螢がこんな風に言葉に詰まることって、あんまり珍しくもないから私も慣れてしまっている。
私の言葉に螢は一度口を引き結び、それからゆっくりとその口を開き直した。
「若菜、その……い、一緒に、暮らさないか?」
「え?」
え、何? 一緒に……暮らす?
えーと、それは螢や澪ちゃんとってこと……だよね?
言われた言葉の唐突さに思わず思考を混乱させてしまったけど、少し冷静になって考えればその意図はすぐに見えてきた。
「あ、ああ、そっか、澪ちゃんがいるから女手があった方がいいってことね」
色々な事情で両親や繭ちゃんと分かたれてしまった澪ちゃんを叔父である螢が引き取るのは必然みたいなもので。
退院する時には特に何も言わなかった二人だけど、やっぱり年頃の女の子と一緒に暮らすというのは大変なものなのだろう。
それで私が頼られたってわけだと思いひとり納得していると、螢はどこか困った様子で視線を迷わせ、私の肩から手を離した。
少し強めに力が込められていたからか、螢の手が離れた肩には軽い解放感が残る。
……熱も、少し残っていた。
「螢?」
急に黙り込んでどうしたのかと名前を呼べば、螢は自身の服のポケットに手を入れ、そこから何かを取り出す。
そのまま私の目の前まで差し出されたその手の上に乗せられていたそれは、小さな箱だった。
青い小さなそれはよく指輪などを収めるために使われるあの……って、え、指輪……?
思い至った仮説に目を見開く私のその目の前で、小さな箱は螢の手によりゆっくりと口を開いてゆく。
中に収まっていたそれは、予想に反せず日の光を浴びてきらきらと輝く細いリングだった。
彫られた細工と慎ましやかに埋め込まれた青い宝石とが優雅で大人っぽい印象を受ける。
……って、あの、指輪って……。
さっき立てた仮説を思い起こしながら螢を見上げれば、彼は真剣さを戻した表情で私をしっかりと見つめていた。
絡み合う視線が、逸らせない。
「……若菜、俺と……結婚、して欲しい」
ひとつ、ひとつ。
ゆっくりと、確実に。
耳朶を打つ彼の低い声が静かに私の頭に、体に、響いてゆく。
仮説は正にその通りだったわけだけど、それはあくまで仮の話、確信なんてまったくなかった。
だからこそ理解が追い付かずにフリーズした私は、緩やかに浸透してゆくその言葉に徐々に徐々に思考を働かせ始める。
えっと、あの、ちょっと待って、螢は今……結婚って、言ったの?
結婚って、あの結婚、だよね?
いや他にどんな意味を持つか知らないけど。
働き始めた頭はすぐに混乱して、でも目の前できらきら輝くリングを前に急速に理解へと向かい始めた。
わ、わ、どうしよう……っ! 顔が、これ以上ないほどに熱いっ。
「わ、私……わたし……」
言葉がうまく出せなくて、それでも溢れそうなほどに浮かんでくる想いを何とか伝えようと螢を仰ぐ。
その螢が顔を真っ赤にして不安そうに私を見ていたものだから、少し安心してしまった。
螢はやっぱり螢なんだって、なんとなくそう思えたから。
私は小さく笑みを刻んで、それからゆっくりと螢の手に……その手の上に乗せられた小さな箱に、そっと自分の手を添えた。
ああ、本当に。
幸せだなあ。
「私でよければ。……不束者ですが、よろしくお願いします」
柔らかく笑みを浮かべて見上げた先で、螢の双眸が思い切り見開かれ。
次いでくしゃりと歪められたかと思ったら、そのまま強く抱きしめられた。
きつくきつく、離さないと背に回された腕の強さが物語っている。
苦しいくらいのその腕の強さが、温もりが、涙が出そうなくらい嬉しくて。
幸せすぎて苦しいくらい。
そっと、私の手も螢の背に回った。
「幸せにする……っ、絶対」
「うん。私も。私も、螢を幸せにするからね」
抱きしめあった螢の肩越しに見える河川敷。
そこで優雨が優しく笑ってくれていた気がした。
ねえ、優雨。
この幸せも、あなたがくれたものなんだよ。
あなたが、彼に会わせてくれたから。
ねえ、優雨。
――ありがとう。
終・了
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