「紗重……」
声が引きつる。らしくもなく怖いだなんて思う自分が、それも大事な友達に対してそう思ってしまった自分が、たまらなく腹立たしかった。
しっかりしろ。内心で入れる喝。
怯んでどうする、怖じ気付いてどうする。彼女はわたしの大事な友達。体が弱くて、けどだからこそなのか、思いやりがあってとてもとても優しい子。
だけど。だけど、違うでしょ。あの子は紗重だけど……紗重じゃない。
紗重はもう、生きてはいないんだ。
今生きて、そしてここにいるのは。
「まゆちゃん! ダメだよ、まゆちゃん、そんなことは絶対にダメ」
確信があるわけじゃあない。まゆちゃんのこと、みおちゃんのこと、わたしはなんにも知らないけど、でも。
紗重の言葉は、きっと、まゆちゃんの言葉でもあるんだと、そう思えた。
だから、余計に思うんだ。それじゃあ、いけないって。
「ひとつになるって、そんなの一方的。遺されたひとの悲しみを、苦しみを、どうするつもり」
ああ、これ、いつか睦月にも言ったな。わたしは全然成長していないのかも。また、傷付けるだけになるのかな。
無力で、弱い、なんにもできないくせに吼えることは一人前。そんなわたしがきらいだけど、この想いだけは変えられない。変えたくない。
きらいなわたしを変えるのは、やっぱりわたししかいないんだ。
もう、繰り返したくなんか、ない。
「遺されるひとにはね、もうなにも伝わらないんだ。声も、眼差しも、表情も……ぬくもりも。忘れてしまう、薄れてしまう。思い出になってしまう、どうしたって」
きれいなまま、きれいなものだけがどんどん輝いていって、「本当」はどこにあったかなんてわからなくなる。忘れたくない、けれど、もうなにも届かない。
苦しいほどの渇望に焦がれ、そうして触れられずに絶望する。そんな想い、して欲しくなんてない、誰にも。
「まゆちゃんは、それでいいの? それでもひとつだって言えるの? ……ずっとずっと、みおちゃんを苦しませて、悲しませて、それがまゆちゃんの望みなの?」
ごめん、ごめんね、樹月。これはきっと、樹月に思い出させてしまう。苦しくて、苦くて、辛くて、悲しい、あの想いの数々を。
そうだよ。遺される方は、決してひとつになれたなんて思ったりしないんだ。喪われるんだよ……大事な、はんぶんが。
だから、だからさ。
「ねえ、まゆちゃん。生きようよ。まゆちゃん、生きてるんだもの。みおちゃんのぬくもり、今はわかるでしょ? 記憶の中の永遠より、きっとずっと一緒に生きられる方がよっぽど尊い」
永遠なんて、本当はきっと記憶の中にも生きていても存在するかなんてわからない。けど、生きていなければできないことはたくさんある。
わたしにはもう、誰のぬくもりもわからないから。
「……駄目なの、名前姉。それじゃあ、駄目。だって八重は置いていく。八重は……澪は、私を置いて、いってしまう」
二重になる。紗重が、まゆちゃんが。分離するように、重なるように、ゆらゆらと影が蠢いた。
置いていってしまう。泣きそうに……もしかしたら、泣いているのかもしれない。両手で顔を覆って震える声で告げるまゆちゃんは、紗重は、きっとずっとそれが不安だったんだ。
双子だっていっても、結局は別の人間。わたしにはわからない何か強い絆があったとして、だけどいつまでもべったりくっついているわけにもいかないんだろう。いつかは、それぞれ別に歩き出す日がくる。それが怖くて堪らないのかもしれない。
繋がっていなくなるわけじゃあ、ないのに。
「紗重……いや、まゆさん、かな。……僕は、睦月と生きたかったよ。一緒に、生きていきたかった」
千歳ちゃんを強く抱きしめたまま、そのまままっすぐに吐き出された強い言葉。切なさを宿した悲しい響きを声に乗せ、紡ぐ樹月の表情はどこまでも穏やかだった。
樹月が睦月と何を話したかはわからない。けど、それがどれだけ大事な話だったかは、わかるような気がしていた。
樹月の言葉に、まゆちゃんの肩がびくりと跳ねる。わたしの重ねる言葉よりも絶対、樹月の紡ぐ言葉は重みがあるはずだ。
樹月は、充分苦しみ続けたのだから。
「睦月が……いないんだ。どこを捜しても、どんなに捜しても。願っても乞うても、もうぬくもりも声も、僕には届かない。耐えられなかった。睦月は僕の……大事な弟だから」
紗重は、知ってる。あの日、あの時のあの蔵の中を、紗重はわたしと一緒に見ていたのだから。わたしと一緒に、あの痛みを苦しみを悲しみを、絶望を、感じていたはずだから。
ねえ、紗重。紗重だってわかってるはずだよ。樹月の、八重の……みおちゃんの想いを。傍にいることの、その意味も。
儀式の先に待つものが、誰より大切な半身の涙なんだという、その事実だって。
紗重は、わかっているでしょ?
「私、私は……」
落とされるまゆちゃんの視線。二重になっていたその姿から、ふわり、紗重の姿だけが立ち上がる。
真白な着物にこびり付いていた赤が、消えていた。
「八重……八重……。私、私……ひとりはイヤ。ひとりはもう、イヤだよ……」
自分を守るように、両腕で自分の体を抱きしめて俯く紗重は、震える声でイヤを繰り返す。そうだよね……紗重はずっと、ひとりで×の中にいたんだから。ひとりで、儀式をさせられたんだから。
寂しいに、悲しいに決まってる。
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