「大きくなったら、結婚してやる」
「けっこん?」


きょとんと見上げるなまえに、爆豪は得意げに胸を張った。周りの景色は全て霧がかかっている中でなまえの姿だけは鮮明だ。けっこん、けっこんと何度も呟くなまえにその通りと頷きながら言葉を発する。


「でも、なんで結婚なの?」
「結婚すればどんなときも一緒にいられるから、なまえの傍にいれる!」
「わっ、かっちゃんとずっと一緒?」
「そういうことだ」
「ふふふ」


顔を綻ばせる様子に嫌がっていないことがわかり気分がよくなった。嫌がるわけなんてない。気づいたときからなまえは自分の隣にいたのだ。今更離れたいなんて思いもしないだろう。満足そうな表情をしていればなまえが思い出したようにあっと声を上げた。


「じゃあ、かっちゃんと私ヒーロー同士の結婚になるね」
「……は」
「かっちゃんヒーローになるんだもんね。私もなるから、ヒーロー家族だ」


言葉の意味を理解した刹那爆豪の視界は一気に暗くなった。なまえがヒーローになる。そんなこと聞いたこともなければ、考えたこともなかった。手を引いてやらなければ動けないようななまえが、ヒーローになる? かっちゃん、と花のような笑顔を向けるなまえが? それはなんの冗談だろう。


「ダメだ」


ようやく音にできたのは否定だった。おそらく自分が無表情で見つめているからであろう、目の前のなまえがびくりと震え固まる。桃色に染まっていた頬はすっかり青ざめてしまっていた。


「なまえはいいんだよ。ヒーローにならなくて」
「え、え……かっちゃん……なんで怒ってるの……? ご、ごめんね?」


どうして爆豪から笑顔が消えたのか訳がわからないなまえは慌てて謝罪を口にする。違う、こんな顔をさせたかったわけではない。爆豪はキュッと口を結びなまえから目線を逸らした。そうだ、この話も目線のように他の話題へと逸らしてしまおう。そうすればまた笑いあえる。ちらりと確認すれば不安そうに目尻に涙を溜めたなまえがかっちゃん、と自分の名を呟いていた。なまえの泣き顔は嫌いだ。いつもなまえが泣いたときは泣くなと涙が止まるまで頬に手を当ててやっている。まだ泣いてはいないがこのままでは本当に泣きそうだ。爆豪が手を伸ばそうとするとなまえが口を開いた。


「もしかして、私が"無個性"だから……?」


中途半端に腕を上げた体勢で爆豪は先ほどのなまえのように動けなくなってしまった。いつの間にか周りの霧はペンキで塗りつぶされたかのように真っ黒だ。"個性"で彼女を見たことなんて一度もない。しかし今なまえは自分を前にして"無個性"だからヒーローにならなくていいってこと? と尋ねている。言ってやればいい。"個性"の有無なんて関係ないと。なまえはただ笑顔で自分の傍にいてくれればいいのだと。


「そうだよ。だから、ヒーローになるな」


自分の口を、存在を呪った。咄嗟に出た言葉を訂正する時間なんてなかった。爆豪の中で何かが壊れていく音がする。それがなまえとの未来だとも知らずに、爆豪はヒーローという夢を諦めさせようと思ってもないことばかりをぶつけた。


「そもそも弱っちいなまえはなれない」


――弱いから、俺が守るんだ。


「他の夢を追いかけたほうがいいに決まってんだろ」


――なまえはサポートのほうが向いている。


「"無個性"のくせに」


――危険な目に合わせたくないのだ。

なまえは声を押し殺して泣いていたような気がする。少しずつなまえが景色と同化していく。透明な雫がなまえの頬を伝って落ちるのと同時に、爆豪は意識が引っ張られるのを感じた。







周りの騒がしさにハッとして見渡せばそこは教室だった。休み時間に眠ってしまった結果昔の夢を見ていたらしい。舌打ちをして、手のひらに汗を掻いているのを隠すように握りしめる。幸い周囲は爆豪が寝ていたことに気づいていなかった。


「今更だろ……あんな夢」


ずっと一緒だの守るだのとどの口が言うのだろう。一緒にいられなくなったのは自分の言動のせいであるし、守るどころか敵にさせてしまったではないか。爆豪がヒーローを目指す理由の一つに少なからずなまえの存在はある。本当に大切なものは失ってから気づくとはよく言ったものだ。――救い出してみせる。なまえがどんなに拒否しようと、もう間違わないと決めたのだ。



にせものの火が騒ぐ



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