あれから。
睦月くんに、一度も会っていない。
どういう顔をして会えばいいかわからなくて、なんて声をかけたらいいかもわからなくて。ぐるぐる、ぐるぐる。どうしたらいいのか、どうすべきなのか......どうしたいのか。考えている内に、時間ばかりが過ぎてしまったのだ。
でも。いつまでもこうではいけない。
もしもこのままお別れにでもなってしまったら......そんなこと、考えるのもいやだけれど、でも、本当にそうなってしまったら、私は絶対に後悔する。
話したいことも、話すべきこともぜんぜん纏まってはくれないけれど、それでも会わないと、とは思う。
文は、あれから一度も届いていなかった。
《桜、散る》
「会え、ない.....?」
いつもの邂逅場所であるあの桜の木の下でしばらく待ってはみたけれど、その間に睦月くんが来てくれることはなく。けれどそこで諦めてしまったら、私はきっと諦め続けてしまうだろうと思えて、だからこそ今、動かないとと思ったのだ。
この髪のせいで、私は村の中を必要以上に動き回ることがとても嫌だったけれど、今ばかりはそうも言っていられない。それでもなるべく村のひとたちに会わないようにと、物影を縫うようにしながら睦月くんの家、立花家を目指した。
考えてみれば、ここにこうして来たのは初めてだったかもしれない。睦月くんを家に呼ぶこともなかった私たちは、本当にあの桜の木こそが、繋がるすべてだったのだ。
「あの、会えないって......いつまで、ですか?」
せっかくここまで来たのに。会えない、なんて。
立花家の前で、まるでそこには誰も立ち入らせまいとでもいうかのように立ち塞がった、おそらくは家人だろう、男のひとに、問いかける。睦月くんには会えないと、彼は言ったのだ。
「あの子は大事な御子だ。何人も会わせるわけにはいかない。ましてやお前のような穢れなど」
......穢れ。
わかっている、わかっていた。
村のひとたちが、私のことをそう思っていることも。そう、疎んでいることも。
直接傷つけられることを畏れて、距離を保っていたのは私。怖くて、痛くて、誰も近付かなければ傷付かなくて済むのにと、すべてを拒絶していたのは私自身。
だけど、だけど。
そんな私でも、傍にいたいひとが、傍にいて欲しいひとができたの。
誰になにをいわれても、誰にどう思われても。
彼に、睦月くんに、会いたい。
「お願いします。睦月くんに会わせてください」
お願いします、お願いします......っ。
哀願ににも似た懇願は、けれど受け入れられることはなく。それでも長らく粘ってみたけれど、誰かに言われたのか、やがて私を迎えに来た母に引きずられるように家へと連れ戻されてしまった。
そうして食らう、説教の嵐。
御子様は村にとって大事な存在。御子様には大事なお役目がある。御子様は村をお救いになるお方。御子様は、御子様は。
ねえ、御子様って、なに。
御子様御子様って、それでは睦月くんは......睦月くんという、ひとりの人間はどうなるの。
何度も家を抜け出しては睦月くんに会おうとした私は、やがてそれを阻むために両親が四六時中監視を始めたため、動くことがままならなくなってしまった。
想うのは、いつでも睦月くんのこと。縺れていた私のこころをほどいてくれた彼は、この髪に躊躇いなく触れてくれた彼は......いつでもやさしさをくれた彼は。
今、なにをしているのだろう。
あかい蝶が舞う。ひらりひらりと。少しずつ、少しずつ数を増やして。
あの蝶がなにかを、私は知っていた。あの蝶の本当の姿を、私にはみることができたから。
だから。
あの蝶の中に、睦月くんがいないことが、今の私には唯一の救いだったのだ。
......だったのに。
「桜、あなたあてに文を預かったわ」
どれだけの日々が過ぎてしまったのか。それすらもわからず、部屋中に睦月くんから貰った文を広げて、その中で蹲っていた私に、母がそう紡いだ。
こうして睦月くんからの文に囲われていると、彼を近くに感じることができるような、そんな気がして。だから、邪魔をしないで欲しいのに。
私を彼から遠ざけるすべてが、私には憎くて仕方がない。睦月くんに呼ばれる以外の私の名は、私の中では決して響かない。
だけど、それでも母のことばに顔を上げたのは、母が紡いだ文というその一言が気にかかったからだった。それ以外に、理由なんてない。
差し出される紙片を、ゆるゆると腕を伸ばして受けとる。それを私に手渡す母がどんな顔をしていたか、それすらどうでもよくて気にもしない私の意識は、その文にしか向けられなかった。
桜へ。
表に書かれた、私の名前。
ああ、これは。この字は。
ーー睦月くんの。
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