地図から消えた村。そんなホラー感たっぷりの煽り文句を受けた都市伝説の調査に、まさか休日を潰されることになるなんて。

民俗学について本気でしっかり調べるべきかと悩むわたしは、樹月と睦月と一緒に、件の場所へと向かうことになった。







九・キミの、記憶







はー、自然いっぱいで気持ちいいな、ここ。

木々の生い茂る山道を登り、少し開けた場所に出る。視界いっぱいに広がったのは、太陽の光を反射してきらきらと輝く水面。池でもなく、湖でもなく、ここはそう、ダムだ。


「にしても見事に埋まってるね」


地図から消えた村。その調査に来たはいいけど、事前に仕入れていた情報通り、それの元となった場所は既に水の底、ダムに沈められていた。もう、何十年も昔の話らしい。

今はただ豊かな自然に囲まれ穏やかな水面を広げるだけのそこには、都市伝説に記されるようなおどろおどろしい感じはどこにもなかった。


「意図せずだけど、ピクニックになっちゃったねー」


どこかその辺にシートでも敷いてランチにしようか。一応、わたしお弁当持ってきてるし。

そんななんてこともない明るい話題は、すべてを吐き出す前に振り返った瞬間、喉の奥でかき消される。そこにいた樹月と睦月が、なんだかひどく神妙な……ううん、悲しいのか、辛いのか……とにかく、苦しそうな表情でダムの水面を見つめていたから。


「……どうかした?」


声をかけることすら躊躇われるようなふたりの様子に、それでも気付かぬ素振りで問いかける。

何故だろう。

なんでか、ふたりをとても遠く感じて、たぶんわたしは……引き止めたかったんだと思う。

行かないで。
――逃げて。


「っ!?」


びくり。肩が不自然なほど思い切り跳ね上がる。

いや、あれ。わたし、今なにを想った?

自分の意志とは違うところで感情が働いたような奇妙な感覚に、わたしは思わず身震いする。体の奥の方が、なんだか急に重く冷えていく。

なんだ。なんなんだ、これ。


「名前?」


声をかけられ慌てて我に返る。いつの間にか伏せてしまっていたらしい顔を上げれば、心配そうにこちらを見つめる樹月の黒い双眸と目が合った。

あれ、わたし、いつの間に状況逆転したんだ。


「大丈夫? なんだか顔色が悪いように見えるけど……」
「え!? あ、ああ、うん、なんでもない。元が都市伝説に使われてるだけあって、なにかに当てられたんだったりして」


なんてね。ははは……。

笑って誤魔化せ! という感じにとにかく乾いた笑みを返す。そう、と小さく笑った樹月は、なんだかどこか寂しそうにも見えた、気がした。


「あ、それよりほら、お弁当作ってきたし、お昼にしない?」
「お弁当?」
「そう。だってお弁当っていつもわたしの、担、と……」


あ、れ。
いやいやいや、ちょっと待って。話題変えようとしてなんか今変なこと口走ったよね、わたし。

いつも、ってなに。わたしの担当、ってなに。

そんなさも当たり前のようにお弁当作ったりしてきたけど、考えてみたらなんでわたし、三人分もお弁当作ってきちゃってるの。約束したわけでもないのに。

おかしなことを口走ってしまったわたしがそれに気付いて慌てて口を閉ざしたけど、一足遅かった。驚いた様子で目を見開く同じ顔ふたつに、心底いたたまれなくなってくる。


「あ、えーと、今のはね」
「名前、もしかして記憶が戻ったんじゃ……」
「へ?」


え、なに。記憶? 戻る?

…………。

いやいや、そんなわたしが記憶喪失だったみたいなそんな話、あるわけないし。ちゃんと物心ついてからの記憶はあるし、小さい頃の思い出だってある。

たとえばほら。村の木に無理矢理登らせて、降りられなくさせて怒られ……た、り……。

え、ちょ、待った待った待った! 村の木ってなに。それは確かにわたし、ガキ大将的なことしてたりもしたさ。したけど……。

白く霞む景色の中、思い浮かぶ情景は、一本の木と三人の子供たち。みんな着物姿で、ひとりが木の上、ふたりが木の下からその子を見上げてる。あれは……あれは、そう。

わたしたち、だ。

わたしと、そして樹月と睦月。病弱な睦月をなんとかしようと、あの頃は碌なことしていなかった。今思えばいじめと大差ない。いや、愛情はたっぷりだったけど。

……違う。違う、違う。わたし、わたしは着物なんて七五三の時にくらいしか着てないし、樹月や睦月に出会ったのもつい最近。幼稚園も小学校も中学校も高校も、どれも一緒に通った記憶すらない。だから、違う。これは……わたしの、記憶じゃ……ない。

本当に、それでいいの?

誰かが、胸の奥深くから問いかける声が聞こえた気がして、わたしはふらりと足を踏み出す。向かう先には、ダム。きらきら輝く水面の、更に底深くを望んだ。

そこにあるのは。

――地図から、消えた村。







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