「お茶子ちゃん、お話したいことがあるの。爆豪ちゃんの救出に赴いたっていう人たち全員に……」


部屋王を決めている中で麗日を呼び止めたのは蛙吹だった。悲しそうな表情に言いたいことは何となく伝わり「……うん」と頷くことで返す。部屋王は砂藤に決まり全員が部屋に戻る中でハイツアライアンスの出入口に集まったのは麗日や飯田、切島、轟、八百万。そして呼び出した蛙吹だ。


「私思ったことは何でも言っちゃうけど、何て言ったらいいのかわからないときもあるの」


蛙吹は神野の事件の朝、A組が集まったときに助けに行こうとする切島や轟を大分きつい言い方で止めた。ルールを破るというのなら、その行為は敵のそれと同じだと。だが今日相澤から二人だけでなく飯田や八百万、何より救出に行くことを反対していた麗日までもが赴いてしまったと聞いてすごく驚いたしショックだった。爆豪は皆に助けられるのは屈辱なのではないかと、最後まで反対していた麗日まで行ってしまっていたなんて。


「止めたつもりになっていた不甲斐なさや色んな嫌な気持ちが溢れて、何て言ったらいいのかわからなくなって……皆と楽しくおしゃべりできなかったの」


蛙吹は部屋王を決めるとき参加せずに一人部屋に閉じこもっていた。今朝話を聞いてからずっとそのことで苦しんでいたのだろう。「でもそれはとても寂しいの」ぽろぽろと大きな目から涙の粒を流す蛙吹に、麗日はぎゅっと抱きついた。


「ごめんね、止めてくれたのに。勝手に行っちゃってごめん」
「私、また皆と楽しくおしゃべりがしたいわ……っ」
「うん……うんっ、私もだよ、梅雨ちゃん」


ごめんね、と耳元で呟けば蛙吹がケロッと泣き始める。麗日が救出作戦へ参加したのは爆豪だけでなくなまえを助けたかったからだ。結局オール・フォー・ワンの気迫に恐怖し、なまえを助けることはできなかったけれど。すごく悔しかったし結局自分たちにできることは少ないことを思い知らされた。だけどあのとき一番悔しかったのはやっぱり爆豪だろう。


「また皆で笑って、頑張ってこう」
「ええ……」
「梅雨ちゃん、すまねえ!」


切島の大声の謝罪を筆頭に八百万、轟、飯田と一斉に駆け寄って蛙吹に頭を下げる。正直麗日が爆豪救出に行ってしまったと聞いたとき、蛙吹は確かにショックだったけれどやはりなとも思っていた。肝試しを行っているとき現れたトガが笑いながら言っていたあの言葉。「お友達はなまえちゃんだけだったから、梅雨ちゃんもお茶子ちゃんもなってくれて嬉しいなぁ」トガの口からなまえの名前が出てくるとは思わず動揺したし、麗日の驚きは蛙吹の比ではなかった。


「なまえちゃんのこと」
「えっ」
「私たち全員がヒーロー側に戻ってきてくれることを望んでいるのよ。だからね、私から一つ提案があるの」


翌日芦戸が欠伸を漏らしながら麗日の部屋の前を通り過ぎようとしたときある変化に気づいた。「わああ!」と大声を上げながら共有スペースへと足を運んだ芦戸は麗日の元へ走ると肩を掴み前後へ揺らし始める。興奮している芦戸を宥めながら瀬呂が話を聞けば、鼻息を荒くしながら答えてくれた。


「すっごいの! なまえの部屋ができてる! ネームプレートだけだったけど!」
「え!?」


麗日の部屋の隣――空き部屋のドアノブにかけられていたのは手作りのネームプレートだった。『緑谷なまえ』と書かれたネームプレートは昨日寝る前に麗日や蛙吹、八百万で作ったものだ。


「梅雨ちゃんの提案で作ったんだ。なまえちゃんはもう私たちの仲間だから」
「私個人としては戒めのつもりでもあるわ。ヒーロー免許を取得して、正規のルートで確実になまえちゃんを助けたいの」
「なまえさんのことを諦めるなんて嫌ですから。私たち全員が同じ気持ちのはずですわ」


