぱり名前じゃないとダメなんだ」
 嬉しい、と彼に抱き着いた所で夢から醒めた。
 ――最悪だ。
 不思議なもので付き合っているときは全然出てこなかったくせに、別れた途端に結構な頻度で夢に出てくるもんだから結構な頻度で精神的にやられていた。
 デートしたときの思い出、振られた日のこと。色んなシーンが夢に出てくるがなによりキツいのはヨリを戻す夢だ。
 夢でヨリを戻してもそれは結局夢なのだ。夢で喜んだ分、起きた時の現実とのギャップの絶望と言うのはとてつもなかった。
 私はまだ元カレの事を愛していて、未練をずるずると引きずっている。どんなに忘れようとしても深層心理で彼を求めていて、結果夢に出てくる。
 とめどなく溢れる涙を止める術は今の私には無い。それでも何とか落ち着こうと、スウェットの袖口で涙を拭きながら水を飲むためにキッチンへと向かった。


 冷蔵庫からペットボトルを出し、コップに注いで一気に飲み干す。心なしか少し落ち着いたような気がする。
 リビングの時計を見ると夜中の3時だった。まだまだ寝れる時間だが寝たらまたあの夢を見そうな気がしてなかなか部屋に戻れなかった。
「うわ、びっくりした」
 声のほうを視線で辿ると、寝起きの藤ヶ谷さんが立っていた。私はというと相変わらず涙が止まらないままで思いっきり泣き顔を見られて気まずい。
 泣き顔を見られるのはこれで3回目だ。
「え?なに?どうしたんですか?」
「嫌な夢見ちゃって。お水飲んで少し落ち着いたんですけど、眠れなくて」
「夢って元カレの?」
「……はい」
 そこまで聞くと藤ヶ谷さんは私同様、冷蔵庫からペットボトルを取り出し、コップに入れて飲みだした。喉が渇いて起きてしまったのだろうか。
 上下に動く喉仏をボーっと見つめていると彼と目が合った。
「人間が一番落ち着く音って何か知ってますか?」
「え?」
 そう言うと藤ヶ谷さんは私の手を掴み、歩き出す。足が止まったのは藤ヶ谷さんの部屋の前で、まさかと思ったがそのまさかで、そのままドアを開けて部屋に入ってしまった。
 これはどうしたものかと呆然としていると藤ヶ谷さんが言葉を紡ぐ。
「きっと、今の悩みや苦痛なんて名字さんが思うより早く忘れちゃうんですよ。だから今は眠りましょう」
 次の瞬間、一気に視界が変わった。抱きしめられてそのままベッドへと倒れこんだのだ。目の前には藤ヶ谷さんの胸板があって心臓が急激に早く動き出す。
 あまりの展開に、いつの間にか涙はとまっていた。
「さっきの話ですけど、人間が一番落ち着くのは心臓の音なんですよ」
 そういわれると確かに聞いた事があるような気がする。藤ヶ谷さんはぎゅ、と私を胸板に抱き寄せた。
 トクトク、と規則的なリズムを刻む彼の鼓動が、鼻孔をくすぐる彼の匂いが、優しく包まれる彼の体温が。五感で感じる全てが心地よくて瞳を閉じた。
「正直、襲われると思ったでしょ?」
「……そんなこと」
 ある。部屋の前に着いた時、ヤバいかもしれないと思った。
 結果、杞憂に終わったのだが。
「気を付けてくださいね。弱みに漬け込む悪い奴だっているんだから」
 ――俺みたいに。
「え?」
 微かに聞こえた声に聞き返したが、既に静かな寝息が聞こえていて、気のせいかと私も眠りについた。


 翌朝、目を覚ますと隣に藤ヶ谷さんはいなくて、リビングに向かうとテーブルに「食べてください。行ってきます」というメモと一緒にコンビニのサラダとサンドイッチが置いてあった。
 藤ヶ谷さんのおかげで嫌な夢も見ず、逆に安心して熟睡してしまい、寝過ごしてしまった。
私が寝ていたから起こさずに朝食はコンビニに買いに行ったのだろう。しかも私の分まで買っておいてくれるなんて。感謝と申し訳なさが同時にこみ上げてくる。
 それにしても昨夜の事を思い出すと途端になんとも言えない、恥ずかしい気持ちになってその場にしゃがみ込んだ。
 あのときは元カレの夢を見た陰鬱な気分を引きずっていたからあまり取乱さなかったが、冷静になった今では感覚が違う。
 火照った頬を誤魔化すように、洗面所に早足で向かって顔を洗った。







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