*オリキャラ(悪女ポジ)がいます
*キャラヘイトのつもり等は一切ありませんのでご注意ください
ななしにとって誤算があったとすれば、間違いなく緑谷なまえの存在だった。
「ななしさん、これ落としたよ」
ふわりと笑いかけてくるなまえの手には自分の所持品であるレース付きの白いハンカチが握られていた。一瞬舌打ちが出そうになってしまったが教室でそんな姿をさらすわけにはいかない。
「気づかなかった、ありがとうなまえちゃんっ」
「どういたしまして」
出し得る限りの高い声でお礼を伝えハンカチごとなまえの手をぎゅっと握ったななしは、このまま握りつぶしてしまおうかと考えてしまった。さっさといなくなってしまえばいいのに。この女がいると自分の計画が全て台無しになってしまうのだ。
ななしは本来雄英高校の生徒でも、そもそもこの世界に存在する者でもなかった。冗談でもなんでもなく、ななしの世界ではここは漫画の世界である。せっかくなんでも願いを叶えてくれると神を名乗る者にこの世界へ飛ばしてもらったというのに、これじゃあ意味がない。ななしの目的はこの大好きな世界で全員の男から愛されることだ。だが『異物』がいたのでは自分の計画に支障が出るに決まっているだろう。
自分が原作に介入してしまったせいなのかはわからない。なんとこの女、原作より皆から愛されているみたいじゃないか。
「なまえ、次ヒーロー基礎学だろ」
「あ、うん! 行こうか轟くん」
大好きなこの漫画の世界で男から愛されるという計画の上で、なまえは邪魔でしかないただの『異物』だ。なまえさえいなければ自分は一番になれるはずなのに。幼なじみの爆豪の目が優しいのが気に食わない、轟の隣を陣取っているのが気に食わない、何よりそれを当たり前のものとしているなまえの態度が気に食わない。ネイル付きの爪をひっそり噛みながらどうしてやろうかを必死に考える。
そしてななしははっとした。考える必要などあったのか?
邪魔ならば、消してしまえばいいだろう。
「なまえちゃん、一緒にご飯食べよっ」
「えっ?」
昼休み、お昼に誘われたなまえはきょとんとしてななしを見上げた。ななしからなまえのことを誘ったことなど一度もなかったのだ。この反応も当然であろう。なまえちゃんと食べてみたかったんだけど、などと思ってもいないことを控えめに伝えればなまえは嬉しそうに頷いた。こんな好かれる努力もしていない女のどこがいいんだろう。食堂へと向かう中他愛ない話をたくさんしてくるなまえに相槌を打ちながらそんなことを思った。
「あのね、なまえちゃん……」
「……ななしさん?」
食事中言いづらそうに目を逸らしながら呟けばなまえが心配そうに見つめてきてくれる。人の少ない端のほうへ席を取ってよかった。ほんの少し小声で話しても聞こえる。
「こういうの告げ口みたいで、本当は言いたくなかったんだけど……」
「どうか、したの?」
「じ、実はね。お茶子ちゃんがなまえちゃんを悪く言ってるのを……前に聞いちゃって」
「……えっ」
もちろん嘘である。女子になんて興味のないななしが麗日が何かを話していたとして聞くはずもない。実際なまえの悪口を言っていたのであれば話は別だが、彼女の悪口を言う者なんて1-Aに存在しないだろう。しかしなまえがそれを知るはずもない。なまえは「そ、うなんだ」と食べていたカツ丼を食べるペースを落とす。
「私もね、びっくりしちゃったんだけど。だってまさかお茶子ちゃんがなまえちゃんを近くにいて迷惑だなんて言ってるとは思わなくて……っ」
「う、うーん」
「ごめんなさい、なまえちゃん本人に嫌な思いさせちゃって……でもその話を一緒にしてた梅雨ちゃんもなまえちゃんに酷いこと考えてたらって思ったら、私一人じゃ抱えきれなかったの……」
ここまで来ると女優になった気分だ。ななしは顔を覆って上がってしまう口角を必死に隠した。なまえの性格からして、悪口を言っていたことをななしから聞いたと誰かに言う可能性はゼロに等しい。クラスメイトに何を言ってもなまえから離れていかないのはななしでもわかった。なまえが自分の言葉を信じてくれれば彼女のほうからクラスメイトと少しずつ距離を取ってくれるだろう。麗日、蛙吹の二人が上手くいった次は誰に関しての嘘をついてやろうか。
ざまーみろ、と心の中で何度も叫んでやった。なまえが周りから好かれているのが悪いのだ。自分は少しも悪くない。
絶対に上手くいったと思った。疑心を持ったなまえがクラスメイトから離れていき一人になる。晴れてななしが男子たちの一番となれると信じていたのに。
