ぼふんっと体が沈んで落ち、なまえは瞑っていた目をそっと開けた。どうやらどこかの家のリビングにあるソファに落ちてしまったらしい。いたたた……、と体を起こして顔を上げたなまえはぴしりと固まった。時刻は十二時でお昼ご飯の蕎麦を食べている最中であろう轟がこちらを凝視していたのだ。しかしいつも学校で会っている轟よりも若干大人びている。知らない家、少し成長している轟。なまえはあることを確信した。


「なまえ、蕎麦食うか?」
「轟くん順応性高すぎだよ……」


"個性"で未来に来てしまった、と。







ぶつかった相手を数年後の未来へと誘うことができる。ただし三年以内に死ぬことが決まっている人物には効かない。数分で戻ることもあれば一日戻らないこともある。それが自分の"個性"なのだと。たしかそんなことをすれ違う前に同い年くらいの少年が話していたことをなまえは思い出していた。休日、麗日に誘われ二人で用もなくただ散歩をしているときだった。少年が友達と思われるもう一人の少年へ自慢そうに語り、フラグを立てた直後「いつも聞いてっけど、それほんとなのかよー」と友達は"個性"自慢の少年の肩を叩いた。少年の体はぐらつき、つい今しがたすれ違ったばかりのなまえの背中へとぶつかった。


「……それで多分、未来に来ちゃったんだと思う」
「大変だな。まあ、戻れるまでゆっくりしたらいいんじゃねえか。麗日のことは心配だろうがあいつなら大丈夫だと思う」
「う、うん……あの、轟くん」
「どうした」
「えと……どうして私、轟くんに後ろから抱きしめられてるの……っ?」


ソファに座った轟は膝の上になまえを乗せて、後ろから抱きしめながら「こうしたかったから」とさも当然のように言った。大きな手がお腹の前で組まれ轟の吐息までも耳に当たりなまえは赤面してしまう。こうされてから逃れようと身を捩ってもびくともしないし、恥ずかしがるなまえを楽しむようにくすりと笑う轟を睨んでも意味がなかった。


「高校一年ってことは五年前のなまえか……今とあんまり変わんねえんだな」
「えっ私これ以上成長しないの……?」
「……する、んじゃねえか。きっと」
「優しさが辛いよ!」


そんな……じゃあもう背は伸びないのか。ショックで下を向き頭を抱えると、無防備だったうなじに温かいものが触れて思わず「ひゃあ!?」と声を上げてしまう。触れられた部分を押さえながら横目で轟を見ると唇を舌で舐めていた。ま、まさか。


「いいい、今、もしかして」
「キスした」
「なんで!?」
「……したかったから」
「さすがに、きっキスはダメだよっ」


大声を上げたことで疲れてしまい呼吸を整える。すると考え込む素振りを見せていた轟がぽんっと手を叩いた。


「ああ。俺となまえ友達なのか」
「へ? う、ん……友達、だよ」
「そうか。悪い」


なまえは友達という言葉を聞いてちくりと胸が痛んだ。どうしてだろう、轟との友人関係は心地よかったもののはずなのに。いざ言葉にしてみると胸がもやもやして仕方がなかった。


「……なまえ」
「っな、なに?」


思考を巡らせていたときに声をかけられ驚きつつも轟に視線を向ける。轟はそっとなまえの髪を指で梳きながら続きを話していった。


「これからどんなことがあっても自分の気持ちを信じろ。――俺から逃げないでやってくれ」
「え……? とどろ――」


轟の名を呼び、どういう意味だと尋ねようとしたとき突然目の前が真っ暗となった。そしてふわりと浮遊感が体を襲い、咄嗟に目を瞑った。轟の温もりがなくなりどこかに座っていることに気づく。目をゆっくりと開けて上を向くと少年二人の肩を親指以外で掴みながら涙目になっている麗日の姿があった。


「なまえ、ちゃん……なまえちゃん!! よかったぁ無事で!」
「わ……っう、麗日さん!」


がばりと抱きつかれてなまえは地面に倒れ込んだ。轟と一緒にいたのは一時間のはずだったがあれから一分しか経っていないという。少年の"個性"には時間の誤差があるらしかった。あのあと少年二人とはそのまま別れた。故意ではなかったしきちんと謝罪ももらったため不問にしたのだ。麗日は色々と言いたげだったが散歩の続きしようと笑いかければ笑顔を見せてくれた。やはり麗日には笑顔が似合う。ふとなまえは未来の轟の言葉の意味を考えるより、あることに疑問を持った。なぜ未来へ行って自分は轟の前に現れたのだろうと。







なまえが目の前から消えた。轟は数度瞬きをするとふうっと息を吐き出した。不思議な体験だったな、と夢の出来事のように思う。しかしうなじにキスした唇の感触と腕に残る温もりが実際に起こったことなのだということを証明していた。突如ガチャリと玄関の開く音がしてドアを振り返る。しばらくしてリビングにやってきた女性におかえりと轟は笑いかけた。


「ただいま。仕事終わらせてきたから、午後は応援とか急な仕事とか入らない限り一緒にいられそうだよ」
「そうか。よかった。蕎麦少し残ってるぞ」
「本当? 実はお昼まだだったの。食べようかな」


女性の茶碗などを用意するべく轟は立ち上がった。準備をしようとしたが、上着を脱いでいる女性の後ろ姿を見て轟はつい後ろ髪の間から覗くうなじに口づける。突然のことにびくっと体を震わせていたが顔を赤くしつつもこちらを向いてくれた。


「もう。急にやられたらびっくりするし、くすぐったいよ」
「そうか。……悪い」
「……ふふふ。怒ってないよ」
「……今準備する。――なまえ」


うん? と首を傾げたなまえの唇に自分のを重ねる。轟はやはり昔とあまり変わってないななどと失礼なことを考えながら、キスをされあわあわとするなまえを見つめふっと笑った。


五年後に来ちゃった!



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