選択の日



「よぉ。また会ったな、リョージ!」


ラウンジに降りた梓董と望月の姿を認めるなり、すぐさま出迎えに駆け寄ってきた皆。その中で笑顔で真っ先に望月を迎え入れたのは、元々彼と仲のよかった伊織だった。

彼に触発されるように他の面々も各々望月に声をかける中、そこにイルの姿がないことに気付いた梓董は、すぐにラウンジの中を見渡す。アイギスの姿はあることから、仲直りが無事果たせたのか気にかかった。

そんな梓董の内心を察してくれてか、当のアイギスがこの疑念に答えてくれる。


「イルさんなら、外に行きました」


にっこり微笑む彼女の姿は、少し前に比べても随分とひとらしくなったように思う。どうやら復帰を果たすと同時に、彼女も命について考えるようになったようだ。皆と共に「生きる」彼女は、日増しに機械であることを忘れさせるようになっていくことだろう。

柔らかに教えてくれたその様子からも、仲直りの行く末は簡単に想像できた。そして、イルの、意図も。

だから梓董はアイギスに笑みを返しながらそう、とだけ答えると、すぐに望月達の方へと意識を戻した。


「ニュクスに会うには、約束の日にタルタロスの頂上に辿り着けばいい」


もう、止める気はない。そんな想いを込めてだろう、これから皆に必要となる情報を語り始めた望月の言葉に耳を傾ける。

彼の言う約束の日とは、どうやら年が開けた一月の最終日、三十一日のことらしい。その日、全ての始まりの地でもある巨大な塔、タルタロスの屋上にニュクスが降り立つのだと彼は言う。そしてその日こそが......。

世界の、終わりの日だ。

タルタロスとは、闇の夜空に穿たれた巨大な大穴。ニュクスを導く目印であり、宣告者が現れることで全てが整ったことを悟ったニュクスがそこに降り立つのだと補足される。そうすることで終わりが訪れるのだが、だからこそ逆にその時こそがニュクスと対峙できる唯一の機会となるらしい。


「じゃあ......僕は先に行くよ。君たちとは......この姿である内に別れたいから」


力なく、それでも笑みを刻むその想いは、きっと皆察せている。だからこそ、彼の今の姿の名を口にする以外、適した言葉を見出だせずにいた皆に、望月はそれでも笑みを絶やすことはなかった。

せめて、笑顔で。

そう望む彼に、返せるものはきっと、同じ笑顔だけなのだろう。


「こんな風に会えるのは、もうこれが最後だと思う。でも君たちの事は......ずっと見ているよ。それじゃ......さよなら」


次に会う時はもう、望月は望月であって望月ではない存在になっている。先程梓董に見せたあの姿もきっと、その片鱗なのだろう。

怖くはない、けれど......悔しかった。

このまま、一緒に笑いあっていけないことが。

このまま、一緒に生きてはいけないことが。

選択した道の先は、もう繋がることはないのだろうか。

踵を返して立ち去る望月は、寮の入口の扉の前まで歩み行くと、一度だけ振り返った。


「良いお年を」


何を言うのかと思えば。そんな、何でもないような言葉が......いや、何でもないような言葉だからこそ、望月に口にされると苦しくなる。

どうして、どうして彼は......。


「......って、言うんでしょ、年の瀬はさ。じゃあね」


ふ、と。緩んだ表情を浮かべた彼の残した、悪戯めいた笑顔。彼らしいと思えるその表情を最後に選んだ彼は、きっと本当は誰よりも皆と共に生きていたかったはず。

何も知らずに、ただ、望月綾時として。

叶わない願いに押し込めた彼の想いに、梓董は強く強く拳を握る。それから自身の胸に手を当て、静かに目を閉じた。

足りなかった、何か。
ファルロスが消えてからずっとこころの隅に感じていた喪失感は、ずっと一緒にいたはずの、もはや半身のような存在を失ったからだったのか。

思い出だけでは、足りない。わかっているけど、どうしようもなくて。聞き分けのいい綺麗事を並び立てても隠せない本音に、梓董はただ、今だけはと望月が去っていった扉を見つめ続けた。





自分は、うまく笑えていただろうか。

彼の、彼らの記憶に残る自分が、自分の存在が、悲しいものや辛いものであって欲しくない。少なくともこの姿の望月綾時は、明るい笑顔で生きていたのだと、そう思ってもらえるように。

懸命に残してきた笑顔を、後ろ手に扉を閉めると同時に溜息と消し去る。縋ってしまいそうになるこころを押し込め、そうしてから望月はゆっくりと顔を上げた。


「......イル」


目の前に立つ、白い少女。その名を紡ぎながら、望月に戸惑った様子も見受けられないのは、もちろん彼女がここにいることは察していたからに他ならない。望月には、彼女の気配は簡単に察することができるからだ。

彼女は、望月の力を抱え込んでいるから。


「見送りたかった。綾時が、綾時であって綾時ではなくなるその瞬間まで」


あたしは、知っているから。
紡ぐ彼女はきっと、こうなることを知っていたのだろう。考えてみれば当然だ。彼女の存在自体が、それを物語っているのだから。

彼女は終わりの日から来たと言っていた。それはつまり、終わりの日を認識できていたということ。誰もが記憶を持たず、そして誰もが気付かぬ内に終わりが訪れるのであれば、彼女のその存在は成り立たない。

わかっていたからだろうか、望月も、自身が思うよりもよほどすんなりと梓董の選択を受け入れられたのは。


「君は本当に......僕を、知っているんだね」


疑っていたわけではない。だからこれは、答えのわかりきった確信。返る答えは、やはり予想通りの肯定なのだから。


「キミがあたしを知らなくても、あたしはキミを知っている」


だってそれは......。


「私がキミを知らなくても、キミは私を知っているから」


イルと、入峰。終わりの訪れるその日、いったい何が起こるというのか。望月が......デスが、いったい何をするというのか。

わからないが、イルはただただ笑っていた。少しだけ寂しさも含んだような、そんな笑みで。


「あたし、綾時に感謝してる。あたしがここにこうしていられるのは、綾時のお蔭だから」


だからね、だから、綾時。


「あたしは、いつでもキミの......キミと、戒凪の傍にいるよ。......忘れないで」


伸ばした手で触れる、彼女の頬。彼女はその手に優しく自分の手を重ねると、そっと目を伏せた。

いとしいと、思える存在がすぐ傍にいる事実に、なんだかとても泣きたくなる。


「ねえ、イル」
「......なに?」


お願いが、あるんだ。
小さく告げると、彼女は緩々と顔を上げてくれる。見上げてくるアオは今もまっすぐで、いつか見た、きらきらと輝く空と海との光景を思い出す。

あれはやはり、必然だったのだ。

彼女にこうして惹かれたこともまた、必然であったように。


「名前。今だけなら、呼んでもいい?」


同じ存在が二人同時に存在する。そんな矛盾を隠すため押し殺したものの中で、それはきっと最も重要な意味を持つ。だから本名を知った今でも望月も梓董も彼女をその名で呼ぶことはしなかった。

けれど。

今だけ。今だけだから。

......最後に。


「......うん」


頷いてくれた彼女から、手を離す。元より体温が低いらしい彼女のぬくもりは、それでもこの手に確かに残っていると感じられた。


「ありがとう。......僕も君に......君たちに、感謝してる」


忘れない。この姿を失おうとも、ずっと、ずっと。




「琉乃............さよなら」




ようやく紡ぐことの叶った彼女の名は、どこまでも、どこまでも、いとおしかった。






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