オールマイトに憧れた。オールマイトが大好きだった。オールマイトはかっこよかった。オールマイトみたいに、なりたかった。
「"無個性"のくせに、調子乗んなや。なまえ」
将来の為のヒーロー分析ノートが爆豪の"個性"によって爆破された。なまえはそのまま床に落とされたノートを慌てて拾い中身を確かめる。焦げてしまっているが文字はまだギリギリ読めそうだ。酷いよ……と弱々しい声でノートを握りしめながら伝えると、爆豪は鼻で笑った。
「バカかよ。んなことしたって、テメェがヒーローになんかなれるわけねーだろ」
苦しい……痛い……胸が痛いよ。なまえは静かに涙を流しながら身を縮こませる。爆豪はつまらないとでも言いたげに教室を出ていってしまった。
どんなときも笑って助けられるヒーローになりたかった。でも"無個性"というそれだけのことでなまえのヒーローになりたいという夢は絶望的となる。小さいころは母親とヒーローごっこをして自分はヒーローになれると心から信じていた。だけど実際はどうだ。母親からヒーローになれるよとは一言だって言ってもらえず、センスや才能の塊である爆豪に至ってはヒーローになれないとはっきり言われてしまっている。悲しかった……なれるはずだと信じてヒーローをひたすら分析した。だけどやはり全てが無駄なことだったのかと目の前が真っ暗になる。よろよろと立ち上がりなまえはヒーロー分析ノートを持ちながら帰路についた。
「オールマイト……オールマイトみたいに……」
きっと泣いた顔のまま家に帰ったら母親は心配するだろう。そして悲しそうな表情で「大丈夫よ」と言ってくれるはずだ。昔から母はそうだった。いじめられて帰ってくれば大丈夫お母さんがついてると優しく抱きしめてくれる。だけど本当に言ってほしかった言葉は誰も言ってくれない。誰もがきっと爆豪のように思っている。"無個性"のなまえがヒーローになれるわけがないと。なまえ自身がそう思い始めていた。
「う……っぐす……」
泣いてしまったときは必ず来るとある廃工場。壁に体育座りで寄りかかり、人気がないのをいいことに我慢せず涙を流す。ここでスッキリしたあと家に帰るパターンが多く、今日もいつも通りそうするつもりでいた。
「先生の言ってた緑谷なまえって、おまえか」
突然の低い声にびくりと体が震えゆっくり顔を上げる。全身手だらけの男がこちらをじっと見ていた。辺りには自分しかいないため自分に話しかけてきたのは間違いないだろうが、足音が全くしなかったように思える。驚きすぎて涙も引っ込みごしごし頬を袖で拭ってからこくりと頷くと男はへえと呟いた。先生って、誰だろう。
「……誰……ですか?」
「死柄木弔」
「しがらき、とむら……さん」
「今は名前なんてどうでもいい。緑谷なまえ、俺と一緒に来い」
「えっ……?」
死柄木の瞳がなまえを捉えて放さない。俺と来い、と言ったような気がする。これはひょっとすると危ない状況というやつだろうか。逃げるか逃げないかで悩み慌てていると死柄木が突然首をガリガリと掻き始めた。
「ああ……だから黒霧が行けばよかったんだ……クソ」
「し、死柄木さん……! 掻いたら血が出ちゃいますよ……!?」
結局逃げないほうを選択してしまった……! 死柄木は首から手を離すと口を開く。
「……それ」
「え……あ、これ、ですか?」
目線の先にはなまえのヒーロー分析ノートがあった 。手に取りパラパラとページをめくりながら聞かれてもいないのに口が勝手に説明をしてしまう。
「ヒーローについて見たり調べたりしたものを書いてて。いつかヒーローになりたいから、そのために……私"無個性"だけど……その、いやっわかってるんです"無個性"が何言ってんだって。でもなりたくて……オールマイトみたいな、笑って誰かを助けられるそんな素敵なヒーローに……なりたくて」
グッと唇を噛んでノートを胸の前で抱きしめた。なんだか恥ずかしくなって立ち上がりその場を去ろうとする。知らない人にこんなことを言ってしまうなんて相当参っていたようだ。ごめんなさいっと謝って足を踏み出すが死柄木の言葉によって止まることとなる。
「"無個性"がヒーローになれないなんて、一体誰が言った?」
目を点にして死柄木の言葉に耳を傾けた。この人は、私をバカにしないのだろうか。嘲笑して"無個性"ならヒーローになんかなれるはずがないと言わないのだろうか。なまえの思考はそんなことで埋め尽くされる。
「なりたいならなればいいんだ。"個性"持ちが必ずしもヒーローになれないのと同じだよ、"無個性"だってヒーローになれるかもしれない! ……まあ、そうは言ってもヒーローになんか俺は死んでもなりたくないね」
「……笑わない、んですか……私のこと……」
「あんな奴になりたいなんて思うことは哀れだよなぁ……ともかく、なんで笑う? ああ、ヒーローになりたいっていうクソみたいな夢を見ていることか? 夢見るのはタダだろ……ただ、それを否定されるような世界ムカつくよなぁ」
死柄木を纏う空気がガラリと変わる。無意識に片足を一歩後ろへと移動させていた。
「なあ、壊したいだろ。オールマイトが全ての元凶だ。おまえはオールマイトさえいなければヒーローになりたいなんて夢を見ることはなかった。周りからヒーローになれないと揶揄されることもなかった。違うか?」
「ち、ちが……オールマイトは、何も、悪くなくて……私が"無個性"だから……っ」
