「ご苦労様です皆さん」


開闢行動隊はやけに静かな死柄木といつも通りの黒霧に迎えられた。大人しい爆豪を素早く拘束したコンプレスはどこからともなく新しいシルクハットを取り出すと被り直す。荼毘とトゥワイスは頬杖をついたまま何も言わない死柄木に顔を見合わせた。なまえの血が流れたであろう腕を見た瞬間手を出してくるかと思っていたのだ。この反応も当たり前であろう。


「……とりあえず、話は休んでからにしようか」


前触れもなく立ち上がった死柄木にトゥワイスは来たっと冷や汗を流す。とりあえず弁明しようと早口でまくし立てた。


「ちょっと目を離した隙にマスキュラーがやっちまったみたいなんだよ……! 多分暴れられなくてついなまえちゃんを攻撃しただけだと思う! いやわざとだなっ」
「違うの」
「え?」


まさかなまえに否定されるとは思わずトゥワイスは口を閉ざした。なまえは全員の目線がこちらに向くのを感じて俯く。マスキュラーはフラストレーションが溜まって自分を傷つけたわけではない。もしかしたらそれも多少はあるのかもしれないが、そもそも自分を攻撃する原因を作ったのはなまえ自身だ。


「私が洸汰くんを……小さな男の子を助けようとしたから。マスキュラーさんは私が敵連合を裏切ったって、そう思っただけだよ」


自業自得なのだとなまえは皆に謝罪した。冷静になった今だからこそ怖くなる。もしあのとき相澤がマスキュラーの"個性"を消してくれなかったら。もし荼毘が助けに来てくれなかったら。もし、ヒーロー側に捕まってしまっていたら。この先死柄木のそばにいられなくなる未来しか出てこなくて、裏切った自分が申し訳なくて、なまえは小さくなることしかできない。なまえに真実を隠すという選択肢はなかった。


「来いなまえ」


いつの間にこんな近くに来ていたのだろう。怪我をしていないほうの腕を死柄木に掴まれ引っ張られる。トゥワイスはそんな死柄木の行動に慌てるが、なまえは優しく引っ張られる腕に彼を見上げることしかできなかった。







ベッドの上に座らされたかと思えば、死柄木はヒーロー分析ノートの近くに置いていた救急箱を投げた。キャッチさせることが目的ではなかったようで、なまえの腰かけた横に投げられた救急箱を見つめて目を瞬かせる。手当てをしろということなのはわかっていたが如何せん怪我をしたのが二の腕だ。一人では上手くできない。それを伝えれば納得した声を出した死柄木がなまえの目の前へ来て膝を折った。


「正直おまえがヒーローなんかの真似事したせいで怪我したことに関しては腸が煮えくり返ってるし、マスキュラーの奴は今からでも殺しにいきたいくらいだけどさ」
「あ……とむらくん」


声色に変化はないが、言葉に棘があるのは間違いなかった。見放されないことなどわかってはいるが、死柄木に失望されるのが怖い。今になって怪我をしたところがじくじくと痛み始めて体が震える。もう一度謝罪を口にしようとするが肩に置かれた手によって遮られた。


「でも最後に俺たちを……いや、なまえが俺を選ぶなら、おまえが何をしても目を瞑る。なまえは俺を選んだんだよな」
「っうん……私、ずっと弔くんのそばに、いたいよ」
「それならいい。元々ヒーロー志望だったなまえに敵に染まりきれなんて土台無理な話だろ」


最初から期待していないとも取れる発言ではあったが、助けたいという気持ちを持ったのは仕方ないとも取れる発言でもあった。死柄木の胸に頭を寄せると珍しくそのままにしてくれる。やはり自分には死柄木が必要なのだと改めて実感して、震えの止まった体を静かに彼へと預けた。

――死柄木は実際先生であるオール・フォー・ワンがいなければマスキュラーを殺していたし、荼毘もトゥワイスも半殺し程度にはしていただろう。「なまえがヒーローになりたかったころの気持ちを忘れられず怪我をして帰ってくるかもしれない。でも最後には弔、君を選んで帰ってくるはずだから、落ち着いて迎えてあげるんだよ」前もってモニター越しで先生に言われていたが、まさか本当に怪我をして帰ってくるとは。肌のかすり傷が少ない点では、夏だというのにパーカーを羽織らせたままだったのは正解だった。

