誰かが走るところなんて少しも興味はなかった。だけど出久くんが走る姿を見るのはなぜか好きで、いつまで見ていたって飽きなかった。


「こんな足場が悪いのに、よく一定のリズムで走れますね」
「そう、かな。なまえさんだって走れてるよ」
「私はスピードダウンしちゃいますし」


ローファーと靴下を脱ぎ捨てたのはもうずいぶん前のことだ。海沿いを走るという出久くんの後ろをとてとてついていきながらの会話は意外と弾む。出久くんが迷惑がらず楽しそうに話してくれるからだろうか。途切れることなく続く会話がこんなにも楽しいことを教えてくれたのは間違いなく出久くんだった。


「でもなまえさん、運動得意じゃないんだよね?」
「んー、前は得意じゃなかったですけど」
「それなら十分走れてるほうだと思うけどな」


私の言う『前』とは『前世』のことである。まあ別に言わなくてもいいかと結論づけ、先ほどから少しずつ出てきている汗をハンカチで拭った。


「出久くんに褒められるのは嬉しいです。ありがとうございます」
「ぼ、僕は思ってることを言ってるだけだから……!」
「ふふふ。かわいい」
「もうなまえさん!」


私だって思ってることを口にしただけなのに。出久くんは今日も恥ずかしがり屋さんだ。


「今日はこれくらいにしておこうか」
「はーい」


言いながらスピードを落とした出久くんと同様に、私も息を荒げながら砂浜を歩く。肌や髪を撫でつける風が気持ちよくて目を細めれば、出久くんがおかしそうにくすくすと笑う。なんで笑うの? こんなに気持ちいい風なのに。


「ちょっと暑いし、風が吹いててよかったね」
「出久くんひどい。まだ笑ってる」
「ごめん。あまりにも気持ちよさそうにしてるから」


そんな話をしながら私はこっそり出久くんが走っていた姿を思い出した。見ていても思い出しても飽きないなんて、彼はどこまで私を魅了すれば気が済むんだろう。


「私、やっぱり出久くんと一緒に走るの……すっごく楽しいです」
「? どうしたの、急に……」
「忘れないうちに伝えておこうと思いまして」


だから、また一緒に走りましょうね。私の言葉に嬉しそうに微笑んだ出久くんの笑顔を、私はずっと忘れないであろう。


雨を躾ける



戻る