「違うね! 全部オールマイトのせいだ、ああそうだオールマイトだよ! 緑谷なまえ、俺が代わりに言ってやる……おまえはヒーローになれるんだよ!」
「っ!」
全身に電気が走ったのかと錯覚してしまった。初めて誰かに言ってもらえたのだ。ヒーローになれると、面と向かって。じわりとまた涙が出てきて制服の袖で急いで拭う。腕を下ろすと自分に影ができていることに気づき上を向けば死柄木が目の前まで来ていてひっと息を呑んだ。
「ヒーローになれるのになぁ……それなのになれないって言われ続けてかわいそうになぁ……。俺と……俺たちと来い緑谷なまえ。ヒーローに詳しい"無個性"のおまえを必要としてるんだ」
自分を必要とされたのも、生まれて初めてかもしれない。きっと……否、絶対に死柄木はオールマイトが嫌いだ。この人の言葉には棘が多い。ヒーローになれると言ってくれた言葉も正直本当かどうか危うい。でも……それでも初めてだったのだ。心が弱っているときにこんなことを言われて気持ちがぐらつかないはずがない。
「いい返事を期待してる……また会おうな――なまえ」
ズズ…といきなり黒い霧が現れるとあっという間に死柄木と共に消えていく。腰が抜けてしまいペタンと地面に座ることになってしまった。オールマイトを嫌う不思議な男の人。初めてヒーローになれると言ってくれて、初めて"無個性"の自分を必要としてくれた人。夢だったのではないかと思うくらい濃い一日だった。
しかし次の日は更に濃い一日であった。先生に雄英高校を志望していたことをバラされ爆豪にまた自分なんかがヒーローになれるわけがないと言われた。放課後、またノートを爆破された。来世に期待して屋上から飛び降りることを提案された。帰り道、敵に遭遇した。本物のオールマイトに助けられた。助けられてすぐオールマイトにヒーローになりたいという思いを否定された。爆豪が自分を襲った敵に襲われていた。助けを求める顔をしていたから助けようとした。結局オールマイトが助けてくれた。爆豪は称賛され、大人にはこっぴどく怒られた。そして――
「わっ……え、いや、なに……!!」
お説教からようやく解放された帰り道で、黒い霧が突然現れなまえは目を見開いた。昨日死柄木が消えたときと同じ霧だと思い出す。
「――なまえ!?」
空耳だろうが、消える直前爆豪の声が聞こえた気がした。
目を開けるとそこはバーのような場所だった。パチパチと瞬きをして辺りを見回すと後ろには黒い霧のような人と、目の前には……
「死柄木さん……?」
「ほら。やっぱりあいつはおまえを否定した」
なぜそのことを知っているのか。なまえは何も言えず俯くが死柄木は続ける。
「唯一の心の拠り所だったオールマイトにも見放されたな……でも俺たちなら絶対見放したりしない。手を取れなまえ」
「誰も助けてあげようとしなかった少年を"無個性"の君は助けようとしてみせた。君こそ真のヒーローだ。大丈夫。ヒーローとしてではないが、僕たちは君を歓迎しよう」
SOUND ONLYと表示されたテレビから死柄木より太くて低い誰かの声がした。真のヒーロー、と言ってくれた男の人。死柄木が先生……と呟いたためきっとこのテレビの声の人が先生と呼ばれる人で、死柄木に自分を教えた人だ。死柄木が腰を落とし座り込むなまえと目線を合わせる。さあ、と死柄木の右手が差し出された。この手を取ったらもう一生ヒーローにはなれない。そう何かが全力で訴えかけていた、やめておけと。手を取るべきではない、と。
「……なまえは何も悪くない。悪いのはこの世界だ。そして、オールマイトだ」
だがもうどうでもよくなってしまった。だって自分はもうヒーローにはなれないんだから。もう、全部どうでもいい。この人たちなら、"無個性"でも自分を必要としてくれる。
「ようこそ、なまえ。敵連合へ」
手をおずおずと乗せようとすれば、死柄木の手のひらに乗るより早く中指を浮かせた状態で手を取られる。中指を浮かせているのは彼の癖か、あるいは"個性"によるものか。この日、緑谷なまえは行方不明となった。
「弔くん聞いて……! 弔くんに会ったときの夢見たのっ」
「うるさい……耳元で叫ぶな」
「あっ。ご、ごめんなさい」
黒のシャツの上に緑色のパーカー、そしてシャツと同じく黒のスカートを身に纏ったなまえは怒られてしまったためバーの椅子に大人しく座った。スッとテーブルにストローつきでオレンジジュースが出され、黒霧に笑顔でお礼を言ったあとで喜んで飲む。美味しいと顔を綻ばせると黒霧はそれはよかったと頷いた。
「懐かしいものを夢に見ましたね。なまえが来てもう十か月ですか」
「はい、十か月です。黒霧さん優しい……弔くん絶対零度……」
「ガキ」
「ひどい……」
ガーンと大きなショックを受けたような表情をしてからストローに口をつけオレンジジュースを全て飲み干す。はあああと長いため息をついた死柄木は無造作にペンとノート、そしてパソコンをテーブルに投げた。
「働けなまえ。情報収集係だろ」
「うん、弔くん」
なまえは嬉々とした顔でペンを握りノートを開く。自分に居場所と役割を与えてくれた死柄木のためにもできることはしてあげたい。頬杖をついてこちらを見つめる死柄木の視線を感じながらなまえはヒーローの情報を集め始めた。
喪失はいつも指先の届かないところにある
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