刃が交わる。
同時に交差した視線の先、目の前の忍は笑っていた。
数歩離れて距離をとる、それがいつものやりとりの始まるきっかけとなるのだ。
「何しにきた」
「冷た。なんでそんな連れないの?せっかく会いに来たげたのに」
「頼んでもないし望んでもない。もう一度聞く、何しに来たんだ。」
「何だと思う?」
「偵察だったら刃を向けるし、侵略だったら殺すだけだが」
そういって武器に手をかけると、忍はおどけたように両手を挙げて言った
「残ー念。どっちも違う。今日はいろはを引き抜きにきたの」
「呆れた。これで何度目だ。」
「そんなの忘れちゃったよ。で、返事は?」
「何度来て何百と聞かれても何千と答えてやる。否だ。」
「えー何でよ!いいじゃん!同郷のよしみでさ、甲斐に来ない?」
「行かない。お前こそ、同郷の誼で何度も見逃してやっているのを忘れるな」
「はいはい。でもさ、お試しでもいいからさーちょっとだけ一緒にさ、ね!うちも優秀な忍がほしいの!」
「あーくどい!私が仕えているのはこの城の主だ。それは主か我が身が滅びるまで変わらん。お前のように、真田や武田に仕えている訳ではないのだ」
「じゃあいろはの主が死んで、いろはがまだ生きてたら甲斐にきてくれるの?」
「しつこい。どうしてそこまで私に纏わり付くんだ。同郷の誼で誘うんならうちにまだもう一人いるだろう」
「何?あいつは要らないからもらってくれって?」
「確かにそんなに必要には思わないが、あいつには声を掛けなかったのか」
「…掛けたよ。返事は、知らない方がいいと思うけど」
「…そうか。」
「あれ、深入りしないの?」
「少なくともお前の前でする訳ないだろう。部外者の前で身内の醜態を晒してどうする。」
「それもそっかー」
「…気は済んだか。だったらとにかく今日は帰れ。」
「えー何でよ?!一緒に来てくんないの?」
「しつこいいい加減にしろ。何と言われても主を裏切るようなことはしない。帰れ。」
***
「て、ことがあったよねー」
「…それいつの話してるの?」
「たった5年前の話じゃん」
あの会話をしてから季節の変わらぬ内に、いろはの仕えていた主は死んだ。
あそこはもう民も政も何から何まで疲弊しきっていたから、傍から見れば滅亡は時間の問題だった訳だが
皮肉なことに、そんな国に一番の忠誠を誓っていただろういろはは死にそびれたらしい
あのじじいはやけにいろはのことを可愛がっていたから、きっとうまいこと言って殺さなかったんだろう。たまにはあの老いぼれも役に立つんだな。
いつものように彼女を探していた時、焦土と化した戦場跡で自害しようとしてた所を見つけ、無理矢理甲斐まで引っ張ってきた
常識的に考えれば敵国の忍など放っておくものである。そもそも今から死なんとしている奴なんて論外だ。まず視界にも入れない。
だから、俺の手と視線の先で盛大に彼女が抵抗するのにも頷けた
だが、いろははなんであんな主に仕えていたのか疑問に思う程に郷にいる頃からなかなか腕が立つ忍だった。
あんな国のために死なれてたまるか、と思える程に、人手不足に喘いでいたこちらとしては申し分ない人材だったのだ。
最初はよその忍が真田忍隊に入隊するということもあって混乱と時間が伴うことを懸念したが、いろはが元々戦忍ではなく風魔のように契約主を転々とする傭兵だったということもあって、真田に雇い入れられるのにそう時間はかからなかった
「あれから5年経ったのかあ」
「早いもんだね」
「ホント、信じられない」
そういえば、真田に仕えることになってから、いろはの物腰は随分と柔らかくなった気がする。きっとこれが彼女の素だったのだろう。つまり今まで自分が何度も会いにいって見てきた彼女は、素の自分を表に出さず完璧に仮面の下に隠していたということか。
(役者だねえ、)
内心、そう感嘆せずにはいられなかった。
「あ、そういえばさ、あの時佐助が話してたのいたじゃん?」
「………誰?」
「誘ったら靡いたって言ってた奴。あいつもあの時生きてたでしょう?」
「んー…あ、はいはい。あいつね、思い出した。どうしたの?」
「いや、あれから消息を知らないから」
「あいつなら殺したよ?」
「……ん?」
「いやー、こっちから誘っといてアレだけど正直こっちも要らないんだよね、あんな尻軽。」
あの時はまだ、潰されそうな国の有能な忍集めとこうと思って適当に声掛けてただけだし、あんな簡単にひょいひょい部外者についていこうとする忍なんかいても足手まといになるだけだし迷惑だし、そんな奴、いつまた他軍に翻るか分かんないし
「ふーん」
「…あ、そうだったごめんね?」
「何が?」
「あいつ、仇討ちの相手だったんでしょ?」
いかにいろはのいた軍が疲弊していたとはいえ、それにしたって壊滅するのが早過ぎた。もう疑うまでもなかった。俺の時と同じようにふらふらと他軍の勧誘に乗ったあいつが、自軍の情報を漏らしたのが原因だった。
「うん。この手で殺してやりたかった。でも私は今真田の人間だから、もういいの。あの時の私怨はもう思い出さない。あれはもう、関係ない。」
「…」
正直、あっさり言い切ったいろはの答えに驚いた。
(悔しくない筈がないのに。)
現に命尽きるまでの忠誠を誓った主を同僚の裏切りで奪われてからというもの、真田の旦那に雇われた後もしばらくいろははずっとあの日の裏切り者を捜し続けてばかりだったのだから。
あれだけ警戒する者の前で仮面を被って仕事のできるいろはが、旦那に心配されるくらい内から溢れ出す殺意を隠し切ることもできずにいたのだ。
あの時は自分の手で殺さないと気が済まないくらい憎んでいたのだろう
(…まあ、だから今まで黙ってたんだけど)
「あいつへの恨みとかないの?」
「ない訳じゃないよ、長年の忠誠を奪われた虚無感だって忘れられなかった。」
(そりゃそうだ。)
「でももういいの?」
「うん。そもそも感情も私情も持たないのが原則だから」
「じゃあ、それを思い出したらどうするの?」
「自己暗示だよ。感情が少しでも顔を出したらその瞬間に"思い出せない、分からない"って思い込む」
「そうすれば」
「うん。段々その感情の輪郭がぼやけて、そのうち何も感じなくなるから」
「寂しいね」
「…こうでもしないと私はやってけないの。」
それでも普通、そこまで徹底する奴はなかなかいない。上杉のとこの忍も見習ってほしいものだ。
「ホント、よく出来た奴…」
結局のところ、いろはの本質は優しいのだと思う。だからきっとこれは、その優しさから由来する脆さをなくす為にいろはが身につけた、傭兵として在るための術なのだ。
それは昔忠誠を誓った人間にいつでも刃を向けれるように、という目的をもった悲壮な覚悟から成る
だから彼女は他の忍より優秀だと感じるのである。
抑え込んだ優しさは忠誠心へと姿を変え、自身の編み出した術が、彼女が一つ前の雇い先の残党を殲滅することになっても、躊躇うことなくその手を既知の人間の血で染めることを可能にしているのだから、
(ホント、よく出来た奴。)
だからゆくゆくはそこに帰結するのだきっと
現人の際涯
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