季節は緩やかに、けれど確実に巡り行く。彼と出会ったきっかけでもあったあの桜の木も、薄桃の花弁を散りきらし、緑の葉すらもその腕から取り落とした。

それだけの日々を、私はこの木の下で過ごしてきたのだ。長いようで、けれどとても短いような、そんな毎日。彼に会える時間はその中でも決して多くはなかったけれど、それでもとても充実し、満たされた時間だった。

私は、彼との出会いで少し変わったのかもしれない。

こんな風に誰かを想い、日々を過ごすことなど、以前では考えられなかったことだから。自覚をして、認識をして、そうして思うことはただひとつ。

私はきっと今、しあわせなのだ。

もう緑の葉すら残さない桜の木を見上げ、私の胸は穏やかなぬくもりに包まれていた。







参・桜色の幸福






一日の内、彼を待つ時間は決して長くはない。彼は来れる日は私とあまり変わらない時刻にやって来てくれるし、時には私より早くこの場所で待っていてくれたりもしたから、来れない日はわかりやすいのだ。

そうは言っても、もしかしたらという願いにも似た思いを抱くことは否めない。だから私はわかっていてもしばらくその場から動くこともできず、そうしてようやく諦めがついた頃、身を翻していた。

今日は、会えるだろうか。そんな思いが私の鼓動を緩やかに早めていく。ほとんど毎日のことだというのに、どれだけ日を重ねようとも、この想いは褪せることがなかった。

会えない時というのは、どうしてこうも長く思えるのか。彼といる時間は驚くほど短く思えるというのに。

やがて、とれだけ待っていたかは知れないが、しばらくして私の耳に届いたのは、彼の足音。振り向かなくとも、もう足音だけで彼だとわかってしまうようになったことが、なんだか少し気恥ずかしくて、けれどその音にこころが弾むこともまた事実で、私は迎えるように緩やかに振り返った。

けれど。

黒い髪、黒い瞳。白い、着物。
そこに立っていたのは確かに彼と同じ姿をした男の子だったけれど、どうしてだろう。彼とは、違う気がした。

思わず身構え、一歩、退いてしまう。


「あの......どちらさま、ですか」


警戒、しているつもりはないけれど、もしかしたらそう見えてしまうかもしれない。少しだけ緊張感を滲ませる私に、目の前の睦月くんによく似た男の子は、どこか驚いたように目を瞬かせた。


「違いが、わかるんだ」


......違い?
なんの話だろうかと首を捻ることも束の間、私にはその意味に思い至るだけの情報があるのだと気付き、知らず目を見開く。

睦月くんによく似た男の子。睦月くんは、双子のいる立花家のひと。そして。

睦月くんがよく話して聞かせてくれる、彼の妹と......双子の、お兄さんの話。


「あ......もしかして、樹月、さん、ですか......?」
「うん。いつも僕の弟がお世話になってます。きみのことはよく弟から話を聞いているよ。桜さん、だよね?」
「あ、は、はい。え、えっと、でも、あの......お世話になっているのは私の方です......!」


ああ、やっぱり。
にっこりと笑ってくれるその表情は、少しだけ睦月くんとは違う雰囲気を感じるけど、でも、よく似ているように思えた。慌てて頭を下げる私に、樹月さんは畏まらなくていいと優しく頭を上げさせてくれる。

顔を上げた私を迎えてくれた樹月さんの微笑は、とても優しかった。


「聞いてるようだけれど、睦月は生まれつき体が弱くて......今も昨日から熱を出して寝ているんだ」
「え......! そ、そんな......大丈夫、ですか?」
「うん、そんなに大袈裟にするほどじゃないから。......睦月も、慣れてるし」


あ......樹月さん、少し悲しそう......。
そうだよね。自分の弟が苦しんでいて、でもそれに慣れているなんて言われたら......私だって、悲しかったくらいだもの、樹月さんはきっともっと悲しいのだろう。

ひとの想いの強さを、計る術などないけれど。

樹月さんの想いを感じ、俯いてしまった私に、樹月さんはごめんと小さく謝った。空気が重くなってしまったからと彼は告げたけれど、そんな風に気を遣わせてしまった私の方が、とても申し訳なくなる。慌ててすみませんと私も続けば、樹月さんはまたも優しく笑ってくれた。


「睦月が言っていた通りのひとだね」
「え?」
「少し内気だけれど、でも、ひとを思いやれる優しい子だって」


え、ええっ!?
そ、そんな......わ、私、そんな風に言ってもらえるような子ではないのに。

睦月くんがお兄さんにそんな風に私を紹介していてくれていたことが、何だか気恥ずかしくて、どこか申し訳なくさえあるけれど、でも......。

とても、うれしかった。

顔に熱が集まっていくのを自覚しながら、私はただわたわたと視線をさ迷わせる。どう答えたらいいか、その言葉が見つからなかった。

そんな私に、樹月さんはすっと何かを差し出してくる。なんだろうときちんと視線を向ければ、その手にあるそれが、一枚の白い封筒であることが知れた。


「これ、睦月から。きっときみがここにいるだろうからって、頼まれたんだ」


差し出されるそれを、受け取る。宛名のないそれは、けれどはっきりとわかる、私に宛てた手紙だった。


「もし、返事を書いてくれるなら、また夕刻にでも取りに来るよ」
「お願いします!」


樹月さんがくれた提案に、私が迷うことなどありはしない。胸元で大事に手紙を抱え込みながら頭を下げる私に、樹月さんはやはり優しく笑って頷いてくれた。

睦月くんからの、手紙。
熱が出て辛いはずなのに、私を気にかけてしまわせた申し訳なさももちろんあるけれど、それでもその中で私を気にかけてくれたことが、それをこうして形にまでしてくれたことが、うれしくてうれしくて......。

涙が出そうなほどの幸福感に胸が締め付けられ、早まる鼓動に急かされるように私は樹月さんに別れを告げると、足早に自宅へと向かうのだった。










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