くいっと服を引っ張られるのを感じた爆豪はしかめ面を隠すことなく振り向いた。そこにいたのはなぜかあふれ出しそうな涙を目尻に溜めたなまえで、さすがの爆豪も戸惑う。何か嫌なことでもあったのかと一瞬で思考を巡らせて、思い当たることがあった爆豪はその顔を無表情に変えた。


「教えねえぞ」
「やだやだ助けてよ爆豪! まじで! 小テストやばい!」
「知るか自分でなんとかしろ!」
「だってヤオモモたちみんな無理だって言うんだもん! 一生のお願い!」


なまえの一生のお願いならもう何十回と聞いているのだが気のせいだろうか。八百万のほうを見れば彼女は満面の笑みで手を振っている。教えられないと嘘をついて爆豪の元へ来させたことを確信した。怒鳴ろうと口を開いた爆豪だったが、ねえねえと揺さぶってくるなまえに八百万たちのことは後回しにしようと睨みを利かせる。


「うっ、な、なんだよぉ……睨むなよかっちゃん」
「かっちゃん言うなアホ。大体お前なんで小テストごときで焦ってるかわかっとんのか」
「え……私が、かわいいから?」
「勉強してねえからだよ!」
「わー爆豪めっちゃ怒るじゃん!!」


我慢できずあふれ出した涙をそのままになまえが頭を抱えて大声を上げた。明日行われる小テストの予告は一週間前からすでにされている。それにも関わらずなまえが前日になって勉強を教えてくれと頼んでいる理由は、爆豪の言う通りそれまで一切勉強をしていなかったからだ。正確に言えば勉強をしようという気持ちはあった。しかし教科書といくらにらめっこをしても解けない問題に挫折したのである。峰田と共有スペースで性的嗜好の話をしている場合ではなかった。


「断られすぎて頼れるのがもう爆豪しかいないの! お願いっ」


涙目の上目遣いに爆豪はバレない程度にグッと唇を噛みしめる。この仕草が計算されての行為だったなら無下にできるというのに。


「夜俺の部屋だいいな」
「え」
「二度も言わねえよとっとと席戻れ」


爆豪から離れればなまえのもとへ駆け寄った八百万がハンカチを差し出しているのが見える。笑顔を振りまくなまえを見つめながらはあっとため息をついた。

本当に腹が立つ。







ノックされた扉を開ければ筆記用具とノートを握りしめたなまえが気まずそうに立っていた。お風呂上がりなのかまだ乾ききっていない髪が爆豪の理性をほんの少し刺激する。さすがのなまえも夜に異性の部屋というのは緊張するらしい。そわそわとするなまえの腕を引いて部屋に招き入れればわかりやすいほどに肩に力が入った。


「ねーやっぱ一階でやらない……?」
「一階はあいつらがうるせえだろ」
「う……で、でも」
「いいから教科書開け。これで小テストクソみてえな点数取ったら許さねえぞ」


机のある場所へとなまえを引っ張り座らせた爆豪はパラパラと教科書をめくる。勉強を始めればなまえの緊張も徐々になくなり爆豪の教える声とペンの音だけが部屋に響き渡った。時々問題がわからずにペンが止まりつつも時間は進み、爆豪のスパルタじみた教えにより自分でやったときより何倍も理解できたとなまえが喜んだ。


「さすが神様爆豪様……っ! これで明日は大丈夫だ絶対っ」
「部屋に戻っても復習してから寝ろ」
「ええもういいんじゃ――」
「あ?」
「復習大好きです! ありがとうございます爆豪先生!」


黒い文字で埋められたノートを機嫌良く眺めるなまえの表情は明るい。いつもと比べものにならないくらいの点数を取ってしまうかもしれないと浮き足立ち、改めてお礼を言おうと爆豪を見上げたなまえはびくりと体を震わせた。


「あの……ち、近くない?」
「近づけてんだよ」
「え、ばくご」


後頭部に爆豪の手が回りなまえの口からは母音しか発せられない。一気に顔が熱くなり緊張が戻ったなまえから目を逸らさず爆豪は話を続ける。


「誰にでも距離が近ぇんだよお前は」
「……? 今の爆豪も相当距離が近いよね」
「特にクソ変態といるのどうにかしろ」
「無視……クソ変態って峰田か」


友達なのにと唇を尖らせるなまえに爆豪は盛大に舌打ちをかました。この距離で唇を尖らせるかとなまえから手を離した爆豪がまたもやため息をついてしまう。いっそわざとであったならどれだけよかったか。


「なまえ」
「へあ……!?」


開いたままのノートを叩いて名前を呼べばなまえが変な声で返事をする。普段呼ばないからか名前を呼ばれるのが弱いらしいなまえが恥ずかしそうに俯いた。


「もうまじで、まじでさぁ……なんかどきどきすんじゃん……やめてよね」
「そうかよ、いいこと聞いたわ」
「……待って!? な、なし! 今私何も言ってないからっ」
「そういうの失言っていうこと、覚えとけよ――なまえ」
「ひゃ」


手の甲で口元を隠す姿が愛らしくて堪らない。いつも誰にでも振りまく笑顔が気に入らなかった。何より爆豪が今日一番気に入らなかったのは真っ先に頼ったのが自身でなかったことだ。八百万が頷いていればなまえは彼女や他の者に勉強を教わっていたと思うと腹が立つ。


「うう……余計ドキドキするじゃんかぁ」


爆豪はするりと無意識になまえの髪を撫でつけた。なんでこんなアホを好きになってしまったのだろう。口を開けば爆豪が得になることしか言わないようなバカなのに。不思議そうに首を傾げるなまえが好きで、自分だけのものにしたい。日に日に強くなる思いはなまえに隠す必要はないだろう。


「また他にもなんかあれば俺に言え」
「うん……」


爆豪の気持ちがなまえに伝わって、彼女が自分を好きになってくれるのならばそれでいい。きっとなまえは好きという気持ちを隠しきれず、意図せず爆豪に伝えてくれるだろうから。



あなたのうたひびくところ



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