彼女の、正体



滅びの、日。

確約された絶望のその日から、彼女は来たのだとそう言う。

けれどその日はまだ先のはずで、いくら彼女の謎が多いからといって、さすがにそれは現実的ではない。この状況で彼女がそんな嘘や冗談を言う利はないし、そうする意味もないだろうが、だからといって、はいそうですかと受け入れられるような話ではないことくらい、彼女自身もわかっているだろう。

ようやくもたらされた真実に、けれどその突拍子もないような話に、当然のように戸惑う皆を置いて、イルの話は続く。


「あたしの本当の名前は、入峰琉乃」
「入峰......」
「そう。戒凪が知ってるその子が、あたしになる前の私」


イルになる前の、イル。

早瀬を兄と慕う、他校の剣道部のマネージャー。黒い髪と黒い目を持つ、大人しい部類の少女だ。

見た目も性格もイルとは違うというのに、どこか彼女に似た雰囲気を持っている。そう感じ、姉妹なのではないかと疑ってはいたが、まさか同一人物だなどと......。


「私はあの日......滅びの日に、綾時から少しだけ力を分けてもらった。その先で、選んだの。あたしと、なることを」
「イルと、なること?」
「そう。......普遍的無意識って、知ってる?」


岳羽に問い返されて頷いたイルが口にしたのは聞き馴染みのない言葉。岳羽と山岸が顔を見合せ互いに首を振る姿を目に、イルはゆっくりと続けていく。


「あたしもあんまり頭よくないから、うまく説明できないかもだけど......。人の精神の源である普遍的無意識には、みんなの願いでもある大きな意志がふたつあるんだって」


ポジティブな創造と、ネガティブな破壊。
その創造性を象徴する元型(アーキタイプ)、フィレモンに、望月の力を分けてもらったというイル......いや、入峰は、会うことが叶ったのだという。その彼が、彼女の願いに応じ答えた言葉が、人の心の中には現実の流れを変える大きな力があるという話。彼女が招かれた普遍的無意識の中では、それも可能だと彼は言ったという。


「ただ、その大きな流れの本筋に、私は関わりがなかった」
「流れの、本筋?」
「そう。この全ての出来事の元になる場所」
「それって......十年前の?」


何の話かと訝る岳羽の問いに、思い浮かぶ可能性を問えば、イルは僅か梓董を見やり、目を伏せた。どこか悲しそうな、悔しそうな痛みを覗かせた瞳は、けれどすぐにまっすぐと持ち直されてしまう。

今はただ、事実を語ることを優先しようとするかのように。


「だから私には本筋を変えることはできなかった。私にできたことは、私を変えること。私は私の未来を対価に、あたしとして生きる術をもらったの」


入峰としての未来を対価に......。それはつまり......。

彼女は、自分の未来を差し出してしまったということ。

代わりにイルとして生きることを許されたと彼女はいうが、それは......。


「それじゃあ、イルは......、いや、入峰さんは」
「あたしは、もう人の枠には存在してない」


くらり、と。目の前が歪んだ気がする。
彼女が梓董の想いには応えられないと言った理由はそこにあったのかとどこかで理解すると同時、そうして彼女にその選択を、人を捨ててしまう選択をさせてしまったのは、おそらく......いや、ほぼ間違いなく、他でもない梓董なのだろうことも理解する。

彼女の願いは、梓董の傍にいること。

絶望のその日に何があったかは知るよしもないが、それでも彼女が人を捨ててしまう選択をする何かがあったということ。その何かは考えるまでもない、梓董が、中心となっていることなのだろうと想像はつく。

いつだって彼女は、梓董を何より大切にしてきていたのだから。

そう思い至ると、彼女に何を言ったらいいのか、何を言うことができるのか、わからなくなってしまう。
それどころか、何をどう理解したらいいのかも、今の自分のこころの内すらも、今の梓董には何もわからなかった。

それをその時の梓董が望んだかはわからないけれど、それでも......入峰を、奪ってしまったのは自分だということなのだから。


「これは私が望んだことなの。私の、あたしの、わがまま。そうして選んだ道のために、せめてもとフィレモンがくれた猶予が、今までのあたし。四月にみんなと会ってからのあたしなの」