爆豪をこちらへ連れてくるに当たって、幼なじみであるなまえがいれば抵抗がないだろうと踏んで行かせたがどうせ信じないと思って黙っていた。なまえは皆を平等に愛するくせに愛されることに慣れていない。だから過度に大切にされていることに気づかないし、どこか一線を引いている。その中で死柄木は唯一なまえが縋る存在だった。

実際、なまえが敵連合を裏切ること自体は死柄木にとってどうでもいいことだ。ついでに言っておけば、洸汰を助けたことが裏切り行為だなんて思っていない。この先ヒーローになりたかったころの気持ちが敵連合にいたい気持ちに勝ったとして、なまえがヒーロー社会に戻ることがあろうとも。もしくはヒーローに奪い返されてしまって、なまえと離れてしまっても。最後に選ぶのが自分ならば、死柄木は本当にそれでいいのだ。最後に自分を選ぶまで、待つなんてことはしないけれど。


「おまえには、俺が必要だもんな」


未だヒーローと敵の間で揺れ動くなまえを受け入れ、死柄木は全てを許す。「うん」とか細い声を聞いてはっと息を吐いた。それはなまえが肯定したことへの安堵にも聞こえたが、それを指摘する者はいない。二人きりの空間でお互いの呼吸音だけが響いた。


「……俺にもおまえが必要だよ、なまえ」


滅多に口にしないであろう心からの言葉は静寂の部屋に飲まれて消えていった。死柄木は乾いた唇を湿らせてなまえの後頭部に手をやる。……大した怪我ではなくてよかった。







コンプレスに手当てを頼んだ死柄木が椅子に座るのを視界に入れながら爆豪は考えを巡らせた。おそらく趣味の悪いバーのようなここが彼らのアジトなのだろう。"個性"封じの拘束をされたまま冷静に頭を働かせた。これはなまえを取り戻すチャンスだ。しかし救うにはタイミングが重要であるし、少なくとも今この状況は自分が不利になることは理解しているため口をつぐみ時間が経つのを待った。まずは自分を攫った目的をハッキリさせるべきだと思ったのだ。


「ねえねえ弔くん。なまえちゃんに会いに行っちゃダメですか?」
「手当てが終わり次第こっちに戻ってくるよう言ってある。黙って待ってろ」
「自分は二人きりになったくせにー」


不貞腐れるトガを気にも留めない死柄木はわざとらしくため息をついてその話を終わらせた。爆豪がなまえの無事を確認して内心ほっとすればガラリとその場の空気が変わり目を見開く。原因である先ほどまでトガと話していた死柄木がまるで今思い出したかのように荼毘とトゥワイスに顔を向けた。


「次は怪我、させるなよ」


そもそもなまえが荼毘との約束を破りマスキュラーを勝手に追い始めなければ洸汰とも会わなかったし怪我もしなかった。だが死柄木にそれを言ったとして言い訳にもならないのはわかっていた。とにかく頷くことだけが取るべき行動で賢い選択なはずだ。めんどくせえなあと思いつつもこの先荼毘は何があってもなまえを優先するのだろう。トゥワイスも荼毘の数十倍首を動かしながらもう二度となまえの傷つく姿は見たくないと思った。それが仲間だからなのか、他の理由なのかは定かではないが。そんな重苦しい空気は開閉されたドアによって一転した。


「大丈夫かなまえ」
「あ、スピナーさん……大丈夫ですよ。コンプレスさんが手当てしてくれましたから……心配してくれてありがとうございます。コンプレスさんも」


二人にペコリと頭を下げるなまえを何事もなかったように見つめる死柄木に、こいつはやばいと爆豪は背中に汗が伝うのを感じた。これはなまえを助け出すのに失敗したが最後間違いなく命がなくなる。上等だと爆豪は覚悟を決めて、ばれないよう深呼吸をして気合いを引き締めた。頭を上げたなまえと視線が絡み合い彼女の肩が小さく震えるのが見える。必ず自分も逃げきってなまえも助けてみせよう。――例えそれをなまえが望んでいなくても。


林間合宿編:その後



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