「あー…お腹空いた」
なんだなんなんだ今日はとことんツイてない
朝は昨日徹夜して仕上げた課題を家の机に忘れてくるし
昼は母親のセンスを疑った。
お弁当のご飯の上に当たり前のように大根の酢ものがのっていたのだ。なんだそこは普通梅干しのポジションだろう。
そうは思うが、その隣に当たり前のように梅干しも入っていたのでもう何も言えない。しかも3個。
母親は私を塩分過多にしたいのかそうなのか
ご飯に多大な水分をもたらした酢ものを避けつつご飯を進めていると、急遽開催されることになった部活のミーティングにより私の昼休みは終わりを告げた
ご飯は半分も消費できず、せめてもの抵抗におかずを急いで詰め込んだ。
…すごく残念なことに5限目は少し気分が悪くなった。母親の名誉のために決して食い合わせの類が原因でないことだけは伝えておこう。
母親が私に与えたのはむしろ精神的ダメージである
さらに追い打ちをかけるように、今日の部活はやけにハードだった
なんで今日の顧問はあんなに燃えていたのだろうか。正直ついていけない。
武田先生を尊敬して指導をするなら真田くん達がいる剣道部に行って顧問すればいいのに…私たちに同じものを求めないでほしいのだ。場違いすぎる。
(……そうか、真田くんとこの顧問は武田先生だった)
誰にぶつけることもできない、行き場のない先生の独りよがりな情熱を一瞬不憫に思った。同情なんて絶対にしないけれど。
そんなこんなな部活のおかげで今日は沢山カロリーを消費した。
だが先述したように今日補給されるはずだったお昼のカロリーは悲しきかないつもより少なかったのだ。偶然は私に怨みでもあるのだろうか。そろそろ心が折れそうだ。
とどのつまり、今日起こったアンラッキーの連鎖をまとめて帰結するところはひとつしかない。
冒頭に戻るのだ
「お腹すいた…」
また同じ台詞をひとつ零して、人のいない駅のホーム、夜風に冷やされたベンチの上に腰を下ろす
私が乗りたかった電車は私が改札にたどり着いたと同時に、たくさんの同級生を載せて発車した。
次に電車がくるのは40分後。
今日は見たいテレビがあったのにこの調子じゃ間に合いそうにない。
なんてこった。今日は録画をしてもらおうにも連絡手段がないというのに…。昨日充電を忘れた相棒はついさっき息絶えたばかりだった。
(とりあえず本気でカロリー切れそう…)
「真田くんみたいな底無しの燃費の良さがあればなあ…」
「えー…旦那のなんて全然よくないよ」
「絶対うそだ、…………え?」
独り言はいつの間に会話に昇格したのか。
まさか自分は見えざる方々が見えるようになってしまったのか、なんて思いながら急いで振り返ったからなおさらびっくりした。やっぱりというか何というか、そこにいたのが人だったから。
「うわっ…人だ」
「……なんだと思ったの?」
「敢えて黙秘させて。えーっと、猿飛くん?」
「せーかい!どうしたの、旦那の燃費って?」
「旦那って…さ、猿飛くんお嫁さんなの?」
「違うよ…、深い意味はないから気にしないで」
何の前触れもなく私の前に(正しくは背後に)現れ、話し掛けてきたのは同じクラスの猿飛くんだった。
愛想と要領のよい彼の回りには男女問わず人が集まる。おまけに顔もいい猿飛くんはそれが運命だと言わんばかりにモテるらしい。
休み時間の度に、あまりに彼の回りに人が集まるので、なんちゃらホイホイみたいだ…と零すと隣にいたかすがに叩かれた。
「クラスの女子を敵にしたいのかお前は」だと。なんなんだどんだけなんだ猿飛くん。
そんな猿飛くんに、暇つぶしがてらとりあえず今日あったアンラッキーのひとしきりを話すことにした。
おおかた話し終わると、猿飛くんは笑いながら、その酢ものって大根オンリーな訳?と聞いてきた
着眼点に多少の疑問はあったが、キュウリも一枚蓋に引っ付いてたよ(食べなかったけど)、と素直に返すと更に笑われた
よっこいしょ、といって私の隣に座って笑い続ける猿飛くんはクラスで見るより柔らかく笑う気がする。何となくだけれど。
「それ、浅漬けか何かと勘違いしたんじゃないの?」
「うちのお母さんは梅干しを乗せたご飯の上にふりかけをトッピングをして、塩昆布をおかずの一品として詰め込む猛者だから…」
「うっかりの線は薄い、と?」
「おそらく」
「ふっ…たちわりぃ」
猿飛君はいつまで腹を抱えて笑うつもりだろう。ふと時計をみると、話を始めてから30分近く経っていた。
「もうすぐ電車くるねー」
「あーやっと家に帰れる」
「アハハ。今日はホントご愁傷様」
「……むう」