ペルソナの能力も、彼女はフィレモンから与えてもらったのだという。望月の力も借りて、対価を支払った彼女の想いの強さが、数多くのペルソナを駆使することができる強さに繋がっているのだろう。

自分のわがままだと言い切る彼女は、視線こそ梓董に向けてこないものの、それでも繋いだ手に確かに力を込めてきた。

梓董のせいなどではない。
そう、伝えるかのように。

それは確かに彼女の選択なのだ、梓董に責任があると考える方がおかしい。けれど、それでも......。


「あたしが知っていたこと、知っていることはふたつ。滅びの日のことと、デス......ううん、あたしにとっては綾時のこと。他は......知らなかった」


彼女が入峰だというならば、それは確かに納得がいく。彼女は確かにこの戦いの全てと無縁の少女なのだから。滅びの日に何があってイルとなる経緯を辿ったかは知らないが、それでもあの少女は、兄想いのふつうの女子高生にすぎなかった。

イルの話からして、その記憶のままに四月に戻った彼女が、彼女がやって来たという滅びの日までの過程を知らないことは当然とも思える。

十二の大型シャドウのことも、十年前の真実も、荒垣のこと、桐条の父のこと、チドリのこと、幾月のこと......全て、彼女は本当に知らなかったのだろう。その時の彼女はまだ、入峰だったのだから。


「......そんなわけのわからねー話急に聞かされて、信じられるかよ」


ぽつり。イルの言葉の終幕を察してか、今まで黙して聞いていた皆の中から、伊織が呟くように吐き捨てた。

確かに彼女の語る真実は現実味に薄く、今まで培ってきた常識に照らし合わせてしまうととても信じられるような話にはない。だが。

現実的ではなく、常識からも考えられないような体験なら、皆だって今までに充分してきたではないか。今更彼女の言葉だけを否定するには、歩んできた道が阻む。

いや、もしかしたら、伊織が否定したいのは、彼女の正体などではなく、彼女が多くを知らなかった事実の方なのかもしれない。

救えなかったものを救えたかもしれないという事実を得られれば、恨む先を得ることもできるのだから。やり場のない怒りや悲しみや絶望を向ける矛先が見つかることは、きっと今なら何よりも支えになることだろう。

人は、強くなどない生き物だから。


「いいよ、信じなくても。実際、知っていることからも感じ取れることからも、さっき伊織くんが言った、荒垣先輩たちのことも全部、予測できないことじゃなかったかもしれないから。だから、責められるべきはあたし。戒凪でも綾時でもない。あたしなんだ」


知っていたことを話してさえくれていれば。たとえばイルが良策を思い付けなくても、皆で知恵を出し合えば、何かもっといい道を選び取り続けられたかもしれない。わからなかったことではないだろうに、それでも口を閉ざしていたのは彼女自身。だからこそ彼女は全ての責を負おうとしているのだろう。

まっすぐに、前を見据えながら。

人は、強くなどない生き物だ。だけど彼女は......いや、彼女もまた、人ではないと自分では口にしながらも、やはり皆と変わらぬ人なのだと思う。

小さく震える手は、梓董にしか気付くことのできないものだったが、そこに抑え込んでいるものの重みの片鱗は窺えたから。

梓董の混乱もまだ深いけれど、それでも......その手は、決して離さないと思った。


「あ、じゃ、じゃあイルには滅びの日のことが、わかるの? 私たちがどんな選択をして、どんな結末になるか」


誰もがイルに返すうまい答えを見付けられずにいる中、思い至った様子でそう口にしたのは山岸。失ったものや、喪われてしまったもの。抱え込んだものの重みを考えると是とも非とも返せなくなってしまうイルの言葉に対しては、結局は誰も何も言うことができなかった。

彼女のせいではないとわかってはいても、IFはどうしても付き纏ってくるのだ。

だからその代わりにとでも言うかのように、山岸が気に止めたのは、これから先のこと。元はそのための話し合いだったのだと、おそらく皆その言葉で思い出しただろう。

そしてそれは、これからの導を得る上ではとても重要なこと。イルがその絶望の日から来たというなら、彼女は知っているはずだ。

皆の選んだ選択と、そうして迎えた滅びの先を。

固唾をのんで答えを待つ皆の視線を一身に受けたイルは、けれどその双眸をつと細め、山岸を、皆を見据え返した。


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