死柄木に見せられたのは、雄英高校の体操服を身にまとい目をこれでもかと吊り上げた体育祭での幼なじみの写真だった。なまえは困惑しながらかっちゃん……? と彼の名を口にする。ニヤリと笑った死柄木はそうだと頷いた。


「爆豪勝己を仲間として迎え入れようと思ってる」
「え……」


聞けば爆豪の爆破という"個性"の強さ、そして性格の粗暴さ。そんな荒々しさから爆豪が敵連合へ迎え入れるのに一番ふさわしい人物とのことだった。爆豪を仲間として迎え入れることができればヒーロー社会にまた亀裂を入れることだってできる。なぜ今それを自分に伝えるのかが理解できなかったなまえは死柄木の袖を引っ張った。


「私に言っても、何もできないよ……。それに、かっちゃんは……」
「今回の件についてはなまえ、おまえが必要だからだよ」


それ以上は言わなくてもいいと言いたげに肩に手を置かれてなまえは目を瞑る。言おうとした言葉を口の中で転がすがそれが音になることはない。死柄木を再度瞳に映したとき、きっと自分は上手く笑えていたはずだ。


「私のやるべきことって、なに?」


かっちゃんは、絶対敵には入らないよ。自分を必要だと言ってくれる死柄木にそんな言葉聞かせるまでもなかった。期待に応えるべく、自分が頑張ればいいだけだ。死柄木の口元に笑みが浮かべられる。爆豪を仲間にすることが死柄木のためになるのなら、なまえはなんだってやれると。心からそう思った。







「なまえは俺とトゥワイスと行動しろ。絶対俺から離れるな……迷子にでもなられたら見つけるのが面倒になる」
「素直じゃないなー。なまえちゃんがいなくなったら寂しいって素直に言えばいいじゃないですか」
「黙れガキ」
「わ、わかりました! 荼毘さんとトゥワイスさんから離れないようにそばにいますっ」


荼毘とトガが売り言葉に買い言葉でケンカになってしまいそうだったので無理やり会話を終わらせたなまえは、誰にも気づかれないよう小さく息を吐いた。結局、死柄木はなぜなまえが爆豪を勧誘するに当たって必要なのかは教えてくれなかった。言われたのは荼毘たち開闢行動隊と行動しろ、死ぬな。ただそれだけ。明らかに足手まといである自分がいる意味はあるのだろうかとゆっくり瞬きを繰り返した。

空の帳はすっかり落ちて、見渡す限りの森林が視界を襲う。死柄木によれば、この場所で雄英高校ヒーロー科一年生が林間合宿を行っているらしい。もうすぐ作戦決行の時間だろうというときマグネは荼毘に近づいた。


「ねえちょっと。既に一人いないわよ」
「はあ?」


なんのことだと荼毘は辺りを見回して舌打ちをする。持ち場にいくときは全員一緒だと言っておいたのに勝手に行動する奴が一人。黒のローブが遠くで揺れている。見間違えるはずもない、マスキュラーだった。


「いい。俺たちも行くぞ」
「りょーかい」


マグネもマスキュラーのことは大して気にしなかったのか機嫌の良い声を出す。マグネはスピナーと共にさっそく歩き出し、トガも鼻歌を歌いながら足を踏み出す。脳無やムーンフィッシュたちも動き出す中、なまえは視線をさ迷わせて大声を上げた。


「荼毘さんごめんなさい!!」


なまえは制止の声を聞かずマスキュラーが歩いていった道を慌てて走り出す。戦闘狂のマスキュラー一人では何をしでかすかわからない。今回の目的は爆豪を見つけることであり、殺すことではない。もしもマスキュラーが一番に爆豪を見つけてしまえば最悪殺してしまうかもしれないのだ。放っておくわけにはいかない。作戦の話をしているときに彼らから殺害リストだのなんだの物騒な言葉が聞こえた気がしたが、他の生徒やプロヒーローたちを気にする余裕もなくなまえは爆豪を殺させないために慌てて走った。たしかになまえはもうヒーローへ戻ることはないだろうが、幼なじみだけは……爆豪だけは殺されたくなかったのだ。小さいころはずっと一緒にいた爆豪だけは。それが敵側になったなまえにほんの少しだけ残ったヒーローになりたかったころの気持ちだった。


「どいつもこいつも勝手なことばかりするな……」
「いいの? 追いかけなくて」
「……まあ。あいつが一緒なら大丈夫だとは思うが」


マスタードは荼毘の返事を聞くとガスマスクの調整をしながら去っていく。……マスキュラーはたしかに強い。だがなまえに危害は加えないか、それだけが気がかりだ。少なからずなまえに絆されてはいるが相手は血狂いマスキュラーである。しばらく思案した荼毘はおいと横にいたトゥワイスを呼んだ。


