「若菜……」
「螢、ごめんね。螢は怜さんについていてあげて。私、少しここにいる。……優雨に呼ばれている気がするの」
「若菜、それは」


一緒にここまで来てくれた螢に告げれば、彼は戸惑ったような驚いたような表情で私を見下ろす。

ううん、違うよ、違うの、螢。

優雨に呼ばれたって、そういう意味じゃない。

あの屋敷に……あの夢に招かれたってことじゃないの。


「大丈夫。大丈夫だから、ね、螢」


真っ直ぐに螢を見つめてゆっくりと伝えると、螢はまだ納得した様子は見せないものの、それでも小さく頷いてくれた。


「……わかった」
「ありがとう」


じゃあ、と。

どこか名残惜しさを残したように立ち去る螢の背を見送って。

螢の心配を嬉しくも申し訳なく思いながら、私はぐるりと優雨の部屋を見渡す。

何となく明かりを着けずにいるから部屋の中は薄暗く、でも全く視界が閉ざされているわけでもないから私が電気のスイッチに手を伸ばすことはなかった。

このくらいで、丁度いい。

何故かそう思えたということもある。

強くもなく、けれど弱すぎもしない雨音が閉め切られたカーテンと窓の向こう側から聞こえてきて、無音の室内の静寂を微かに壊していた。


「……優雨」


呼びかけても、返ってくるのは当たり前のように雨音だけ。

優雨の部屋に入るのは初めてだけど、それでも主がいないというのは違和感を覚えるもので。

寂しいのか悲しいのかわからない感情を噛み締めながら、私は誘われるようにベッドまで進む。

その側で膝を折り、そっと静かに手を伸ばした。

指先が微かにシーツの布地の質感を捉えたその瞬間。



――……ありがとう、若菜。応えてくれて。



ふわりと優しい、耳に心地良い声。

どこからともなく聞こえてきたそれに、だけど私がその主を探すことはない。

聞き知ったそれが誰のものかはわかっている。

探さないのは探さない、ではなく探せない、が、正しいことくらい自覚していた。

見つけられるようなら……会えるようなら、私の胸は今、こんなにも痛みを訴えてきていたりしていないのだから。


「大切な友達の頼みだもの。応えるに決まってる」


あなたもきっと、同じでしょう?

小さく笑んで紡ぐ私に、声は語り続けてくれる。



――若菜ならそう言ってくれるだろうと思ってた。……頼りきりになってしまうのは申し訳ないけど。



何言ってるの、そんなの全然申し訳なくなんかない。

私は私を頼ってくれること、凄く嬉しいよ。

……本当は自分で守りたいだろうってわかっているから、言わないけど。

代わりにというわけじゃないけど、早々に話を進めさせてもらうことにする。

まだ全然話足りないけど、その場合ではないことくらいわかっていた。

……泣くことも、お別れを告げることも、全てが終わってからにしないと。

じゃないとあなたが安心できないでしょう?



……私が、進めなくなってしまうでしょう?



シーツの上に滑らせた手をぎゅっと固く握りしめる。

目を閉じて深く呼吸をすれば、自分でも驚くほど頭の中がすうっと冴えだした。

大丈夫、私は冷静だ。


「……優雨、力を貸して。あなたの大切なひとを守るためにも……私の大切なひとたちを守るためにも」


思い描く怜さんの姿、澪ちゃんの姿、そして……。

螢の、姿。

……私、螢に嘘吐いたことになるのかな。

招かれてないなんて言っておいて、招いてもらおうとしているんだから。

でも、それでも。

守るためには、動かないといけないの。

私の知らないところで螢が傷ついたりしたら、嫌だから。

ごめんなさい、螢。

私ね、自分で思っていた以上に頑固みたい。

そんなことを考えていた直後にふっと意識が途絶え……落ちてゆく闇の中、確かに聞こえた気がした。



――どうか無事で。……僕の、大事な友人。










もう、みたくない。

みたくないみたくないみたくないみたくないみたくない。

どうして、どうして私なの、あのひとなの。

どうしてあのひとが私の目の前で×ななくてはならないの。

どうして、どうして!



もう、ミタクナイ。



わたしは確かに、わたしの柊がこの目に刻まれた感覚を感じ取った。





…………。










ぐるり、ぐるり。

景色は、光景は、色を失ってなお生々しく。

とめどなく移り変わり、脳内に刻みつけるようにそのすべてを残し。

最後に私がみたそれは……。



――雪の降る中静かに佇む、古い大きな日本家屋だった。










八・了



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