腰に回される腕と小さな体の温かさを感じながらなまえは瞬きを何度も繰り返す。この部屋の主であり、自分を抱きしめている壊理の名を呼んでも離してくれる気配はなかった。とにかく震える体をなんとかしなければと目線を合わせ無理やりに屈めば、とうとうしゃくりあげながら泣き出してしまう。おろおろとするなまえに声をかける者も、泣いてしまった壊理を慰めてくれる者もお互いしかいなかった。

窃野はなまえを壊理の部屋の前まで案内するとさっさとどこかへ行ってしまった。扉の前で迷っていても仕方がないと勇気を出してノックをし、開けた先にいたのは真っ白な長い髪の女の子だ。包帯だらけの腕で小さな体を守るように抱きしめ、真っ赤な瞳に恐怖を浮かべる姿は痛ましい。はじめましてとなまえが微笑むよりも先に壊理がベッドから駆け出すほうが早かった。そして、冒頭に戻る。


「どうして、泣いてるの?」
「わか、ら……っわからな、ごめんな……さい」
「だ、大丈夫だよ。私は、何もしないからね」
「ん……うん……っ」


同性の存在に嬉しくなったとか、自分を傷つける人でなくてよかったとか、そんなところだろうか。少しずつではあるが落ち着いてきたらしい壊理に手を差し出せばゆっくりと握り返してくれる。ベッドの周りには散乱している未開封のおもちゃが転がっており、彼女が好んで置いているわけではないことなど一目でわかる。おもちゃを横目にベッドへ二人で腰かければ握っていないほうの手で涙を拭った壊理はちらりとなまえを見上げてきた。


「オーバーホールさんから聞いてるかな。今日からエリちゃんと一緒にいることになったなまえだよ。よろしくね」
「なまえ……さん、なまえさん……なまえさん」


まるで存在を確かめるように紡がれる自分の名前がこそばゆい。一緒? と首を傾げてくる壊理にそうだよと頷けば赤く染まっていく頬が見える。酷いことをされているようだから会話してくれなかったらどうしようと心配していたのだが、どうやら大丈夫らしい。せめて自分と二人きりのときは穏やかな気持ちでいられるようにしたかった。なまえは部屋を――正しくは転がるおもちゃを見渡し、あるものを発見して顔を綻ばせる。壊理と繋いでいた手を外し目当ての箱を持ち上げて振り向いた。


「エリちゃん、よかったら私と遊んでくれる?」
「! うん」


動物のイラストが描かれたパズルの箱を開封して床に広げる。ベッドから下りてなまえの隣に座った壊理は、おそるおそるといった様子でパーカーを握ってきた。もちろん拒否する理由もないなまえは口元を緩めるだけだ。やはり同性で嬉しいのだろう、と勝手に納得して怯えられなかったことに安堵する。


「これは、ここ……?」
「そう。エリちゃん上手だね。すごいすごい」
「あ、ありがとう……」


恥ずかしそうに俯く壊理。こんな幼気な子を使ってヤクザの復権を叶えようとする彼らの思考回路が理解できなかった。おそらく彼らも理解なんてされたくないだろうから、口に出すことはしないけれど。


「じゃあ次は、こっちで遊んでみる?」


なまえはふと洸汰のことを思い出した。まだヒーローと敵の間で揺れて、愚かにもヒーローの真似事をしてしまったときのことを。あのころの自分ならば壊理を助けようと必死になっていただろうと思うと自嘲の笑みがこぼれてしまう。心の中で何度も壊理に謝罪するしかなかった。


「遊び、たい」


なまえ自身が驚くほどに、壊理を外の世界に連れていってあげようという想いが湧かなかったのである。かわいそうという同情の気持ちはいくらでも湧くというのに。自分も変わったな。他人事のように思いなまえは壊理に笑顔を向けた。

場所は変わり、雄英高校の仮眠室。ソファに向かいあうようにして腰かけるのは生徒と教師だ。教師のほうは先日現役を引退したオールマイト。生徒のほうは先日偶然にも壊理と治崎に接触した通形ミリオである。


「俺が、仮眠室に、来たー! ってね! たはーっ やっぱりオールマイトと二人きりはいつになっても慣れないですよね!」
「通形少年。元気なのはいいことだけど、ちょっと声のボリューム落とそうね」
「はい!!」
「人の話を聞かない子嫌いじゃないよ」


オールマイトと一緒でご機嫌なミリオはふうと息を吐いて気持ちを落ち着かせた。そしてただでさえピンとしていた姿勢を正し、にかりと歯を見せて笑う。


「そういえばインターンでサーに聞かれましたよ。オールマイトは元気かって。たまには電話してあげてくださいね」
「正直まだ少し気まずい」
「この会話何回目でしょう!」


額をぺしっと叩きながら豪快に笑うミリオにオールマイトの口角が上がった。しばらく柔らかな空気が流れたあとでどちらからともなく笑みを消す。


「ねえオールマイト。しつこいって思われるかもしれないですけど、俺……何度だって言いますよ」
「……うん」


ミリオの真剣な瞳からその言葉を嘘だと思ったことなんて一度もない。彼はオールマイトに数か月前からずっと同じ言葉を繰り返している。妄言だと切り捨てるような人ではないとわかっていたからこそ伝えられた。無意識に俯いてしまっていたミリオは、制服のズボンの上で握っていた拳を見つめそっと顔を上げる。そうして、いつもと一字一句違わぬ言葉を口にするのだ。







「俺は、ヒーローになるはずだったなまえちゃんを知ってる」


インターン編 06



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