*1万打企画「夢覚めやらぬ世迷言」→これ



くらい。さむい。さびしい。こわい。

ベッドの上で小さく丸まったなまえは浅い呼吸を繰り返す。肩を抱きながら自分の頬を伝う汗だけじゃない生温かいものに顔を歪めた。大丈夫、大丈夫と口の中で言葉を転がしたところで震えは収まらず目をぎゅっと瞑る。そこでガチャリとドアの開く音がしたなまえはそろりと顔だけを動かした。


「何泣いてんだ」
「だ、び……」
「声ひでぇな」


くつくつ笑う荼毘が後ろ手にドアを閉めこちらに近づいてくる。泣いたせいの鼻声でお世辞にもかわいいとは言えない声にも反応して髪を撫でられた。荼毘はなまえの頭に手を置いたままベッドに腰かけるとふっと息を吐く。涙を拭いながら体を起こすなまえはそんな荼毘を不思議そうに見つめた。


「なに……?」
「いや。で? なまえはまた泣いて何かあったのか」
「ん……何か」


何か……あったのだろうか。なまえは暗い部屋の中で荼毘だけを視界に入れる。そういえば、どうしてあんなに震えて泣いていたんだっけ。


「寂しかった、のかな」
「わかんないのかよ」


また笑い始めた荼毘に、自分のことで笑顔になってくれたことが嬉しくてなまえの口元が緩んだ。思い出せないということは大した理由ではなかったのだろう。荼毘が来てからは震えもすっかり収まり上手く笑えている。


「っ、だ、荼毘」


突如するりと荼毘の指がなまえの足を這いびくりと体をしならせた。これが合図だと知っているのでなまえは体の力を抜いて荼毘を見上げる。


「へえ。抵抗しないのか、お前」
「あの。私……抵抗したことあったの」


なまえの言葉に一瞬動きを止めた荼毘が静かに頭を振った。不安そうな瞳のなまえに荼毘の口元が歪に上がる。


「……そういえばなかったな」


ほっとするなまえが腕を伸ばしてきたために荼毘は無言で抱きしめてやる。自分の名前を呼ぶなまえを抱きながら荼毘はほくそ笑んだ。

――ああ、着実に忘れていってくれている。







はじめはうわ言のようにクラスメイトや家族の名前を繰り返していた。寝ているときも起きているときも飽きもせず涙を流すなまえに感心していたくらいだ。ひと月が過ぎたころだろうか。荼毘はなまえの変化に気づいた。


「誰、それ」


行為中に口にした実の父親の存在を否定し始めたのだ。彼女からの愛を諦めていた荼毘にとって記憶がなくなるという事実は彼を喜ばせた。他の者を全て忘れて自分だけを覚えているだなんて、それ以上に幸せなことがあるというのか。


「こわ、いの。くらいの、こわい」


暗いのが怖い、と子どものようになまえが呟く。初めてなまえを体を重ねたときこの部屋は今のように暗く狭かった。きっとそのときのことがトラウマとなっているのだろう。最近では自分がそばにいなければ寂しいとまで口にするようになってくれたし、なまえは既に荼毘がいなければ何もできないと思い込んでいるはずだ。


「なまえ。俺のことだけを考えてればいい。そうすれば余計なことは記憶から全部消えて泣かなくなる」


いつもならば体を重ねるときとなると嫌だと声を漏らすなまえだが、そのことさえも忘れていた。少しずつ自分のものになっていくなまえ。早く全てを忘れてしまえ。継ぎ接ぎだらけの男は今日も彼女の記憶が消えることを祈る。



月蝕の変種



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