「どうしたよ」
「いいから俺の言う通りにしろ」
「?」







マスキュラーの歩幅は大きく、なまえが追いつくころには息が切れてしまっていた。息を整えながらなまえは興奮した様子で嬉々として歩くマスキュラーの後ろをついていく。なまえの存在にようやく気づいたマスキュラーは「あー?」と振り返りローブから義眼の左目を覗かせた。先ほどまでマスクをつけていたはずだが、おそらくどこかで取ったのだろう。


「お前俺と行動する話じゃなかっただろ」
「そ、そうなんだけど」
「別にいいけど、邪魔だけはすんなよ。……もっと見晴らしのいい広いとこがいいな」


戦闘を好むマスキュラーに正直に爆豪を殺させないためだと伝えたらガチギレ間違いなしだ。誤魔化すことができて胸を撫で下ろしたなまえは、森を抜けマスキュラーの言う見晴らしのいい広い場所へ出た。明らかに人為的な岩の傷跡が目に入りそれに首を傾げたが、そこに人影はない。


「誰もいねえじゃねえかよ……はあ。違うところ行くか」
「あっ待ってマスキュラーさん!」


来た道を引き返してずんずんと進むマスキュラーをちらりと見上げる。早く暴れ回りたいのか瞳孔は開き歯を見せて笑いを隠せていない。ああそういえば荼毘に離れないと宣言したのにさっそく約束を破ってしまった。次に会ったら謝らなきゃとマスキュラーを見失わないようにしていると、近くで交戦中なのがわかる音が耳に入った。マスキュラーは人がいるのがわかった途端暴れられる! と飛んでいってしまった。あっという間に置いていかれてしまいなまえはえっと小さく声を漏らす。荼毘の言っていた迷子という言葉が頭をリフレインした。もう一度追いかけようと小走りするもマスキュラーどころか段々音が遠ざかっているような気さえしてくる。方向音痴ではなかったはずなのだが。とりあえず他の仲間を探すことにして足を一歩踏み出した、そのとき。


「うわっ」
「え?」


突然飛び出してきた小さな体がなまえにぶつかり、相手が尻餅をつく。正面を見つめたまま何が起こったかわかっていないらしい少年は、眉を八の字にして鋭い目つきであろう目元を涙で濡らしていた。少年――出水洸汰はなんとかぶつかった状況を理解すると、目の前のなまえを見上げる。瞬間、洸汰はひゅっと息を呑んだ。


「お、まえ」


なまえは固まってしまった洸汰の無事を確認するべく座り込んだ。自分と会う前からかは不明だが泣いていたし、転んだときに怪我をして動けないのではと思ったがどうやら違うらしい。


「えっと、大丈夫? 君、名前は?」
「あ……い、ずみ、こうた……出水洸汰……」
「そっか……洸汰くん。ここは危ないからプロヒーローがいるところに行ったほうがいいよ。少なくとも一人よりは安全だと思う」


誰かの子どもか、兄弟だろうか。とにかくこの小さな男の子を安全なところへ連れていかなければ。そこでなまえはハッとする。今自分は洸汰を助けようとしている……まるで、ヒーローの真似事をやっているみたいだ。何もできないくせに、弱いくせに、"無個性"のくせに、助けたいという気持ちだけはなぜか湧き上がる。敵になって忘れたと思っていたヒーローになりたかったころの感情がこみ上げてくるのがわかった。なくなったわけではなく、心の奥底にしまい込んでいただけだったようだ。困っている人を助けたい。洸汰を救いたい。せめて、この小さな命がなくなることだけは阻止したい。


「逃げよう洸汰くん。せめてプロヒーローのところまでは連れていくよ」


動ける奴は、施設に行けって言ってた。ぼそぼそ呟かれる洸汰の言葉に頷いてそっと手を差し出す。洸汰なら今どこにいるかも施設がどちらに行けばあるかもわかるはずだ。洸汰は瞬きを忘れてなまえの手のひらを見つめる。グッと唇を噛んで何かに耐えるような顔をしたあとで、おそるおそるといった様子で短い腕を伸ばした。傷を一切知らない手のひらと、震える手のひらが重なる。洸汰はまるで縋るように強く強くなまえの手を握った。このまま施設へ向かおうと洸汰を立ち上がらせたなまえ。しかし。


「おいおい。俺たち裏切って、ガキと仲良く遠くへ逃げようってか?」


そんな簡単にはいかないのが、現実である。


林間合宿編:前編



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