私は何をしてる?

私はどこにいる?

私は、誰?



ついさっきまで音やらにおいやらが不快極まりない場所にいた気がするのに、それがない

暗いような明るいような空間をさ迷いながら思考を巡らせた


(私は、武田軍の武将)


幼い時親に捨てられてたのを運よくお館様に拾われて

幸村達と一緒に喧しくて優しくて楽しい、甲斐の武田で今まで暮らしてきたんだ


(…だけど、)

あの明朝、お館様と幸村の不在を狙って武田に忠誠を誓ったはずの部将が内乱を起こそうとした


大将の不在は不安ではあったけど、伝達の忍が大将の元に辿り着くまでには片が付くと見積もった

それで十分事足りると思ったし、事が無謀だっただけあってもう勝負なんて最初から見えてると考えていた


(ああ、だからこうなったのか)
(これはまたお館様に殴られる)

知らぬ間に、尊敬してやまないお館様の教えをひとつ、忘れてしまっていたようだ

(私はあの時)
(慢心してたんだ)


だから、謀反の主犯を追い詰めた時に、逃げ遅れた女中を人質にされたのに気を取られた瞬間

背後に構えてた雑兵に気付けなくて、そのまま斬られたんだ



人質にされた女中は無傷で無事だったし、その場にいた敵は全部斬り臥せたから結果的に武田を守ることはできたけど


刔られた脇腹の傷は浅くないし、絶えることなく溢れ出す血は温かかった

どうやら私の方はあんまりよろしくないらしい


手当の一つでもあれば助からないことはないんだろうけど

女中を助けるために随分屋敷の奥まで来たようだから、きっと見つけてもらえるのはこの躯が冷たくなってからだ

どうせなら幸村や大将を守って死にたかった。これが俗に言う志半ば、というやつなのだろうか


(きっと甲斐の地で臥せれるだけ幸せなのだけど)


武田は忍隊も強いから残党の殲滅もあらかた終わってるだろうし

私がこのまんま寝っ転がるとして心配することは、もうない


ややあって緊張の糸が切れた瞬間、意識が急に遠退き始めた。気力というものは恐ろしい。


ゆっくり目を閉じる

視界は暗転を始め、意識はそこで途切れた



* * *



自分の死を悟って今更思うことなんてない

今のご時世、そんなことを悠長に思える程暇でもないし

世の泰平という大義名分の下に戦で山という程の命を奪ってきた手前、今更死を恐怖するなんて舐めた真似したくもない

命を無駄にはしないが、惜しみもしない。

正直こんな終わり方は些か不本意なものであるが、例え死してあの世とやらに行っても武田で一緒に馬鹿やって戦で先に逝った奴らがいるから寂しくもない。そう考えると嫌でも気が軽くなるのだ。

幸村と大将の日課がしばらく見れないのは残念だけど

のんびり皆で酒でも飲みながら、来るべき日を待つのも悪くないよな

これは、日頃から考えていたささやかな死後の生活設計だ。
前向きというかなんというか、自分は存外に楽天家なのかもしれない


(…まあ、一つだけ未練を探すならば)

未だに心の片隅で燻る橙をどうにかしてほしいと願う

幸村の懐刀と呼ばれる橙は、幸村の影でありながら悲しきかな一番の雑用係だったりする

きっと伝達を聞いた幸村がいち早くこちらに寄越すのは、彼のすぐ傍にいる忍だからあるいは

(もう少し頑張っていたら)
(一目くらいは会えたかもしれない)


今ほど淡泊だと言われる自分の性を恨めしく思ったことはない。
もう少しだけ生にしがみついていたら、と思うが、こればっかりはもう今更どうしようもないことだ

…やり切れないこの悔しさは、死後どこに持っていけばいいんだろう


(やっぱりあいたい、)

(会いたい、会いたいよ、さすけ、)


気がつくと、すぐそこで水音がした。ああきっと、あれがかの有名な三つ瀬川だ。

つう、と頬を伝ったそれが己から流れたものなのか、眼前に広がる川のしぶきなのか、自分には分からなかった


向こう岸でずいぶんと懐かしい面々が手を振っている。生前から幸村に倣って持っていた六文銭もばっちりだ。

この川を渡ることに不備なんてないはずなのに、どうして、どうしてこの足は

石のようにびくともしないのか

(そんなこと、愚問だ)


簡単なことだ。自分は、思っていた以上に貪欲だったらしい。


佐助は優秀な忍だから、なかなかこちらにくることにはならないだろうけど、どんなに時間が経とうとも最期の旅路だけは彼と共にしたいのだ


だから、また逢えるその最期まで私は岸部で待ち続けるとしよう


だからきっと、武田の成すだろう偉業を見届けることは叶わないのだ。だから大将ごめんなさい。

(大将不孝者な私を赦してください)

あっちで会ったら、たわけが!とでもなんとでも殴ってください。お疲れ様でした!って殴り返しますから。


"結局大将なのかよ…"

遠くで、橙が呆れたように揺れた気がした。ここまで来ると末期じゃないか。自分はどれだけ惚れ込んでいたのだろう。



***



「………」
「…起きた?」
「さ、すけ?」


…何で佐助が目の前にいるんだろう
私は死んだ訳であって現にあの川まで来ていて引き返せるなんてことがまずないのであってだから佐助がこっちに来るまで待ってようと思ってその矢先に佐助と会ったということはつまりすなわちまさかそういうことなのだろうか

「え…佐助もやられたの?」
「はあ?やられたのはいろはだけだよ、大丈夫?寝ぼけてないで帰っておいで」

云われた途端に手の温覚が戻ってきた。そして、手の感覚が戻ったのを筆頭に、一気に他の感覚器官の神経も働きを再開する。
…我ながら現金なものである。

ついでによく開けた眼で辺りを見たが、そこにあったのはさっきまでの不思議な空間でも、どこかの大きな河でもなく見慣れた畳の部屋と愛用の寝具だった


「…生きてる、?」
「結構危なかったけどね」


手に感じた温度は、それを優しく包む骨張った手から伝わるものだった。それが少し動く度に恋い焦がれてた貴方の匂いがする。

すごく落ち着く。涙が出そうなくらいに。


「帰ってきちゃった…あーあ、楽しそびれたじゃん」
「あは、いろはだけ楽にさせる訳無いじゃん」
「佐助はほっといても忙殺されそうだから、すぐこっちにくると思ってたのに」
「ちょっとそれどういう意味なの」
「べつにー?」


いつもと変わらぬ憎まれ口をたたき合う。顔にかかった髪をかき分ける手を擽ったいと思う。


私は一目、と願っただけだというのに、ささやかな日常がまた普遍になるなんて少し奮発しすぎなんじゃないだろうか

しかしまあ、戦の世にいるのは鬼や虎だけじゃなかったらしい。どんなに腐った世にも仏さんはいるものなんだなあ

なんて言ったらきっと自嘲気味にして笑われるのだろうけど

また貴方とたわいもない日々を過ごせると思ったら嬉しくて嬉しくて

私をゆっくり抱き起こしてそのまま抱きしめてくれる腕に、少し筋力が落ちて細くなった腕で抱き返した


すこし私の部屋のにおいが染みた佐助からはそれでも、温かな体温と大好きなにおいがした




彼岸の逢瀬は無期延期

(ホント、いつまで寝てんだよ。お寝坊さん)
(そういえばいつまで寝てたの?)
(あれから5日だよ。もう死んじゃうのかと思ったじゃん)
(それはそれは…私も死んだと思ってた)
(なにはともあれ、おかえり)
(…うん、ただいま)







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