その言葉たちに爆豪は朝食を取っていた手を止めて拳を握りしめた。あのときヒーローが嫌いだとなまえが叫んだのは爆豪とその場にいたヒーローや警察しか知らない。あんなに近くにいたのに、何と言ったらいいのかわからなくてなまえに声をかけることすらできなかった。だがもう決めたじゃないか、例えなまえが望んでいなくても助けるって。


「次がダメならまたその次だ。そうだろ、爆豪!」


歯を見せながら笑う切島に大げさに舌打ちをした爆豪はわかってる、と小さく頷く。


「今度こそ絶対に勝つ」


そして、絶対に助ける。

かたり。かけていた紐がずれて、なまえのネームプレートがほんの少しだけ傾いた。







一番奥の部屋のドアをパタリと閉めれば、俯いていたなまえがバッと顔を上げ死柄木に勢いよく抱きついた。抱きつく瞬間に見たなまえの目からは涙が大量に溢れていてずっと我慢していたのだろうと察する。死柄木はなまえの背中に腕を回すと肩に手のひらを乗せた。浮かした中指が微かに震えているのに気づいて死柄木は小さく笑う。なんだ、柄にもなく緊張ができたのか自分は。


「怖かった、怖かったよ……っ! ごめ、ごめんなさ、い……!」


死柄木と離れてしまうことが怖かった。無様にも一度は捕まってしまったことにごめんなさい。言いたいことが多いようだがきっと怖かったが大部分を占めているのだろう。泣き続けるなまえに死柄木は離れろと言わず改めて抱きしめ返した。自分だって怖かったさ。なまえがいなくなるだなんて考えたくもなかった。


「言っただろ。ずっと一緒だ。何も心配する必要なんてない」
「うん……」


なまえの温もりに触れる度に自分は生きているのだと実感できる。死柄木はゆっくりとした動きでなまえから離れると上からじっと見つめた。涙で濡れた顔のままなまえが見上げれば、唇に触れるかさついた生ぬるいもの。目を開けていたはずなのに状況が理解できなかったなまえは数秒固まったあとで首を傾げた。相変わらず見つめ続ける死柄木の表情に変化はない。


「えっと、え?」
「なまえ、今日はもう寝ろ」
「でも、え、あ」
「明日あいつらに顔見してやれ。特にトガがうるさい」
「う、うん、わかった?」


いつの間にか涙は止まっているし気づいたら埃が気になるベッドに横になっていた。なまえは困惑しながらも目を瞑ってようやくハッとする。


「きす……?」


もしかして今のはキスなのではないか。ぶわっと赤く染まった頬のなまえをベッドに座って見下ろす死柄木はどこか満足げだ。機嫌のいい死柄木のコートを指で掴み「弔くん、」と弱々しく声をかける。こんな中途半端な気持ちじゃ寝られない。せめて何か言ってくれの気持ちを込めて視線を送ると死柄木は一度は離れた顔をもう一度近づけた。


「俺が嫌いなら突き飛ばせ」


しっかり言葉にしないところが死柄木らしくて力が抜けてしまう。先ほどと同じ感触を覚悟してなまえがきゅっと目を閉じると耳元で掠れた声が響いた。


「俺もおまえと同じ気持ちだよ、なまえ」


驚いて耳に手を当てれば狙ったように唇が重ねられて、つい開けてしまった目が合ってしまった。死柄木が好きだ。きっとこれからもずっと。どきどきとうるさい心臓になまえは両手で頬を押さえてベッドに体を沈める。


「弔、くん」
「なんだ」
「なまえ、よんで」


ぼそぼそ呟かれる声にも反応を返してくれた死柄木。「なまえ」と自分の名前が音となって鼓膜を震わせてくれた。いつになく優しい呼び方に更に胸が苦しくなる。


「私もね、弔くんと同じ気持ちだよ」


細められた死柄木の目になまえははにかんだ。コートから移動したなまえの手が人差し指へと伸びて握られる。なまえも死柄木も、今この瞬間だけはお互いのことだけを考えていた。好きだという想いさえあれば、何だってできる気がした。


神野区の悪夢編:その後



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