「ヘイ、イレイザー! お客さんだぜ」
「客……?」


放課後、仕事も終えそろそろ帰ろうと教師たちも続々と腰を上げ始めたころ。職員室にてプレゼント・マイクこと山田に話しかけられた相澤は鞄に荷物を詰めていた手を止めて顔を上げた。こんな夜に客なんて誰だと思い山田が指差す入口へと顔を向ける。そして固まった。


「なんで生徒が夜遅くに学校残ってるんだマイク」
「それは直接本人に聞きゃーいいだろ。俺は先帰ってんぜ! またなイレイザー!」


さっさと荷物を詰め他の教師らに挨拶をしてドアへと向かう。入口の横の壁に寄りかかり立っていたのは、自分のクラスの生徒であるなまえだった。相澤が来たのに気づいたなまえはほんの少し姿勢を正して目を合わせてくる。申し訳なさそうに眉を八の字にさせている姿に相澤は息を吐いて気持ちを落ちつかせた。怒るよりまず理由を聞くほうが合理的であろう。小言は言わせてもらうことにするが。


「夜遅くまで学校に残るな。何しに職員室来たんだ」
「職員室に来たんじゃなくて、近くの廊下で単語帳を見ながら先生を待ってたの。そしたら、見つかっちゃったのよ」
「……マイクにか?」
「ええ。……ごめんなさい」


なまえが目を瞑り身を縮こまらせる。相澤は長いため息をつきながらガシガシと頭を掻くと無言で歩き始めた。離れていってしまう相澤になまえは鞄を握りしめる。数メートル離れたところで相澤は立ち止まり、後ろを振り返った。


「早くしろ。待っている時間がもったいない」
「先生……?」
「敷地内とはいえ、一人で寮に帰らせるわけにもいかないだろうが」


全く……と呟く姿は面倒そうだが心配が見え隠れしている。なまえは相澤の隣へ駆け寄ると、持っていた鞄を肩にかけた。なまえの歩幅に合わせて歩いてあげる辺り優しさが隠し切れていない。いや、隠そうとしているわけでもないのだが。


「俺を待ってたってことは何か用事でもあったんだろ。明日の朝じゃダメだったのか」


気になっていたことを足を進めながら口にする。自分が帰る時間になるまで待って尋ねたいほど大事な用事だったのだろうか。それになまえは人差し指を顎に当てて首を左右に振った。


「違うのよ。私、相澤先生と帰りたかったの」
「……何を」
「待ってれば送ってもらえるって、思って……でも冷静になってよく考えたら、人を待って時間を無駄にするなんて不合理的なことをする生徒……先生は嫌いよね。それに迷惑までかけて……本当にごめんなさい。もうしないわ」


相澤は言葉の意味を理解するのに時間を要した。額を押さえて数秒瞳を閉じてみたが隣には依然としてなまえがいる。一瞬でも夢だと思ってしまったのだ。

結論から言えば、相澤は一生徒であるなまえを恋愛感情で好いていた。もちろん年齢的にも職業的にも気持ちを打ち明けることができないために普段は心の奥底に止めている。しかしふとした瞬間溢れる思いまでは制御できずにいた。今だって自分と帰りたかったなどと言うなまえに柄にもなく嬉しくなり舞い上がってしまっている。相澤の舞い上がるは目頭付近を押さえて上を見るか俯くかのどちらかなので、ドライアイで苦しんでいると思われるだけなのが常だ。そんなことを知らないなまえは怒っていると勘違いしたらしく落ち込んだ声色で再度謝った。用もなく一人夜まで学校に居残っていたことはたしかに"不合理的"ではあるが、送ってほしくて自分を待っていたなんて言われてしまえば男として喜ばないわけがない。


「相澤先生……?」
「ああ……まあ、遊んだりケンカしたりしてないなら、今回は目を瞑る。明日からはちゃんと帰るか、残るなら一言声をかけろよ」
「……あの。残っていても、いいのかしら」
「声をかければな」
「……ええ」


にこりと相澤に微笑みかけたあとで両指を絡めたなまえは唇をキュッと結ぶ。まるで嬉しさを誤魔化しているかのようだ。言えば残っていいと許可を出しただけで、これからも共に帰るだなんて一言も口にしてはいないのに。そんな反応をされたら今度は相澤が勘違いしてしまいそうになる。


「ほらついたぞ。明日も早い、さっさと寝ろよ」


しっかり寮まで送り届け相澤は一安心した。好きな者の隣はやはり緊張するものだ。さっさと風呂に入ろうと相澤も寮へ戻ろうと踵を返すと、なまえに先生! と呼び止められる。相澤が振り向くとなまえはクラスメイトにすら見せたことのない満面の笑みを向け小さく手を振っていた。


「ごめんなさい。でも、ありがとう。幸せだったわ」


タッと寮内へ入っていってしまい相澤は一人残される。しばらく瞬きせずに立っていたが懐から目薬を取り出すと両目に数滴ずつ垂らした。軽い足取りを感じながら歩みを再開させる。髪で隠されていたせいではあるが、終始なまえの耳が赤くなっていたことに気づくことができなかったのは相澤にとってもったいないことだったと言えよう。

次の日いつもと比べてどこか機嫌の良い相澤の背中をグッモーニンッと叩いた山田。その瞬間機嫌の良さは消え去り睨まれたが謝ったらすぐに許してくれたのでほっと息を吐いた。山田は職員室までの道中話題をコロコロ変えては話していく。話は自分のラジオの話になり、山田はそういえばと呟いた。


「リスナーが先生やってて、生徒が卒業したあと結婚したって話もうイレイザーにはしたっけか?」
「………」
「イレイザー?」
「マイク、あとで奢る」
「……ンン〜!?」


山田はサングラスの下で目を大きく見開き冷や汗をかく。長年の付き合いだ、なんとなく相澤がなまえに生徒へは抱かないであろう思いを抱いていることに気づいていた。だがまさか何気なく発した言葉で背中を押してしまうとは。


「……捕まるなよイレイザー」


今のは明らかに山田のせいである。引きつった笑みを相澤に浮かべることしか、山田にはできなかった。



呼ばずとも春は来る



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