「なまえ先輩がキスしてくんないんスよー!」
「やば。フツーに異性交遊しようとしてんの超ウケるね」


ケミィは頭を抱えて悩ましげに唸るイナサを横目にパックジュースを飲む。突然相談があると大声で誘われたときは何事かと思ったが、なまえとキスするにはどうしたら良いかを聞きたいらしい。行儀は悪いがストローを噛みながら首を傾げたケミィは、ジュースを全て飲み干した。


「てかなまえちゅーしたら子どもできるとか思ってそう」
「え……ケミィさんなんで知ってるんスか……!?」
「うそまじ? さすがの私も仰天なんだけど」


ぽいと放った空の容器がごみ箱に吸い込まれケミィの口から「やっば」と感動の声が漏れた。じーっと注がれる視線に相談されていた内容を思い出してぴっと人差し指を立てる。


「難しく考えすぎじゃない? いい雰囲気に持っていってもあのなまえだよ? 黙って顔を近づけたところで適度な距離を保てとか言いそう」
「いつになく饒舌っスねケミィさん」
「マジ失礼。だからさ、なまえには何事も誤魔化さず気持ちを伝えるしかないと思うよ」
「なるほどっ!」


お礼を伝えながら去っていくイナサに手を振って返す。姿が見えなくなったあとでケミィは空を仰ぎながら呟いた。


「なまえと夜嵐付き合ってなくない?」







「というわけなんでキスしてください! めっちゃしたいです!!」
「相談する相手を間違えてはいけないよイナサ」


ガバッ! と元気よく頭を下げたイナサになまえは赤くなっている顔をそのままに優しい口調で諭した。赤い原因はイナサがケミィに相談した内容を一から十まで説明したことからの羞恥心である。たしかになまえは数日前キスの話になったとき子を授かったらどうする、まだ覚悟も責任もない私たちがなどと口走った。昼休みが終わる直前ケミィに「なまえ、キスしたくらいじゃ赤ちゃんできないよ。おけ?」と肩を叩かれたがそういうことか。


「イナサ……毎回伝えてはいるが、士傑は異性交遊厳禁だ」
「じゃあ俺女になってくるっス!」
「性転換を勧めたわけではない」
「え……先輩が男になってくれるってことですか?」
「生まれてこの方性別を変えようと思ったこともないよ……」


前提としてケミィの呟き通り二人は交際をしていなかった。イナサがなまえを好きだと告げてきたのはもう何か月も前になる。はじめこそ冗談だろうと「士傑生としての自覚が足りない」そうイナサを叱っていたが、最近はどうやって諦めてもらうかを必死に考えていた。認めたくはないがなまえは流されやすい性格らしく、イナサに愛を叫ばれる度に彼を愛しく思う気持ちが強くなっていく。好きならば好きと伝えればいいのだが、なまえが頷くことができない理由は一つだった。


「いい加減諦めろ。そもそも順序がおかしいぞ。接吻は恋人同士になってからするものだろう。私はイナサを好きにはならない」
「また変な意地張って……」
「そうだ意地だ! だが意地を張ることの何が悪い!」
「意地張るなまえ先輩もかわいいんでオッケーっス!」


ただの意地である。彼を叱り、告白を断り続けてきた手前今更自分も好きだなんて言えなくなってしまっているのだ。イナサはただただなまえと付き合いたい。なまえは素直になれず開き直って告白に頷かない。お互いに平行線なのだ。


「かわいいんですけど……! かわいいんですけど、やっぱ俺はなまえさん好きなんで付き合いたいしキスしたいっス……!」
「お、男を求めるなど痴女だ」
「俺は痴女ななまえ先輩も見たいですけどね!」
「なっ……大声で変なことを言うな馬鹿者!」
「すいません!!」


イナサは一瞬脳内を過った淫らに誘うなまえの妄想を消すために頭を振る。そして突如しゅんと落ち込み始めたことになまえの体はびくりと震えた。


「俺本当にただなまえさんと付き合いたかっただけなんスよ……」
「? い、イナサ」
「でも頷いてくれないのも仕方ないっスよね……いつも怒られてるし、いいところ一つもないですし」
「え、いや、別にそんなこと言ってな」
「いいんすよ! ほんと、先輩が俺のこと嫌いで告白断ってるの知ってるんで大丈夫っス!」


おいおいと顔を覆って小さくなるイナサになまえは酷く焦った。誰が誰を嫌いだって?


「き、嫌いではないぞイナサ! お前にはいいところだってたくさんある。泣くな」
「ほんとっスか……?」
「ああ」
「じゃあ好きですか」
「大丈夫、好きだぞイナサ」
「はい言質取ったっス!!」
「!?」


もちろん全て演技の泣いたふりだ。イナサは涙一つない顔を上げると、なまえに向かってビシリと指を差した。普段であればここで「人に指を差すものではない」と怒る声が聞こえるはずだが、目の前のなまえはぽかんと固まっている。自分の発した言葉を思い出して状況が整理できたのかぶわっと一気に赤へと変わる頬の色にイナサは笑顔を向けた。


「ひっ卑怯……! 卑怯である!」
「まさかなまえ先輩ともあろう方が発言を撤回なんてしませんよね!」
「当たり前だ!」
「じゃあ付き合ってくれますよね? 俺のこと好きっスもんね?」
「う……」


腕で口元を隠したなまえとの距離をぐいぐい縮める。一歩近づく度に目に涙を溜めるなまえの手を遠慮なく握った。


「なまえ先輩。俺のこと好きですか?」
「っ……校則を破ることになるだろう」
「ばれなきゃ破ったことになんないっスよ」
「そのような考えは今すぐに捨てるべきだ……」


口ではそう言いながらも弱く握り返された手に口角が緩むのを止められない。押しに弱いなまえを実質頷かせたイナサの一人勝ちである。



お前のために集束される幸福を



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