「あ、雨……」


ぽつりぽつりと肌を打つ僅かな水滴に、空を仰ぐ。

少し前から雲行きが怪しくなってきたなとは思っていたけど、ついに降り出してきちゃったか……。

本降りになる前に急いで社まで戻らないと。

今日のお客様……と表現していいのかわからないけど、予約していたひとたちはもうみんな帰ったし、私も帰ろうかな。

祖母に傘借りないと、本格的に降り出したら塗れネズミになってしまう。

そんなことを考えて身を翻したその時だった。


「あの、すみません」


唐突にかけられた低い声。

振り向いたその先には、青い傘をさしたひとりの青年が立っていた。

たぶん、私とそう変わらないくらいの年だろうと思う。


「はい、どうかしましたか?」


我ながら事務的な対応。

それが慣れてしまっているくらいには、ここに手伝いに来ている頻度も高いということ。

私が手伝いにくるということは、あまりいいことではないのだけど。

この異能が必要とされればされるだけ、苦しんでいる人が多いということになるから。

……と、物思いに耽っている場合じゃないか。


「あ、少し相談があって……。神主さんとお話できませんか?」


神主、ということは祖父に用があるのかな。

……相談って、あまりいいものじゃないかも。

わざわざ神社の神主にするくらいだし。

予約していないひとだろうし、緊急性もあるのかもしれない。

厄年くらいなら可愛いものなんだけどなあ。

とにかく、巫女装束まで着て手伝いに来ている以上、ちゃんと働いて帰らないと来ている意味がない。

どのみち戻るつもりだったんだし、ついででもある。


「ご案内致します」
「ありがとうございます。あ、そうだ」


礼を述べ思い出したように青年の手が伸ばされた。

その手に携えられていた青い傘が、私の頭上で花開く。


「突然の訪問の上、名乗りもせずすみません。僕は……」


雨足は強まることなく、ただ優しく青の上で軽やかに跳ねた。

交錯する視線の先で柔らかく笑む青年の表情はまるでその雨のように優しくて。



それが、私と麻生優雨との出会いだった。










八 「やさしい、あめ」










写真の中で微笑む優雨は、いつもの彼と何ら変わりなく。

お線香を上げさせてもらっていることの方が違和感を覚えるほど、彼がもういないのだという事実に実感がわかない。

でも疲れきった怜さんの痛々しいその姿を見れば、それは嘘でも夢でもなく本当に起きた出来事なんだって思わざるを得なかった。

何て声をかけたらいいんだろう。

怜さんや、彼女と同居しているらしい螢の友人の妹さんまでもがみてしまっているというあの夢の影響なのか、今の彼女の家はとても空気が重い。

壁の染みもそうだけど……ちょっと寄り付いてきすぎている気がする。

これじゃあ夢に囚われる以前に、いつ現実で実害を被るかわかったものじゃない。

リビングに案内してくれた怜さんに断って、私は先に簡単なお祓いを施すことにした。

でもこれも、あの夢を見続けている限りいつまで役に立ってくれるかわからない。

どうしても先にあの夢をどうにかしなければならないようだ。

私は螢と一緒に怜さんからあの夢の情報を聞いて……それから、失礼は承知でお願いをしてみた。



――優雨の部屋に入れて欲しい。



彼女だった怜さんに頼んでいいような話じゃないことはわかっている。

私だって、私や澪ちゃんたち以外の女性が螢の部屋に入りたいなんて言ったらいい気はしない。

異常な状況に憔悴しきっているような時なら尚更。

何言い出してるの、って、そう思うと思う。

でもこれは今だから。

今だからこそ、必要なこと。

単に私が優雨への想いを惜しむためだけじゃない……その気持ちがないわけじゃないけど、でもそれだけなら後で落ち着いてから螢と一緒に入れてもらえば済むことだし。

そういうことじゃなくて、どうしても今でなければいけないと、私の中で何かが告げてくる。

だって優雨は言っていた。



私に、怜さんを助けてって。



たぶんそれは私にだから頼った言葉。

私のこの霊力を知っていたからこそ、私にこの力があるからこそ、願われた想い。

私はそれを叶えるためにも……そして螢を救うためにも、優雨に、触れなきゃいけないと思う。

怜さんは私の願いにしばらく逡巡し、それからどうにか波風立たせないように断ろうとしていたみたいだけど、私の真剣な眼差しを目に考え直してくれたみたい。

優雨の部屋に通してくれた。

青いカーテンが閉め切られた優雨の部屋はまだ生活感が残っていて。

それもまた、彼はまだ生きているんじゃないかと錯覚させる。

優雨らしく整理されたその部屋の綺麗さに、私は自然と頬を緩めた。

そこに主の姿がないことが不思議で仕方ない。








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