本当の、彼女
だから、笑っていて。
いつもの望月で、いつものイルで。
二人が離れてしまう方がよほど辛いと、今ならわかるから。
「戒凪君......。僕は......」
「俺は、イルや綾時が悲しそうだったり苦しそうにしてたりする方が、辛い。だから綾時、笑って」
滅びが避けられないというのなら、その時その瞬間まで。ずっとずっと、彼らが大切なことに変わりはない。だから。
願う戒凪に、まだぎこちなさは残しながらも望月は小さく笑って返してくれた。
彼の想いも、彼女の想いも、自分の想いも。複雑だけれど、きっと単純で。
傍にいたい。その願いはきっと、同じだから。本音はいつでも、そこにあるから。
それ以上、望月が言葉を重ねることはなかった。
代わりに、ではないが、今度は梓董がずっと気にかかっていたことを口にする。内容はもちろん、この間の夜の話。
イルの、ことだ。
「......イル、気になってたんだけど」
「え?」
「イルが......ううん、入峰さんが、人じゃなくなったって話、やっぱり、俺のせい?」
問えば、即座にアオイ瞳は大きく見開かれ、そしてすぐさま勢いよく首が振られた。
「違うよ! 違う、戒凪のせいなんかじゃない。あの時も言ったけど、あたしの、私の選択は、私のためのものだから、私が自分で選んで掴んだ今......あたしだから、お願い、戒凪のせいだなんて言わないで......」
私の、あたしの願いを、否定しないで。
乞うように、願うように。絞り出すように言葉を紡ぐ彼女の姿に、胸が締め付けられるような感覚を覚える。
選んだのは確かに彼女自身かもしれない。
けれど。
彼女の未来を、奪いたくはなかった。
イルに出会えたことは感謝している。何よりもかけがえのない存在となった彼女だからこそ、余計に。だけど、だからこそ。......納得は、できないのだ。
滅びの日、その日に何が起きるかはわからない。だけど。
ふと、頭をよぎる可能性。
イルは滅びの日から来たという。けれどその滅びの日は、まだ訪れてはいない。
つまり。
その日、入峰を止めることができたなら、彼女に人としての生を、未来を代償とさせなくとも済むのではないか。
そんな思考を巡らせた梓董の考えを読み取ったかのように、イルがゆっくりと言葉を重ね始めた。
「戒凪、言ったよね。選択は自分の責任だ、って。これは、あたしの選択。あたしの道なの。あたしはこの道を選んだことを後悔なんてしてないし、むしろその選択肢を与えてもらえたことを感謝してる」
ねえ、戒凪。
緩やかに、ひとつひとつ、確実に。
紡ぎあげられていく言の葉を宿す彼女のアオはどこまでもきれいで......まっすぐに、梓董を捉え、柔げられる。
やさしく、やさしい、穏やかであたたかな、笑み。
「あたしは、しあわせだよ」
狡い。
狡いではないか。
そんな風に微笑まれて、そんな風に紡がれて、そうしてどうして彼女を止められよう。
人として生きて欲しい。自分のためになど、未来を使わないで欲しい。
そう願うのに、それすらエゴだと彼女はいうのか。
どうしてその道で、しあわせだなどと笑えるのか。
「......琉乃ちゃんは、まだ選択をしていない。僕もまだ、彼女に選択肢を与えられる術を渡してはいない」
望月はもう既にイルとこの話をしたのだろう。彼女の事情を受け入れ、理解もしている様子で静かに紡ぎ出す。
「イルは僕との約束で、君達に自分の真実を話せなかったらしい。それはきっと......歪みを生まないためなんだと思う」
「......歪み?」
「イルと琉乃ちゃんが同時に存在しているなんて、本来あってはいけないことなんだ。だから彼女がイルを何らかの形で認識してしまえば、イルの存在に歪みが生じてしまう」
同じ存在が同時に存在してしまうということは、世の理からは当然ながら外れている。世界はそれを許しはしないだろう。
つまり。
「イルが、消える......?」
世の理をねじ曲げてしまっているのはイルの方。ならば必然的に、あるべき姿に戻されてしまうのは彼女の方となるだろう。
あるべき姿......それはおそらく、存在しないもの、という形に。
だから彼女に力を与えた際、望月は素性を隠すよう入峰に伝えたのだろうと、今の望月も察した。
彼女が、消えないように。
彼女の願いが、果たされるように。
「未来の僕のことはわからないけど、もちろん、これからの琉乃ちゃんのこともわからないけど、でも、僕はイルに消えて欲しくない。たとえ滅びの日が迫っていても、それまではイルには君と、生きていてもらいたいんだ」
望月の願いもまた、イルに添うもの。つまりは、彼女の想いを、否定しないで欲しいということ。
方法はわからないが、入峰を思い止まらせないと、彼女の彼女としての未来がなくなってしまう。けれどそうしてしまうとイルが......イルのぬくもりも、想いも、笑顔も......その存在の全てが失われてしまうのだ。
そう考え、抱いた感情に、これもまたエゴではないかと内心で自嘲する。
身勝手で、自分勝手で......けれど、どうしようもなく願う、想い。
「......ごめん、イル。俺は......イルと、生きていたい。イルに傍にいて欲しい」
考えて、考えて。何が正しいかも、何が最善かもわからなくて。そうして残されたのは、ただひとつの確かなもの。
自分の、想いだ。
わがままなのは、自分の方。やはり彼女に関してはどこまでも貪欲になってしまう自分のこころに、それでもイルは笑ってくれた。
嬉しそうに......しあわせ、そうに。
「うん。......ありがとう、戒凪」
ありがとう、などと。それは梓董の台詞なのに。そう口にしてくれる彼女に、その想いに、何故だか涙が零れそうになる。
胸が、苦しかった。
切なくて、苦しくて、そうして思い知る、彼女をいとしいと想う気持ち。涙が出そうなほどに詰まる想いを込めるには、言葉ではとても足りなくて。
失いたくなどないと、強く願う。
「あたし......もうしばらくは綾時といるけど、でも、いつでもずっと戒凪の傍にいるから。いつだって、傍にいるから」
傍に。
言葉は強く、胸を満たした。
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