八木俊典は平和の象徴を引退してからと言うものの独占欲が強くなったと感じていた。弟子でも恋人でもあるなまえが笑う度に八木にはもっと自分を見てほしいという感情が湧く。自分のものだけにしたい。そんな感情は八木にとって醜いと考えるものだ。自由にしてあげたいと思っているのになまえといられる時間が増えたせいか彼女への思いが日に日に強くなっていく。


「オールマイト」


名前を呼ばれて微笑まれると誰にも渡したくないという思いで頭がいっぱいになる。もちろんそんなことを本人に伝えられるはずもなく伸ばそうとした腕を下ろしたりごまかしたり。自分にまだこんな欲が残っていたことに驚いたし、自制も難しくなってきていることにも気づいた。今だって。


「お前またオールマイトとか」
「っ、も、もうかっちゃん! 大きな声で言わないで……! 生徒には会ってることは秘密なんだから……!」
「知らねえよ」


こうして時間があるときに仮眠室を使って会っていることは、生徒どころか教員にも黙っている。廊下から聞こえてきたのは恋人であるなまえと彼女の幼なじみである爆豪の声。ほんの少しだけ開けておいたドアからばれないよう顔をのぞかせれば仮眠室の近くで会話をしている。ああ――、と八木は口元を押さえることでなんとか踏みとどまった。


「毎度こそこそとご苦労なこったな」
「あはは……堂々と会うわけにもいかないから。迷惑かかっちゃうし」
「………」
「かっちゃん……?」


八木の目はなまえを見つめる爆豪へと向けられている。爆豪の目は自分とよく似ていた。数十年も生きていれば疎いふりもできなくなる。生きてきてなまえ以外からあのような目を向けられたことは一度や二度ではない。だからこそ断言できるのだ。あの目は、人を愛しているときの目。


「大丈夫? どこか痛い……?」
「っせえ、なんでもねえ!」
「わあ! きゅ、急に大声出さないでよかっちゃん……」


胸に手を当てながら苦笑するなまえは爆豪の気持ちなんて少しも気づいていないはずだ。自分がいなければ今ごろ爆豪はなまえに思いを伝え結ばれていたのだろうか。結ばれて、いたのだと思う。小さなころから身近にいた爆豪と憧れの存在の自分では過ごしてきた時間が違いすぎる。八木がもう少し遅ければ爆豪がなまえの隣にいただろう。


「それは、うん……いやだなぁ」


呟きと共にため息を吐き出して気持ちをすっきりさせようと試みる。意味のないことをしてしまったと八木はドアを開けた。その音に顔をこちらへと向けた二人は驚いたように目を瞬かせる。


「オールマイト! もう来てたんですね」
「ついさっきね」


本当は十五分ほど前からここでお弁当片手に待機していたのだけれど黙っていよう。「爆豪少年元気かい」片手を上げて笑みを浮かべるが爆豪はまあ、と俯いてしまい覇気がない。教師としてはここで爆豪の元気がないことを心配するべきなのはわかっている。しかし八木は爆豪の元気のない原因が自分となまえの交際だということを知っているのだ。


「お待たせしてしまってすみません……あ、じゃあねかっちゃん。また午後に」
「……なまえ」
「ん?」


首を傾げるなまえが爆豪を見つめる。何度でも口にするが、今の八木は独占欲の塊だ。ずるい自覚はあったが、なまえの肩をつついて先に部屋へ入っていることを伝えた。優しいなまえが放っておくはずもなく爆豪に一言謝罪をすると八木の後に続く。


「オールマイト聞いてください、実は昨日――」
「ハハ、なまえ少女ストップ。中に入ったらね」
「あっはい! すみません……!」


部屋に入る直前そっと爆豪を盗み見ようと顔を向けた。しかしばっちり合った視線に、八木は最低な自分を自覚しながら口を開く。


「ごめんね」
「――!」


なまえはこの謝罪を話を遮ったことについてだと思ったはずだ。しかし今の謝罪はなまえを好きになったことでも彼女を奪ってしまったことでもない。返すつもりがないんだ、ごめんね。そんな挑発に似たものである。なまえの特別な笑顔が向けられるのは八木だけだ。申し訳ないが過ごした時間の差を憂いてなまえを手放すはずはない。大人げない、と思いつつも部屋のドアがパタリと閉められる。今日はどんな話を聞かせてくれるのか。八木は独占欲を笑顔に変えてソファへと腰を下ろすのだった。



今日も愛してるが言い終わらない



戻る