女の子らしい部屋だな、というのが最初の感想だった。ピンクに染まった部屋に、ファンシーなぬいぐるみ。机に置かれた写真立てには家族や友だちらしき人たちが私と笑顔で写っている。


「ここがなまえちゃんのお部屋よ。……何か、思い出した?」


全く、これっぽっちも。そんな意味を込めて頭を振れば、なぜかほっとした表情を見せる母親。母親は私の肩に手を置くとそのまま抱き寄せた。


「いいのよ……無理に思い出さなくて。今日はママと寝る?」
「……いえ。一人で、寝れます」
「そう……寂しくなったらいつでもママの部屋に来ていいからね。寝るまではママたちと一緒にいましょう」
「はい」


リビングでアルバムを開きながら笑いかけてくる母親に、私はそっとため息をつく。お酒を片手に目を細めている父親も、横で「小学生のころのなまえちゃんはね」と知らない話をし続ける母親も、私の知らない人たちだ。同じ渡我姓でありこうしてアルバムを持っているのだから私の両親なことに間違いはない。だけど、この世界で生きた記憶がほとんどない私にとって彼らは他人でしかなかった。つまり、少し疲れてしまったのである。そんな私に気づいたのか眉を八の字にした母親は申し訳なさそうにアルバムをぱたんと閉じた。


「今日はもう休みましょう」
「そうだな。時間はたくさんあるんだ。また明日話をすればいい」


母親は部屋のベッドまで私に付き添うと、布団の上からお腹の辺りを優しく叩いた。疲れ果てた体はゆっくりと眠りに落ちていく。


「いいのよ、無理に思い出さなくて」


ふわふわとした意識の中で母親の声が響いた。どうしてこの人は私に昔の記憶を思い出させたくないようなことを言うんだろう。よく考えたら家出をして記憶喪失なんて、病院に連れて行かれてもおかしくないのに。


「前のあなたには、戻ってほしくないもの」


口の中でするはずのない血の味がぶわりと広がる。そして、私はとうとう眠りに落ちた。







「やめなさい! 何をしてるの!」


頭上から怒鳴られて私はそっと顔を上げた。私の手には死んだ小鳥、怖い顔をしているのは今日見たときよりも若い両親だ。あれ、目線も低いような。


「また血を飲んだな……!? やめろとあれほど言っただろう!」
「どうして普通になれないのあなたは……っ! 普通に生きてよ……!」


ああ、そっか。これは『私』の記憶だ。小さいころの、私の記憶。泣きわめく母を慰めるように抱きしめる父に私は笑ったまま首を傾げる。普通、普通? 普通って、なんだろう。ザザ、と景色にノイズが走り場面は変わる。


「なまえの"個性"ってなんだっけ?」
「あれだよ。変身とかだった気がする」
「それそれ! なんだっけ、血を飲むと変身できるんだよね?」
「あんまり大声で言わないの。なまえは私たちみたいな仲が良い子以外には血を飲まないといけない条件は話してないんだから」


おかっぱ頭の女の子と角の生えた女の子がしゃべっている。制服を着てる……しかもこの制服は私がこの世界で初めて目覚めたとき着ていたものと同じ。中学のときの同級生といったところだろう。彼女たちの言葉に頷けば、何が面白いのかくすくすと笑った。


「なまえ、その"個性"でよく今まで普通に生きてこれたよね」


バカにした声色ではなかったから、彼女はきっと純粋に思ったことを口にしただけだ。血を飲んで変身する"個性"を持って、よくもまあ今まで血を欲さずに生きてこられたものだと彼女は言った。記憶の中の私は心の中で叫んだ。今でも血がほしいに決まっている。我慢をしているだけだ――普通になるために。


「起きたら両親に挨拶をして、朝ご飯を食べて、学校に行く。友だちと何気ない話で笑って、行事に一生懸命取り組んだり勉強会をしたり。家に帰ったらママの美味しいご飯を食べながら、パパに今日の出来事を面白おかしく話すの。お風呂に入って、ぬいぐるみを抱きながら眠って一日を終える。普通に生きるって、そういうことなんでしょ」


また突然景色が変わって私の隣には一人の男の子が立っていた。クラスの人気者で誰にでも優しい男の子。どこか出久くんに似た彼は私の話に苦笑する。


「俺も小さいころから親に医者になるよう言われてたんだけど、ヒーローになりたいからって言うこと聞いてないんだ。親の言う通りに生きてるなんて、なまえは偉いんだね」
「私が、偉い?」
「親の敷いたレールを生きていくなんて俺には無理だから、素直にすごいなって。なまえがさっき言ってたのがみんなの思う普通なら、なまえはその普通の日々を頑張って生きてきたんだもんね。うん。偉いよ、すごく偉い」


同じ制服を着たこの男の子を、私はきっと好きだった。


「偉いけど、俺はみんなが思う普通じゃなくてなまえが思う普通を生きていけばいいと思うよ」


女の子というのは恋に盲目で、私は彼の言葉に背中を押された気分になった。両親に普通を求められた私は仮面を被って生きてきた。血を使う"個性"を持って生まれてきたために、血への欲求が凄まじかった私は幼いころ小鳥などの死んだばかりの動物の血をよく啜っていた。その度に怒られ泣かれていた私は、両親の求める普通の生き方を頑張ってきたつもりだ。我慢して、我慢して、我慢して。

――我慢我慢我慢我慢我慢我慢我慢ガマンガマンガマンガマンガマンガマンがまんがまん

がまん、しなくちゃいけなかったのに。


「――じゃあ、ちょうだい」
「は?」


被っていた仮面がぴしり、ぴしりとひび割れていく。みんなの言う普通は生きづらい。彼が言うように、私が思う普通を生きればもっと生きやすくなるのかな。


「血ちょうだい。斉藤くんの血が、ほしいなあ」


好きな時間に起きて、好きな人の血を啜って、好きな人とおしゃべりして、好きな人を抱きしめて、好きな時間に眠る。


「それが私の望む普通なの」


幽霊でも見たかのように怯えた表情をする彼、斉藤くんに私は両方の手のひらを差し出した。さあ、早くちょうだいよ。あなたが言ったんでしょう。私が思う普通を生きろって。


「好きな人の血が、いーっぱいほしい」


仮面は完全に壊れてしまった。きっともう二度とつけることはないだろう。すると斉藤くんは私の手をぱしりと叩いて恐怖で染まった瞳に私を映しながら大声を上げた。


「そんなつもりで言ったんじゃない! あ、頭おかしいよお前!」
「斎藤くん……?」
「来るな……っ! 異常者……!」


彼に否定されたショックで心臓が握りつぶされたように苦しくなる。







やっぱり、私の普通は誰にも受け入れてもらえないのね。


12.出来損なってしまいました



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