同情するならカロリーをくれ!と主張したかったが、どうやらそれだけのエネルギーも残っていないらしかった。そしてそれを見た猿飛くんはまた笑った。
「…ちょっと猿飛くん笑いすぎじゃない?」
「ごめんごめん。なんか話してみたら意外で」
「……?」
「ずっといろはちゃんと話したいなーって思ってたんだけど、群がってくる奴らは邪魔だし、かすがは睨んでくるしでなかなかチャンスがなかったんだー」
「へえ、そうだったんだ」
私とわざわざ話してみたいなんて、猿飛くんは社交的なんだなーと思った。猿飛くんはその性格が災いして某ホイホイの原因になっていることに気付いてないのだろうか。できるだけ早く教えてあげたいけど、今言ったらまた笑われて終わるような気がした。今度こっそり教えてあげよう。
そんなことを考えている間に、猿飛くんが一人決心をしているのを私は全く知らなかった訳で
「ホント、かすががいっつも傍にべったりだから、こんなチャンス滅多にないんだよねー」
「…何か言った?」
「なーんにも!あ、ねえねえいろはちゃん、俺とアドレス交換しない?」
「うん、いいよ?」
「うっそマジで?」
そんな一大決心のもと発された一言が彼にとってどんな意味があったかなんて考えもしなかったし、赤外線でアドレス交換をした後、もうすぐくるなー、なんて駅の時計を見ていた私の死角で猿飛くんが小さくガッツポーズをしていることなどもちろん知る由もなかった
「電車きたー」
「よかったね。あ、いろはちゃん、よかったらこれあげるよ」
電車がホームに入ってくるかこないかというとき、猿飛くんがくれたのは最近コンビニで発売されたお菓子だった
「え、いいの?」
「どーぞ!電池切れそうなんでしょ?」
「ありがとう!これ食べてみたかったんだー」
「(!!……グッジョブ俺!)」
そんな会話をしていたら、電車がきてドアが開いたので私は迷わず乗り込んだ。このホームに来る電車は、この行き先しかないからもちろん猿飛くんも乗るだろうと振り返った、ら、あれ?
「え、え?猿飛くん乗らないの?」
「うん、俺向かいのホームなの」
「でもその電車20分前にでちゃったよ?」
「そうなの。だからもうちょっと待って帰るよ」
「…もしかして私に付き合ってたから?だったらごめん…」
20分前といったら、丁度会話が盛り上がってたくらいだ。もし猿飛くんが気を遣ってくれてたんなら、それこそ申し訳がない。
「や、違うよ違う!それは有り得ない!ってかむしろ俺の意思ってか…」
「…え、え?」
「とにかく!いろはちゃんのせいじゃないから安心して?」
「あ、うん?うん、なら良かった」
猿飛くんはフォローも上手いんだなあ、と思った。きっとそんな紳士かけ流しだから周りに人が群がるのを助長してるんだ。猿飛くんがそれを良しと思ってないのなら、無自覚ほど恐ろしいものはない。あとでメールで教えてあげよう。
「遅くなって、家の人心配しない?」
「大丈夫だよ。旦那にはちゃんと伝えてるし」
「さ、真田くんと一緒に住んでるの…?やっぱり猿飛くんて真田くんのお嫁さんなの?」
「違う違う。俺が真田の旦那のとこに下宿してるだけ」
「あ、そうなのか…びっくりした」
「それはこっちの台詞だからね」
「あははっ!じゃあ今日はホントにありがとう」
「こちらこそ。また明日ね」
「うん」
その後、私は誰も他にお客のいない車内で車掌さんに見つからないようこっそりとひとつだけお菓子を食べて、まっすぐ家に帰った。
だから猿飛くんがあのあとの20分をどう過ごしたのかを私は知らない。
僕らの物語は始まったばかり
(佐助お前!いついろはとメールなど…!)
(やかましい金髪の護衛が目を離した隙に、ね?いやーいろはちゃんて可愛いね!)
(くっ、私としたことが。…しかし、話を聞く限り今回はお前にしては随分と大人しいようだな)
(…え?俺様けっこうアタックしてるつもりなんだけど)
(………いろはが鈍いだけか)
(え、ええ?いろはちゃん何か言ってたの?)
(猿飛くんって真田くんのお母さんみたいだね。だと)
(うそだあ)
(ふん、どうやら道のりは予想以上に大変らしいな)
(か、かすがあ)
(寄るな煩わしい。同情はしても手は貸さんぞ)
(そんなー…)
愛してやまない愛しの彼女はまさかまさかの難攻不落の城でした
***
thanks!
title by:虫喰い
こんなに鈍感な子になるはずじゃなかったのに…アンビリーバボー
余談ですが、ヒロインちゃんのお弁当はすべて杜龍のノンフィクションだったりします
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