「なんでなまえに麗日たちが酷いこと言ったなんて嘘ついたの。説明してよ、ななし」
怒り心頭の耳郎が庇っているのはなまえだった。まさか昨日のことをなまえが伝えたのか、と教室で1-A全員の視線を浴びながらわざとらしく首を傾げる。
「なんのことかわかんないよ響香ちゃん」
「とぼけないで。言っとくけどウチら全員が納得するまではこの話はやめないよ」
よく見ればなまえが慌てているし、少なくともなまえが昨日のことをバラしたわけではなさそうだ。だとしたら誰が、と目線を動かすと軽蔑の色を隠しきれていない人物が一人。
「俺が全部聞いてた。大事な仲間陥れようとか、さすがに黙ってるわけにはいかねえよ」
見られていた、聞かれていた。まさかこんな失敗を犯すだなんて。目撃者の上鳴の言葉に唇を噛みしめたななしは一歩分後退し考えを巡らせた。このままでは自分の計画が本当にダメになってしまう。既に手遅れなことに気づかないななしは違うの! と咄嗟に声を出した。
「ななしさん……」
「っ、ね、ねえ! なまえちゃんからも皆に何か言ってあげて! お願い!」
ななしの名前を呟いたなまえに助けを求めるが、轟に肩に手を置かれた彼女の口がそれ以上開かれることはなかった。
「何か言うもなにも、なまえはテメェが悪口言ってたのを聞いた当人だっつの」
「私もお茶子ちゃんもなまえちゃんが大好きなの。絶対彼女を傷つけるようなことは言わないわ」
「うん。ヒーロー目指す者としてだけじゃない、人としてダメだよ」
爆豪に続くように蛙吹や麗日が前に出る。だがおかしい。昨日のことを目撃したのならば本来庇うべき対象はなまえではなくて麗日や蛙吹ではないのか? 嘘で悪く言った人物はこの二人なのだし、なまえを守るようにしているのは変だ。冷静でなくなったななしが早口でそのことをまくし立てればなまえの隣にいた轟が人差し指を顔に近づけた。
「目だ」
「……はあ? 目?」
あ、やばい、低い声が出た。だがななしが今気にするべきは轟の発言だろう。
「目が、何?」
「普段からなまえを見る目を気にかけてればよかったな、ってことだろ」
頭をガシガシとかきながら瀬呂は大きくため息をつく。演技は完璧だったはずだ。しかしそう思っていたのはななしだけで、実際なまえを見る目に普段から憎悪が滲み出ていたということらしい。いつかはなまえに手を出すだろうと思っていたところやっと尻尾を出した。つまり、ななしはもう1-Aの敵となった。そういうことだろう。
「ごめん、ななしさん」
「なまえ」
轟に止められつつも自分に語ったなまえの言葉。
「ななしさんのこと信じたいけど、私……麗日さんたちがそんなこと言わないって、知ってるから」
悔しさからか目の前が真っ赤に染まり、ななしは教室から逃げようと駆け出した。
「くそ、こんなつもりじゃなかったっ!」
とにかく頭を整理したくて無我夢中で学校を走り回る。ぐらり、と体が倒れていきななしは目を見開いた。不注意からか階段を踏み外してしまったようだ。ひっと息を呑んで手を伸ばす。その手は誰に掴まれることもなく、ななしは文字通り『この世界』から消滅した。
「あら、私の後ろに空席なんてありました……?」
「ほんとだ。誰のだろーねこれ」
八百万の不思議そうな声に同調した葉隠は透明で見えない手で机を突く。クラス全員が知らないということで「お化けの席だったりして」とふざけ始める芦戸。結局考えるだけ無駄だという爆豪の怒号によりうやむやとなってしまった。
「あ、の、轟くん」
もうすぐで授業が始まるであろう数分前。恥ずかしそうに俯いたなまえが轟の元へやって来るとこっそりと耳打ちする。
「今日、部屋に行ってもいいですか」
なまえからのお誘いがあるとは思わずぱちり、と瞬く。微笑んで頷けば表情を明るくさせて席に戻っていくなまえの背中を見つめて、轟は口元を押さえた。そして、安堵の息を吐く。
――大丈夫。なまえも覚えていない。
突然このクラスに現れ突然このクラスから消えたななし。彼女の"個性"だったのか、自分以外入学式からななしがいるものとして接していた。"個性"だとして、なぜ自分だけがななしの"個性"にかからなかったのか。まあ……もう関係のないことだ。日常に戻ったのならもう考える必要もない。なまえの後ろ姿を横目に轟は考えを放棄する。この件は忘れたほうがいいと直感的に判断した。
数日後、轟の記憶からもななしの存在は完全に消された。
スパークリングホログラム
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