ふわふわと、まるで地に足がついていないかのような体の軽さに小さく首を傾げる。今まで何をしていて、なぜぼーっと立っていたのかを思い出そうにも頭の中では霧がかかったように何も思い出せない。ただひたすらに呼吸だけを繰り返していると、突然肩を叩かれてようやくはっとする。ゆっくりと振り返ったなまえは肩を叩いた人物に大きく目を見開いた。


「廊下の真ん中でぼーっとしてどうしたの?」


にこにこと笑みを浮かべながらも不思議そうに尋ねてきた人物を、なまえは知っていた。雄英高校襲撃の際にいた子。そして、仲間と共に神野へ爆豪を救出に来た子。

麗日は反応のないなまえに、一緒に歩いていた蛙吹と顔を見合わせて首を傾げる。意識がはっきりしてきたなまえは自分が雄英の制服を着ていることに今更気づいたのだ。


「な、なにこれ。どういうこと……っ?」
「えっと、何か困り事でもあったん? 私たちでよかったら相談乗るよ?」
「そうね。お友達の相談ならいつでも乗るわ。任せてちょうだい」


なまえは蛙吹のお友達という言葉に頭を振った。何を言っているんだ、この人たちは。おかしい、何かがおかしい!


「ともだちなんかじゃ、ない――!」
「あ、なまえちゃん……!?」


雄英高校らしき廊下を必死になって走り続ける。どこに向かっているかなんてなまえが聞きたいくらいで、走っている間生徒と思わしき者たちの視線が突き刺さった。

見ないで、私を見ないで。

なまえは知らない状況と友達面をする雄英生に戸惑い涙が滲んだ。


「わっ……!」


曲がり角で衝撃が襲い危うく尻もちをつきそうになる。誰かとぶつかったのだと気づいたときには右手を引っ張られていて、なんとか転ばずにすんだようだ。なまえはぶつかってしまい且つ助けてくれた人を確認すべく涙目のまま顔を上げる。滲んだ視界をはっきりさせようと瞬きをすれば涙が頬を伝い、驚く男子生徒が目に入った。


「――かっちゃん」
「っ……何泣いてやがんだクソ」
「いた!」


強引に制服の袖で涙を拭ってくる彼――爆豪になんと言ったらいいのかわからない。腕を掴んでいる手の力は優しくて、目の前にいるのが爆豪なんて信じられなかった。だって記憶の中の爆豪は自分を助けたりなんかしなかった。見捨てて、見放して、見限って。流した涙を拭ったりなんてしない男だった。


「はよ泣きやめ」


こんな人、なまえは知らない。







瞬きのうちに腕の感覚もなくなり、景色が一気に変わる。また頭の中に霞がかかっている気がしたが、二度目のためか我に返るのは早かった。横や後ろには先ほどの友達を名乗る人や、爆豪。彼らの服装から見ても、現在自分が身にまとっているのはヒーローコスチュームで間違いないらしい。


「数で勝ったつもりか、ヒーロー」


ひゅっと喉から嫌な音が鳴り、なまえはおそるおそる前を見据える。そこにいるのはたしかに死柄木たち敵連合だ。あれ、でもならばどうして自分はこっちにいる? これじゃあまるで、自分は死柄木たちと敵対しているみたいで――


「邪魔なんだよ」


殺意を持った瞳を向け、なまえに崩壊の手を伸ばす。なまえが一番見たくない、悪夢だった。







なまえ、気安く名前を呼んでくるヒーローたち。逆にこちらが名前を呼んでも、馴れ馴れしいと眉をひそめ心底不快だと伝えてくる仲間だったみんな。

そして、幾度となく伸ばされる優しかったはずの崩壊の手。


「弔くん」


死柄木の冷めた目が脳裏に焼きついて離れない。


「とむらくん……たすけて」


――私じゃあ、ここから出られないみたいなの。







「ああ。見つけた。どうする、殺すか?」


荼毘はスマホで通話をしつつ、靴裏で踏みつけている人物を見下ろした。名前どころか顔も覚えていたくないようなモブ敵だ。先日アジトへの移動中通り魔の如くなまえに"個性"をかけた人物。殺す、という言葉に反応した男は聞いてもいない説明をしてくれた。どうやら仲間集めの際に荼毘が殺した敵の弟らしい。なるほど、つまり復讐か。


『生かす必要もないし、殺していい』
「了解」


右手から勢いよく蒼い炎が燃え上がる。怯えた瞳をするくらいなら最初から敵連合に手を出すべきではなかったのだ。しかもよりによってなまえに。


「地獄で兄弟仲良くなぁ」


とある街のとある路地裏で、また一つの命が消え去った。







「私ね、どうせなら苦しめて殺すべきだと思いました」


お世辞にもきれいとは言い難いソファに寝かせられたなまえが眠ってから三日が過ぎた。トガは眠ったままのなまえを見つめながら真顔でぽつりと言い放つ。それにいち早く反応したのはトゥワイスだ。


「そうだぜ死柄木! なまえちゃんに実害加えやがって、許せねえよ……! 許すさっ」
「許すも何も、もう相手は死んでるけどな」


コンプレスの言葉にトゥワイスは思わず声を詰まらせる。スマホでなまえに"個性"をかけた犯人を見つけたという荼毘に連絡を取っていた死柄木は、小首を傾げながら電話を切った。


「俺としては、なまえに手出した奴がこの世にまだ存在していることのほうが許せない」


死柄木の意見に耳を傾けたトガがそれもそうか、とため息をつく。


「ねえ、なまえちゃん。起きて」


触れた人物を眠らせ、悪夢を見させる"個性"。起きる条件はかけた瞬間本人が決めることができ、今回なまえが起きる条件はかけた本人の心臓が止まること。つまりは、そういうことだ。

ぴくり。なまえの閉ざされていた目が、たしかに動いた。







目を開けた瞬間あまりの眩しさに再度ぎゅっと瞑ってしまったのは仕方がないだろう。そろそろ大丈夫か、とゆっくり開いていく視界に映ったのは、笑顔のトガや胸を撫で下ろしているトゥワイスたち。


「信じてたよ、弔くん」


掠れた声はなんとか彼に届いたらしく、無表情のまま頬に触れられる。いつも温かいはずの指先が冷たくて、ああ心配をかけてしまったな……と落ち込んだ。


「ありがとう、みんな」


謝罪ではなくお礼を伝え、渇いた喉から無理やり声を出したせいで軽く咳き込んでしまう。トガに支えられて体を起こしたなまえは、少しずつ水を飲み落ち着いてから彼らに笑顔を見せた。


「ただいま」
「起きるのが遅い」


間髪入れずに文句を放った死柄木の声色はどこか優しくて、笑みを止めることなどできなかった。



不器用だから泣きながら眠れない



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