*百合



登校してきたなまえは教室に入るなりキョロキョロ辺りを見回した。そして八百万が着席しているのを目に入れるとパァっと晴れやかな顔で近づいていく。八百万は近づいてくるなまえに気づくと確認として読んでいた教科書をパタンと閉じて笑みを浮かべた。


「なまえさん、今日はご機嫌みたいですわね。いいことでもありましたか?」
「うん! あのね、百ちゃんに見てほしいものがあってっ」
「ええ。私は逃げませんから、ゆっくりでいいですわ」


二人きりのときにしか「百ちゃん」と呼んでくれないなまえが名前で呼んでくれた。どうやら相当興奮しているらしい。いつもなら呼び方一つで喜ぶ八百万であったが、リュックを漁るなまえになんだろうと気になり始める。あった、と声を弾ませたなまえが小さい袋を取り出した。


「それは……?」
「喜んでくれるかは、わからないけど」
「! まあ」


紙袋の中から出てきたのは手のひらに収まるサイズのかわいらしい猫のキーホルダーだった。作り物ではあるが赤とピンクの二匹の猫はそれぞれ丸まって眠っていて八百万は頬に手を当てて見入る。


「これどうしたんですの?」
「お財布に優しい値段のもので申し訳ないんだけど、かわいくて買っちゃったんだ。一つ百ちゃんにあげたいなって」
「私に……?」


どっちの色がいいかなと尋ねてくるなまえに、八百万はでは……と赤色の猫を手に取った。そこでハッとした八百万は念の為確認を取ることにする。


「本当に私がもらっていいんですの? かわいらしいものではありますが……なまえさんのお金で買ったものですし」
「その、百ちゃんとおそろいにしたくて……勢いで買っちゃったというか……」


リュックを背負い直したあとで口元に手を持っていくなまえ。なまえがこの仕草をするときは不安になっているときだと知っている八百万は赤色の猫を見つめる。キーホルダーを壊れ物を扱うように優しく握りしめてなまえさんと名を呼んだ。


「ありがとうございます。大切にしますわ」
「ううん……! 私こそもらってくれてありがとうね」
「おそろい、ですわね」
「えへへ」


キーホルダーを見せ合い微笑む二人を黙って見ていた轟はボソリと呟く。


「なまえ、八百万のこと名前で呼んでたのか」


百ちゃんと呼んでいたことに今更気づきひゃああと叫ぶなまえ。それからなまえは誰が傍にいるときでも八百万を名前で呼ぶことになった。ハイツアライアンスへ生徒たちが住む少し前の出来事である。

そして寮へ入ることが決まり、部屋王を決めようという話になった日のことだ。八百万の部屋へ入り皆がおおーっと感動したり驚いたりしていると突然芦戸があれっと不思議そうにある場所を見つめた。麗日がそれに反応して声をかける。


「どうかした?」
「麗日、みてみ」


芦戸がちょいちょいと指差す先にあったのは机の端に並べてある猫のキーホルダーだった。赤色の猫をセンターにして青や緑などたくさんの色がある。しかし色違いなこと以外は全て同じキーホルダーで皆は首を傾げた。


「ヤオモモ、これこんなにいっぱいどうしたの? このキーホルダーってヤオモモとなまえがいつも鞄につけてるやつだよね」
「え? あ、それは……」
「わっ百ちゃん全種類買ったの!?」
「ええ……」


気になって見に来たなまえは自分があげたことのあるたくさんのキーホルダーを見つけると目を見開いた。八百万の赤色の猫は今もきちんと鞄についている。つまり机の上にあるものは全て別の日に自分で買ったものということだ。


「なまえさんにもらったのが嬉しくて……ずっと見ていたら全てほしくなってしまったんです」
「百ちゃん……」


他の部屋行っておくね、と二人を置いて先に部屋を出て行った芦戸たち。お恥ずかしいですわ。そう言って顔を隠す八百万になまえは慌てて大丈夫だよ! と手を左右に振った。


「私があげたもの気に入ってくれたってことだもんね……! 私も嬉しいよ、百ちゃんっ」
「……本当、ですか? キーホルダー一つで舞い上がってしまって、私……」
「本当! 私だって百ちゃんがくれたものだったら、多分調べて買っちゃうかもだし!」


だから、顔見せて……? なまえはそっと八百万に顔を近づける。しばらくしてお願いを聞いてくれた八百万になまえはお礼を伝えながら額へキスを落とした。額を押さえてきょとんとこちらを見てくる八百万に顔が熱くなる。


「えっと、他の部屋行こ。皆もう行ってるし」


パタパタと顔を手であおぎながらなまえが戸へと向かおうとすれば、八百万がなまえの腕を掴んだ。


「額、だけで満足ですか?」
「え……」
「私は満足できていないのですが……なまえさんはどうですか?」


八百万の真剣な表情に動けなくなる。一度離れたはずの距離がまた近くなり、なまえに八百万の影が重なった。猫のキーホルダーが寝ている姿でよかったと思う。目が開いていたらこの状況を見られていると錯覚するところだった。


「寝る時間の前……私の部屋、来てください」


何度もこくこくと頷きなまえは俯いた。何をされてしまうんだろう。不安と期待で部屋王どころではなくなってしまった。それ以降大人しくなってしまったなまえだったが、八百万がにこにこしていたのを見て全員はなんとなく察した。どうやら、夜は長いようだ。



マスカレイド・スコープ



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